Nゲージの「骨董モデル」に思うこと
今回は最近の入線車に感じたことから
2,3か月前でしたか、たまたま奥の出物に「関水金属の初代C50」というのがあり入札状況を見ていたらあれよあれよという間にとんでもない値付けが付き仰天した事があります。
最後の方では8万円弱位になっていたと思いますが落札画面を見ていないので最終的にはいくらになったのやら。
これで驚いているようでは自分には骨董コレクターは向いていないとつくづく思います。
さて、一昨年、鉄博風のモジュールを作った時にそこの展示車(もともと運転会で他のメンバーの自慢の車両を展示してもらう事が目的でしたからあまり自分のは意識していなかったのですが)をエントリーした時、自分の手持ちの車両の中に骨董物の旧モデルが意外に多いのに気づいて苦笑した事があります。
以前も触れましたが私の場合、趣味の中断期間の終わり頃に車両の大半を親類に譲渡してしまっており、基本的には再開以後の車両ばかりです。
ですからここに並ぶ骨董車両の群れは趣味の再開以降にあちこちの中古屋で見つけたものという事になります。
(中にはKATOのEF65とかDD13とかみたいに奥で見つけたものもあるにはあるのですが)
その目で見るとこの10年位でずいぶん増えたものです。
入線理由は値段の安さというのももちろんですが、親類に譲渡してしまったのと同じ機種を懐かしさにかられて購入するパターンとか、中断前の時期に「欲しくても買えなかったもの」への意趣返しとかもあると思います。
前者の場合は、中断前の青春時代の思い出を甦らせるという意味では純粋なノスタルジーという事になります。
ですが後者の場合はどう解釈したものやら(汗)
KATOの181系とか、TOMIXの香港583系、あるいはエーダイのキハ58系なんかがこれに該当します。
いずれも現代の水準でリニューアルされているモデルが多く、単純に出来を問題にするなら最新型のモデルを買った方が良いに決まっています。
ですが店先などでこれらの骨董モデルを見つけてしまうと親の仇を見つけた様な気分になります。
あの頃のあこがれのモデルは大概カタログや専門誌などの写真を食い入るように眺めたモデルが多く(笑)頭の中に刻みつかれた特徴が実物を目の前にすると甦る事で頭の中の何かのスイッチが入ってしまうようです。
で、気が付くと鉄博モジュールを埋め尽くしても足りないくらいの骨董モデル(そのくせプレミアは殆どなし)が並ぶ事になります。
我ながらなんという事かと。
不幸中の幸いはそれらの大半が1両辺り3桁価格だった事です。
今ほど骨董モデルにプレミアが付かなかった時期に集中して購入・入線させたのが効いていますが最近ではなかなかそうもいかない事も多いようです。
最近だと先日レストアしたEF70あたりがそんな値段でしたがあれくらいのパーツの欠落が無いと安くもならないようですね。
光山鉄道管理局
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この記事へのコメント
その中でもKATOのキハ20(T車)は唯一現存車両ですが、車輪が破損して、代わりに客車の台車を履いていたりします。(汗)
でも、「当時物」が懐かしく思う気持ち、十分に察します、私も現在再販されている物ではなく当時の製品が欲しくってたまりません。
ある意味、こんな昔の模型を探して集める、これも違った鉄道模型の面白みかも知れませんね・・・・。
旧製品は精密度では現行製品とは勝負にならないのですが、表情の付け方に個性や魅力があるものが多いのが面白い感じもします。
恐らく20年前だったらリアル第一主義で旧モデルをそんな風には観なかったと思いますが(笑)
骨董品や民芸品とは違い「自走できる」点が模型ならではのプライオリティでしょう。
この点についてはまた近いうちに書くつもりです。