大レイアウトを考える・レンタルレイアウトに思うこと
今回も妄想じみた考察になります。
金がない時はこの手の妄想が暴走しやすくて困ります(大汗)
都会を中心にレンタルレイアウトは花盛りで秋葉原なんかでも二つ三つは見かける様になりましたし、地方でも一つの県にひとつはある様な様相を呈しつつあります。
ただ、個人的な考えですが今後数年の間に「あるきっかけ」があればレンタルレイアウトは淘汰の時代に入ると考えています。
これまでは「手持ちの長編成を持ち込んで1時間くらい走らせられればいいや」と言うレベルでもてはやされてきましたが、鉄道バブル(とやら)の崩壊とは別として「客の目が肥えてくる」事による選別が今後一気に進む事が予測されるからです。
ここで先日の二井林一晟氏の一文からふたたび引用すると
(最初のうちは楽しんで運転していても)、あるのに喜びも束の間、だんだんつまらなくなってきて車両を代えたり繋ぎ変えたりしてみるが遂にはそれにも飽きて運転をやめてしまう。何故だろうか。
運転に飽きると言う側面については先日のブログでも感想を書かせて頂きましたが、それとは別にレンタルレイアウトそのものの持つ問題点も関係しています。
すなわち「では、『飽き(られ)ないレイアウト』とはどんなものであろうか」「でっかいお座敷運転とレンタルレイアウトの違い、優位性はどこにあるのだろうか」と言う点に関する追求がなされていない事です。
前回の考察ともダブってくる部分ですが、これらはレンタルレイアウトの淘汰の過程で必ずクローズアップされる問題になると思います。
極端な話、大都市にあってどんなに利便性に優れ、線路は一杯引き回されていても客が寄り付かなくなるレイアウトがある一方で、山の中の一軒家であっても県外からわざわざ客がクルマで乗り付けてまでして来るレイアウトがある、といった時代が来ると言ってもいいかもしれません。
その差を分けるのはひとえに「レイアウトそれ自体の魅力」であり「そこで手持ちの車両を走らせたくなる要因」ではないかと考えます。
それはシーナリィかもしれないし、トラックプランの巧みさかもしれない。あるいは一度に運転できる列車の本数の多さかもしれないし、自宅の組線路では不可能なゲーム的な運転が可能な事であるかもしれない。
私が考える大事なプライオリティは「どんな列車でもかっこよく走れる檜舞台」としての要素だと思います。
具体的には「組線路では不可能な大カーブと緩勾配」です。
現状の鉄道模型では車両の細密感とリアリティの向上に比べて線路周りのリアリティと言う点では一歩も二歩も遅れており、そのギャップの大きさが車輌派と運転派の大きな乖離を生んでいる要因となっていると思われます。
このギャップをどれだけ埋められるかがこれからのレンタルレイアウトの生き残りの鍵のひとつになるのではないかと思います。
更にいうならシーナリィの充実という点で理想的なレンタルレイアウトが作れるのならば、NゲージよりもHOや16番の方が将来的には有望ではないかという気もします。
これらのフォーマットの場合走らせるスペースがないのにフル編成を持っているファンも多く、「走らせたくても環境的に走らせられない」という欲求不満・需要は潜在的に大きいのではないでしょうか(私もその一人だったりしますが)
今回もまとまりのない駄文になりました。重ね重ねすみません。
(写真は本題と関係ありません)
光山鉄道管理局
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この記事へのコメント
もっとも、メーカーにすれば、大カーブが欲しければフレキシブルレールでどうぞ的考えかも知れませんが、手軽に大カーブが組める様に製品化すれば、ユーザーの発想も無限大になり、色々なシナリーを再現して、現実に近い走りが楽しめるかも知れません。
その分、資金も膨大になりますけどね・・・・。(汗)
>線路の方はやや現実離れした製品が~
仰る問題点は40年以上前は16番やHOが共通して抱えていた問題でしたが、ここに来てNゲージでも表面化しつつある気がします。
どちらにしろ物理的なスペースの問題(あと最近細密化に伴って顕在化している「最小通過カーブの大型化」も)ではあるのですが、走行派にとっての駆け込み寺的な意味でのレンタルレイアウトの存在意義はまだまだ大きいと思いますし「走らせて楽しい、眺めて楽しい」レイアウトと言うベクトルはもっと追究されても良い気がしますね。