「レイアウトのたのしみ」に思うこと
今回はこの間YANチョさんのブログに書いたコメントを増補改定したものです。
実は向こうでは興に乗りすぎてコメントの字数制限をオーバーしてしまい書き足りなかったところが出ていたもので(YANチョさんすみません)
ちなみに本文はこちらです
http://yantetumokeikurabu.doorblog.jp/archives/16195376.html
先日、葉純線の改修作業を再開して約2ヶ月ぶりくらいに通電、列車の運転を行いました。
この暑さで運転どころではなかったのですがやっと気候的に運転が楽しめそうな時期になった訳です。それにしても季節の変化をはさむと随分と久しぶりに運転するような感覚になります。

ですが再開したレイアウトで列車が走り出した瞬間の「レイアウトが生き返った感覚」というのはこの趣味ならでは味わえるものと思います(ついでに冷房のない家で夏を過ごした経験も入ってくるのですがw)
列車がなければ風景模型と言えどもこれだけの生命感(かなり独りよがりのものですが)は出てこないのではないでしょうか。
それがビルダーの思いが実体化したレイアウトならば尚更だと思います。
さて、ここからが本題ですが昭和20年代に初めて16番のレイアウトが登場して以来現在に至るまで「レイアウト」作りの本質は「作り手の脳内ワンダーランド、あるいは別乾坤の実体化」であると思います。
それは風景の作成に限らず、運行の仕方や列車の設定まで含めた愉しみ方(リアルにこだわるという事を意味しません。実際に「ストリップ列車」や「社長専用車」なんていうお遊びが今から50年以上前に既に提唱されてました)のすべてに渡って「レイアウトを楽しむ」行き方に象徴されています。
必要以上の実物追従はレイアウトと言うよりむしろジオラマやヴィネットの領分ではないでしょうか。


それらの最高峰ともいえるのがアメリカのGD Lineやイギリスのバッキンガムブランチといったレイアウトだと思います。
(どちらも大昔のTMSのバックナンバーを漁らないと見られないのが辛い所です。どちらも写真集が出ていた事があるので復刊でもされるとその魅力を伝えやすいのですが)これらは細密と言う点では今のレイアウトに劣る所があるかもしれませんが上記に書いた運転そのもののシステム性や風景の中のシーンの叙情性、一見奇策と思えるトリックを風景の雄大さや密度の向上に生かしている点などトータルとしての魅力は今でも一級品、いや未だにこれを超えるレイアウトはないのではないかとすら思わせるものです。
ここ最近のTMSのコンペでもレイアウトよりヴィネットの方が増えている感じがしており必要以上の実物追従に拍車がかかるのではと言う危惧は感じる事があります。
それでもモジュールレイアウトと言う新種が登場したおかげでそんな疑似風景でも「列車が走る」と言う楽しみが味わえるようになっているのは幸いだと思います。

(この間のJAMで精密極まりない犬山橋のモデルがあって驚きましたがその上を「EH500が疾走している」のを見て「ああ、この遊び心があれば大丈夫だな」と言う気になったのも確かです。もちろん風景に似合う列車であればそれに越したことはないのですが、時には理屈を抜けたお祭り騒ぎがあっても良いと思います)

>各アイテムの面白さや充実度ばかり追いかけていると,知らないうちに「鉄道があってもなくても良いレイアウト」 になりそうで~
と上記のブログでYANチョさんは書かれていましたが、実はこれについては私個人はあまり心配していません(笑)
というのはファーラーやフォルマー、プライザーなどの海外メーカーのラインナップの凄さを見ていると日本はまだ可愛い方に感じるからです。
むしろ気になるのはリリースする方の息切れですね。

闇雲にアイテム集めに走るだけなら確かに仰ったような危惧はあり得るとは思いますが、一方でこれまで難しかった「題材を絞り込んだ風景づくり」がかなりやりやすくなっているのも事実で、「それらに似合う列車」と言う所を含めてコーディネートできるセンスがあれば楽しめる要素は大きいと思います。
その「センス」にしても後から身につけることが出来る(と言いますか体力や技術と違って「センス」は歳を重ねてもそこそこ身につけられるものではないかと思います。俳句や川柳などを見てもそう感じる事があります)点、年齢に関係なく楽しめるのではないでしょうか。
何より、鉄コレとミニカーブの登場以来、これまで以上に私たちは「単なる静止した建物の羅列」の中を「列車が走るというアクション」が加わる事で「眠っていた風景に命が吹き込まれる感覚」と言う素朴な意味でのレイアウトの魅力を知った筈ですから。
そしてレイアウトを作ると言う事は大きな魅力ではあります。ですがそれだけではレイアウトの楽しみの入り口に立ったに過ぎない気がします。
レイアウトならではの運転方法や運行形態を工夫する、気に入らないところや物足りないところに手を加える、自分の記念日にはお祭りを演出してみる、何ならMSやゴジラを屹立させてみる(笑)どれもこれもレイアウトを作るのと同等の楽しみがあると思います。
YANチョさんの題材に非常に触発されたのですが文才足りずつい長文かつ乱文になってしまいました。
ご勘弁ください。
光山鉄道管理局
HPです。

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実は向こうでは興に乗りすぎてコメントの字数制限をオーバーしてしまい書き足りなかったところが出ていたもので(YANチョさんすみません)
ちなみに本文はこちらです
http://yantetumokeikurabu.doorblog.jp/archives/16195376.html
先日、葉純線の改修作業を再開して約2ヶ月ぶりくらいに通電、列車の運転を行いました。
この暑さで運転どころではなかったのですがやっと気候的に運転が楽しめそうな時期になった訳です。それにしても季節の変化をはさむと随分と久しぶりに運転するような感覚になります。

ですが再開したレイアウトで列車が走り出した瞬間の「レイアウトが生き返った感覚」というのはこの趣味ならでは味わえるものと思います(ついでに冷房のない家で夏を過ごした経験も入ってくるのですがw)
列車がなければ風景模型と言えどもこれだけの生命感(かなり独りよがりのものですが)は出てこないのではないでしょうか。
それがビルダーの思いが実体化したレイアウトならば尚更だと思います。
さて、ここからが本題ですが昭和20年代に初めて16番のレイアウトが登場して以来現在に至るまで「レイアウト」作りの本質は「作り手の脳内ワンダーランド、あるいは別乾坤の実体化」であると思います。
それは風景の作成に限らず、運行の仕方や列車の設定まで含めた愉しみ方(リアルにこだわるという事を意味しません。実際に「ストリップ列車」や「社長専用車」なんていうお遊びが今から50年以上前に既に提唱されてました)のすべてに渡って「レイアウトを楽しむ」行き方に象徴されています。
必要以上の実物追従はレイアウトと言うよりむしろジオラマやヴィネットの領分ではないでしょうか。


それらの最高峰ともいえるのがアメリカのGD Lineやイギリスのバッキンガムブランチといったレイアウトだと思います。
(どちらも大昔のTMSのバックナンバーを漁らないと見られないのが辛い所です。どちらも写真集が出ていた事があるので復刊でもされるとその魅力を伝えやすいのですが)これらは細密と言う点では今のレイアウトに劣る所があるかもしれませんが上記に書いた運転そのもののシステム性や風景の中のシーンの叙情性、一見奇策と思えるトリックを風景の雄大さや密度の向上に生かしている点などトータルとしての魅力は今でも一級品、いや未だにこれを超えるレイアウトはないのではないかとすら思わせるものです。
ここ最近のTMSのコンペでもレイアウトよりヴィネットの方が増えている感じがしており必要以上の実物追従に拍車がかかるのではと言う危惧は感じる事があります。
それでもモジュールレイアウトと言う新種が登場したおかげでそんな疑似風景でも「列車が走る」と言う楽しみが味わえるようになっているのは幸いだと思います。

(この間のJAMで精密極まりない犬山橋のモデルがあって驚きましたがその上を「EH500が疾走している」のを見て「ああ、この遊び心があれば大丈夫だな」と言う気になったのも確かです。もちろん風景に似合う列車であればそれに越したことはないのですが、時には理屈を抜けたお祭り騒ぎがあっても良いと思います)

>各アイテムの面白さや充実度ばかり追いかけていると,知らないうちに「鉄道があってもなくても良いレイアウト」 になりそうで~
と上記のブログでYANチョさんは書かれていましたが、実はこれについては私個人はあまり心配していません(笑)
というのはファーラーやフォルマー、プライザーなどの海外メーカーのラインナップの凄さを見ていると日本はまだ可愛い方に感じるからです。
むしろ気になるのはリリースする方の息切れですね。

闇雲にアイテム集めに走るだけなら確かに仰ったような危惧はあり得るとは思いますが、一方でこれまで難しかった「題材を絞り込んだ風景づくり」がかなりやりやすくなっているのも事実で、「それらに似合う列車」と言う所を含めてコーディネートできるセンスがあれば楽しめる要素は大きいと思います。
その「センス」にしても後から身につけることが出来る(と言いますか体力や技術と違って「センス」は歳を重ねてもそこそこ身につけられるものではないかと思います。俳句や川柳などを見てもそう感じる事があります)点、年齢に関係なく楽しめるのではないでしょうか。
何より、鉄コレとミニカーブの登場以来、これまで以上に私たちは「単なる静止した建物の羅列」の中を「列車が走るというアクション」が加わる事で「眠っていた風景に命が吹き込まれる感覚」と言う素朴な意味でのレイアウトの魅力を知った筈ですから。
そしてレイアウトを作ると言う事は大きな魅力ではあります。ですがそれだけではレイアウトの楽しみの入り口に立ったに過ぎない気がします。
レイアウトならではの運転方法や運行形態を工夫する、気に入らないところや物足りないところに手を加える、自分の記念日にはお祭りを演出してみる、何ならMSやゴジラを屹立させてみる(笑)どれもこれもレイアウトを作るのと同等の楽しみがあると思います。
YANチョさんの題材に非常に触発されたのですが文才足りずつい長文かつ乱文になってしまいました。
ご勘弁ください。
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この記事へのコメント
なるほど。あのコメントの続きはこうなっていたんですね(笑)。
私も遊び心というのは大事だと思います。
リアリティを追求する事も,レイアウトの醍醐味かと思いますが
1つに偏らずフレキシブルな発想で楽しめば,また
違った面での楽しみや,面白味が見つかるかも知れませんしね。
コンセプトを持ちつつも,時にはそのコンセプトを崩せる
センスと心構えは非常に共感できました。
レイアウトの場合、車両模型以上に遊び心を発揮できる余地は大きいと思うのですが日本型ではなかなか実例にお目にかからないですね。
それにしても改めて見返すと実にまとまらない文章です(汗)これを全文コメントで書こうとしていた自分が恥ずかしい(大汗)