「レイアウト」と「ジオラマ」は同じものか?を考える(汗)
今回はかねて思っていた事から書いてみたいと思います。
それは「レイアウト」と「ジオラマ」は同じものかどうか?についてです。
一般にミリタリー系鉄道模型以外のジオラマのサイドからはレイアウトもジオラマの一種と言う考えが一部にある様ですし、鉄道模型サイドではジオラマに相当する物を「セクション」と呼ぶ事が多い様に感じます。
私も以前はレイアウトとジオラマを同一視する様な考えに傾いていた時期もあるのですが実際にレイアウトを作ってみた辺りからこのふたつは「似て異なるもの」と言う考えに固まりつつあります。
この呼称の違いについては単なる言葉遊びの域を超えてそれぞれの本質の違いにかかわる部分なので少し考察してみても面白い気がします。
もちろん私の考えが100パーセント正しくてこれまでの考えが間違っているという気は全くありませんのでその旨はご承知置きを。
私の考えから言うならジオラマとレイアウトの違いは端的に言って「彫刻」と「舞台芸術」、あるいは「絵画」と「映画」の違いと同じと考えています。
一般的なジオラマの場合、それが戦車であったり自動車であったり、あるいはフィギュアであったとしても舞台の中心たるべき主役が必ず配されているのが普通です。
全ての背景はその主役を引き立てる為の背景でありその配置は絵の構図と同様に高度に計算されたものです。
ですから主役がそのポイントから外れてしまうと全ての構図がぶち壊しとなり、ただの模型の羅列に陥ってしまう事、これも「ジオラマ」の宿命と言えます。
少なくとも舞台だけで成立しているジオラマと言うのを私は寡聞にして知りません。
ところがこれがレイアウトだと「常に同じ場所に車両がある」ことを前提にした作りは余りやりません。
むしろ動的な形で「列車が通過したり、走らせることを前提に背景たるシーナリィが計算されている」点でジオラマとは異なります。
同じ模型であってもレイアウトに近い物として「特撮映画のミニチュアセット」と言うのがありますが、これを「ジオラマ」と呼ぶ人は一般レベルでもあまりありません。
「レイアウト」は「ジオラマ」と混同されやすいのに特撮のそれは「セット」と呼ばれる。なぜでしょうか?
実はここに疑問を持った事が今回の考察の出発点になりました。
レイアウトとミニチュアセットは本質的に同じものと呼べるのに。
私の私見にすぎませんがレイアウトとジオラマを混同しやすい層は地方(田舎)の模型ファンほど多いのではないかと考えています。
と、言うのも(これまた偏見ですが)田舎のファンで実際のレイアウトを見たり触れたりする機会が潤沢にある人は少ないと思えたからです。
実物を見られない、触れられない分は専門誌の記事やグラフ、あるいは少ないながらも放送の機会が増えたテレビ番組で補って来ていたと思います。
何を隠そう(田舎者と言う点も含めて)私がそうでしたから(笑)
ですが写真だけで認識されるレイアウト、それも細密度が上がっている作品を見ると同じ静止した作りである「ジオラマ」との区別が段々に付きにくくなっているのも自覚されました。
極端な話、細密度だけで勝負するならミリタリー系のそれの方が技法面でもはるかに上な訳で「レイアウトよりもジオラマを作っている方が面白いのでは?」とか思えた時期もあった訳です。
その偏見が払しょくされたのは実際にレイアウトを作ってみてからです。
以前にも触れましたが風景が静止していてもそこを列車が通る瞬間に「生命が吹き込まれる感覚」が体感できたことで初めてレイアウトとジオラマの本質的な違いがわかった気がしたのです。
同時に特撮映画の風景が「ミニチュアセット」と呼ばれて区別される理由もこれと同じではないかと感じられたのです。
映画の場合作品の中で動画としてミニチュアが表現される訳でそれらは「静止した飾り物」では決してなく、映画の中で主体となるべきクリーチャーやメカが動き、同時に背景たるミニチュアも構図に合わせて縦横に動く事で初めてその魅力が感じられるが故にジオラマとの違いが明確な訳です。
同じ様なコンセプトでありながらレイアウトがそうならなかったのは単純に「露出度」の差でしかなかったと思われます。
田舎ではレイアウトの実物に触れる機会は少ない上に「自分で作ったり運転したりして見ない限りその魅力を理解できない」以上、そうした機会自体が少なければジオラマとの区別が付かなくなるのは当然と言えます。
写真ではレイアウトの魅力は3割くらいしかわかりません。「動画」で観ても半分位がいい所でしょう。
実物をライブで見てその魅力の8割がやっとわかるというのがレイアウトではないかと思います。
では残り2割と言うのは?
「自分で運転する」あるいは「自分でレイアウトを作る」と言った様にレイアウトにユーザーが能動的に参加する部分にその魅力があります。
人によってはその割合の方がはるかに大きいかもしれない。
この点において「レイアウト」と「ジオラマ」は非常に似た位置にあってそれでもなおかつ「異質なもの」と捉えていいのではないかと思えるようになりました。
レイアウトの愉しみは五感を駆使する極めて複雑なものです。視覚のみならず音や触感、どうかすると匂いまでもが影響しうる世界とも言えます。
こればかりは実際やってみないとわからない部分ではないでしょうか。
この件については考えが纏まったら、もう少し突っ込んだ形で書いてみたいと思います。
(写真は本題と直接関係ありません)
光山鉄道管理局
HPです。
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この記事へのコメント
レイアウトはそれ単体で列車を走らせることができるもの。
ジオラマは列車の運転を楽しむことはできないもの。
と考えていましたね。
30cm四方のミニレイアウトであっても、レールバスや路面電車しか走れないとしてもそれはレイアウト、
2m四方であっても列車を展示するだけならばジオラマだと。
ならば分割式レイアウトやモジュールレイアウトはどうなんだ?ときかれると困ってしまうわけですが。
レイアウトは、車両を走らせることを主な目的としたものと思ってます。
もちろんそこに本格的な情景を作って楽しむのもアリ、その中を走る姿を見て楽しむのがレイアウトでしょうか。
一方、ジオラマは車両は走らなくっても、情景を作り込んで、見て楽しむことが主な目的と考えております。
遠近法などを使って写真を撮って楽しむのもいいですね。
でも、固定概念を払拭して楽しむのが一番ですね。
詰まる所私も柴乃さんと同じ考えに落ち着いてきていますね。
モジュールや分割式はどうなのかというご指摘はなかなか考えさせられる点だと思います。
実はこのコメントをきっかけに少し思う所が纏まりそうなので近いうちに考察を上げられると思います。
>レイアウトは、車両を走らせることを主な目的としたもの~
たぶんその通りと思います。
ただ、自分でこんなブログを上げて置いてこう書くのもなんですが(大汗)実際にはレイアウトとジオラマの間には相当に広いグレーゾーンもあるとも思えますし、その辺りもレイアウトとジオラマの境界のあいまいさ(あいまいでも別段問題はないのですがw)のひとつの理由にはなっている気もします。
今回のコメントをきっかけに思ったより早く考えが纏まりそうなので、その辺りも含めて近いうちにもう少し突っ込んだ考察もしてみたいと思います。