昭和20年代の「鉄道模型気質」と「レイアウトへの憧れ」

最近私の目からうろこをばらばらと落としまくっている「鐡道模型レイアウトの作り方」
本そのものについては以下のリンクをご参照ください。
日本最古(?)のレイアウト本を発掘する(笑)
本書では海外のファン気質に関する記事も面白かったのですが今回はその部分から。
この種の記事は私の場合はこれまでTMSの記事かミキスト、あるいはとれいん辺りの随筆で触れる程度で「日本はこうだけれど『欧米』ではこうだ」という書き方でしか触れなかったと思います。
ですが本書はレイアウトも鉄道模型も敗戦に伴うリセットが掛かった直後の時期の出版ですから、日本の現状を書く必要自体が薄かったせいか、後の入門書では大雑把に「欧米」と書かれるところを具体的にファン気質を書いているところが面白く感じました。
何しろその描写が楽しい。何だか鉄道模型版「蘭学事始」でも読んでいる様な気分になりましたが(笑)

「イギリスでは主に車両をこつこつと細かに作り、いわゆるクラブという所に頭のはげたおじさんが集まって『この機関車のこのところにリベットは何個なければならない』などという事を研究しているらしい」
「アメリカではドライバひとつで組み立てられる様になっているセットを買ってきて車両を作り床とか庭いっぱいに敷き回したレールの上を走らせて喜んでいるようで、中には機関士と同じ作業服を着、同じ帽子をかぶって喜んでいる人もあるようです」

と、いった調子です。
まあ、この本質は現在でもあまり変わっていない気もしますが。
翻って当時の日本の場合は「敗戦国日本では6畳の部屋に何人も住んでいる有様ですから、空き室はおろか屋根裏もありません。それでせいぜい鴨居の高さに高架鉄道を天井からぶら下げて楽しんでいる有様です」
今の日本はどちらかというとイギリス的な楽しみ方に近いかなという気がしますが、ユーモアのセンスに天と地ほどの差があるので必ずしも同一とは言いにくい気がします。
そのあとの「レイアウトの魅力」について語る部分。
もちろんこの当時は「レイアウト」が何なのかすらよくわかっていない頃ですが、素朴且つストレートにその魅力が語られていると思います。
「模型鉄道趣味というものは電車や機関車を苦心して作ることが大きな楽しみなのですが」、できたものを運転する事もそれに劣らず楽しいものです」
「車両を運転するにはどうしても線路が必要です。そしてただ車両をガラガラと走らすというだけでは興味がありません。停車場が欲しい、ポイントが欲しい、信号機が欲しいし、鉄橋だ、トンネルだとだんだん本物にある物を備えて本物の感じを出したくなります」
「そうなると運転するときに組み立て、終わったら片づけるという事は大変になりますし、満足の物が出来ませんので外国では屋根裏や空き部屋に半永久的のレイアウトを作ります」

この辺りになりますと「レイアウト」それ自体が天上の憧れだった時代の憧憬がストレートに伝わってきます。
ですが、この描写は時代や年代を問わず「鉄道模型のファンなら誰しも一度は通ってきた過程」ではないでしょうか。
仮令プラレールのセットや積み木の機関車ですら「車両だけでは物足りない」と思える所から徐々にバージョンアップを繰り返し、「いつかはレイアウト」みたいな思いを募らせる過程がどこかにあると思います。
それが実現できるか、夢想で終わるか、あるいはその中間をぶらぶらするかは人により様々かと思いますが、素朴に「レイアウトは楽しそうだ」と感じられる一瞬がある限りはその思いは大切にして欲しい気もします。
そんな事を思うから本書の一節一節が胸を打つのではないかともおもえました(笑)
光山鉄道管理局
HPです。

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