「二笑亭奇談」に感じること・1
今回は以前紹介した「二笑亭奇談」を読んで鉄道模型、或いはレイアウト趣味と関連付けて感じたことから。
内容が内容なだけにかなり強引な展開のところもありますがそこはご勘弁を。
まず、二笑亭についてのおさらいから書きますと、昭和の初期に普請道楽が昂じた富豪の一狂人が立てたとされる「二笑亭」という怪建築の探訪記を中心に纏めたものです。
この建物、言葉では説明しがたいのですが兎に角何から何まで規格外に出来上がっている建物でした。
三つ目の蜘蛛が歯を剥いている様にも見える正面ファザード、土蔵の中に屹立するどこにも登れない梯子、廊下の両端に向かい合わされた胸突き八丁の二つの階段、基本木造建築なのに天井の梁にこれでもかと使われている鉄骨の群れ。
およそ屋敷のあらゆる要素が詰め込まれているのにその大半が目的不明だったりあるべき所になかったりと見ているだけで不安感を駆り立てられる構造だった事が感じられました。
(WEBで検索すればそれらの写真の一部を見ることはできます)
実録系怪談話などで「お化け屋敷」とか「人食い屋敷」とかの話はよく聞きますが、「建物の存在そのものが怪物性を感じさせる(施主の意思はどうであれ)」建物としては空前の存在だったのではと思います。
WEBでこの建物の存在を知ったとき、私も最初は一種のお化け屋敷でも覗くような興味から見始めたのですが、本書を読んで強く感じたのは著者も書くように「これだけのものを作り上げようとした当主のエネルギッシュさ」と「異常としか言いようのない拘りの強さ」でした。これは文章よりも写真やモデルを見た時により強く感じるところです。
さて、ここからは二笑亭のいきさつやその特異な構造などを見て感じた事を。
造り手の趣味性を最優先して建てられた建物というものには二通りあると思います。
ひとつはいわゆる「普請道楽」建物そのものを建てる事を趣味とした人間がその趣味性を発揮して建てたもので「●●御殿」と称される建物の殆どはこれに該当します。
もうひとつは普請とは別の趣味を持った人間が自分の趣味に対応させる形で建物を構築してしまうケース。私の知る所では長岡鉄男氏のスーパーAVハウス「方舟」辺りが代表格であり、以前ミキストで取り上げられた「理想のレイアウトハウス」などがそれに相当します。
あるいは原信太郎氏のシャングリラ鉄道を収めた建物などもそれに入るかもしれません(レイアウトの列車を俯瞰で見下ろすための跨線橋みたいな構造が組み込まれています)
二笑亭の場合は前者の典型とも取れますが内部の間取りや建物の構成を見ると後者の要素も感じられます。
(とはいえ施主の趣味性がどういうものだったかが今一つはっきりしませんが「ナイヤガラの滝の大判写真を張り付けた茶室」等にその片鱗が伺えると言えば伺えるかもしれません)
前者の建物に特徴的な「他者に対する衒奇性」が表に出るのに対して後者の場合はその趣味によっては「普請とは別の目的性に徹するための異形性」が表に出てくると思います。
いずれにしても第三者から見た場合、これらの建物にはどこかしら理解不能な部分が生じやすく、そこが「化物屋敷」的な印象を与えていると思います。
特に二笑亭のばあい外見、構造ともに造り手の内面世界がこれでもかとばかり発揮され過ぎているがために観る者に与える異様感は強い物があると思います。
私もこれまで大レイアウトについて妄想じみた考察を重ねているうちに「理想の大レイアウトを収める建物」について情報を得たり考えたりする事が多いのですが、どうしても普通の建物とはかなり違う化け物屋敷みたいな物しか出来得ない気がします。
直射日光を避けるための窓の極端に少ない、それでいて時にはレイアウトに自然光を当てたいが故の天窓も欲しいですし、レイアウトにふさわしい容積を支えるための空調システムとかも必要でしょう。
建物にはレイアウトを作るためのワークショップも欲しいですし、列車の走りを楽しむためのギャラリースペースも欲しいでしょう。
でもこれらの条件を全て満たした建物が実体化したらどういう化け物屋敷が現出する事か。
そう考えると少し怖い気もします。
もっとも、そんな事が実現する可能性はゼロに限りなく近いですからはっきり言って撮り越し苦労ですが(笑)
ですがこれは家に限らず私たちが何かを作る時、心の隅に留めておいても良い事だとは思います。
光山鉄道管理局
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