趣味の原点をふりかえる・24・番外編・亡父の思い出1
先日来故郷で病気療養中だった私の父が先週亡くなりました。
二た月前の家の家族の不幸に続きどうにも頭が回らない感じがします。
ですが今回の父の場合、私のこれまでの鉄道模型の趣味の形成に多少なりとも影響のあったのでこれまでの不幸とは少し違った意味合いを感じます。
少し恥さらしな所もありますがこの機会に思うまま書いてみたいと思います。
私が鉄道模型を始めたのは昭和50年はじめの事です。
元々どちらかといえば体育会系の人間だった父ですが、日曜大工などの工作系にも器用な所もありました。
とはいえ自分の子供が指先ほどの大きさの模型に興じる事にはあまり良い感情を持っていなかったように思います。
まして当時でも鉄道模型の高額ぶりは凄かったので面と向かって欲しいと言う訳にも行きません。
(当時はトミカが1台180円でした。鉄道模型を始める前はトミカをよく買ってもらっていましたがこの辺りがおねだりの限界だったと言えます)
そんな事もあって車両一つ買うにもおねだりするわけにも行かず最初のキハユニ26(M)は何ヶ月か分の小遣いを貯めての購入・入線となりました。
併せてフレキシブルレールを2本買ったのですが当時の私にはそのあたりが限界でした。
それでも暫くは親類の機関士の使っていた16番の自作パワーパックで運転を楽しんでいましたが、これでは運転のたびに一々親類の所に通う事になる訳です(笑)
さすがにそんな現状を見かねたのでしょうか、その年の暮れごろにパワーパックを買ってくれました。
(このパワーパックはそれから30年以上を経た今でもきちんと動作してくれています)
おかげで当時TOMIXが登場したタイミングも重なりNゲージでの運転を楽しめる様にはなりました。
相変わらず車両の増備は小遣いの範囲内でしたが、それでも中学の頃は誕生プレゼントなどで機関車を買ってもらえるようにはなりました。
しかし高校に上がる位の時期に暗雲が垂れ込めます(続く)
(写真は本編とは関係ありません)
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この記事へのコメント
私が小学生の頃も同じ環境でした。
何カ月分かのお小遣いを貯めて買ったGMのキットの塗装を失敗した時には。。。
先頭車だけ買って来て紙で中間車をつくってみたり。
同じ車両を4両も買ってしまう現在では考えられない模型ライフだったのかもですね。
お話の途中ですが、私の父親は全く鉄道模型に興味が無い人間で模型を買ってもらった記憶は全くなかったりします。
それ以外の嗜好も人間性も全く私と違うので、うちの父親が亡くなった時、私に光山市さんの様に父親の想い出話が出来るのかな。。。なんて、不謹慎にもちょっと考えてしまいました。
ご冥福をお祈り致します。
お気遣いありがとう御座います。
私の場合、当時GMキットは10系客車がうまく作れなかったために以後建物ばかり作る状態になりました(汗)
>嗜好と人間性の違い~
生前は私も父とは全く違っていると思っていたのですが、後になって親類から父の学生時代などを聞かされてそれまで知らなかった接点や類似に驚かされています。
(さすがに鉄道系の趣味は無かったようですが)