万世橋の交通博物館の思い出2

前回の続きです。

 先日紹介した交通博物館のパンフレットの裏表紙の広告から。
 貿易センタービルの40階建てが自慢になった頃の雰囲気が感じられます。
 この他「マブチの空中モーターA-1」の広告もありました。思いっきり昭和40年代を肌で感じさせられます(笑)

 交通博物館の展示品でもうひとつ心を惹かれたのが模型店などでは見る事の出来ないラージスケールの精密模型。
 ある人が「解剖しかけた死体にしか見えない」と表現していましたが、今思えば実物の引き写し、単なる縮小版に留まらない独特の魅力、「手作りの模型」としての魅力が感じられて感動できました。
 (むしろこの点では最近のプラの量産品の細密模型の方に「冷たさ」を感じてしまう事があるのですが)

 それはさておき



 昭和50年に初めて交通博物館を覗いたのですが、それからしばらくして年に2,3回秋葉ツアーができる条件(要は故郷よりも首都圏に近いところに住み着いた)が揃う事になりました。
 ところが、あれほど秋葉に通い詰めながら交通博物館を覗くのは大分ご無沙汰する時期が続きました。

 電気街のはずれで万世橋を渡った先という地勢の問題もありますが、その時期が「鉄道模型の中断時期」ともろに重なったのが大きかったと思います。
 次に交通博物館を覗いたのは閉館が決定した前後の時期でこのタイミングを逃せない事もあって子供を連れて繰り出しました。


 驚いたのは(いや、これは当然なのですが)展示の大半が昭和50年当時と殆ど変っていなかった事です。
 たったそれだけの事なのに一気にあの頃にタイムスリップする感覚に襲われ涙が出るほど懐かしかったのが今も鮮烈に思い出されます。
 子供にしてみればHOのパノラマを別にすれば建物が薄暗い上に展示品の大半が古臭く感じられたのではないかと思いますが・・・

 ただ、その時に面白かったのは敷地の中で70年代の旧車のミーティングがされていた事です。館内では飛行機のソリッドモデルの教室だか展示会もあった様ですし。
 あの界隈は日曜になると異様なほど人通りが少なくなる所だけにこの一角だけが独特の活気にあふれていたのが強く印象付けられています。
 当時の交通博物館が「乗り物趣味人全般の殿堂」としての機能も果たしていた事が伺われますが、この種のコミュニティ機能を併せ持った施設が都心から失われた事ももったいない気もします。

 それからしばらくして交通博物館は閉鎖され大宮の鉄道博物館へ引き継がれることになります。
 皮肉な事に閉鎖の前後の時期に私の鉄道模型趣味が復活したものですから、取り壊し前の建物を外から眺める方が増えました。
 こんな事ならもっと通いつめればなんて思っても後の祭りです(恥)
  
 そういえばあの頃は「交通」博物館でしたから自動車や船、飛行機なんかもあったのですが鉄道に比べると今一つ貧弱な印象で昭和50年から全く変わっていなかった(鉄道はシミュレータやら模型の追加やらでリニューアルされているのですが)印象で2階以上は殆ど客のいなかったのが異様でした。
 あの展示物は今どこでどうしているのやら。
 大体上記の「交通博物館のすべて」ですらそれらの展示の説明は殆どありませんし。

 さて、本書は交通博物館の展示品紹介にとどまらず、博物館の舞台裏や所蔵の記録映画の紹介もあり単なるガイドブックよりも面白い部分も多いです。
 更に後半で展示用模型の工房や職人の紹介等も紹介されており鉄道模型のファンにも楽しめる構成になっているのが嬉しい。

 万世橋時代の交通博物館を覚えている人にはお勧めです(笑)

光山鉄道管理局
 HPです。

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この記事へのコメント

2013年09月25日 13:09
子供の頃は、秋葉原に行く=交通博物館へ行くでした。
少なくとも、小学生の頃までは年に1回は行っていたと思います。

その頃から、リニアモーターカーやスーパーレールカーゴの展示があったように記憶しています。
2013年09月25日 21:20
>oomoriさん

>小学生の頃までは年に1回は~

 人生で一番影響を受けやすい年代に一回見に行けたというのは羨ましい限りです。

 私も閉館までに二、三回は行った勘定になりますが、やはり小学生の頃のが一番インパクトがありましたね。

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