鉄道模型の骨董モデル(笑)を走らせていて思うこと

 鉄道模型を始めて40年、その間20年の中断期間をはさんで2005年に再開してから10年ほどが経ちました。
 その間にNスケールのモデルだけ取っても相当の変化と進化がありましたが、鉄道模型のフォーマットの中で短期間にこれほど変化の激しかったのは他にはなかったような気がします。

 その過程の中でいつの間にか初期のNモデル(大雑把に言って1980年頃まで)の歴史的な意義と骨董的な価値に注目が集まり始めているのも興味ある現象です。
 まあ、私の様にかつて買えなかったモデルの仇討などという側面を持っているケースもあったりすると思いますが。


 ただ、Nの場合元々レイアウトの普及を目的に登場したフォーマットなだけに建築限界やカプラーなどの規格さえ合っていれば同じレイアウトで最新モデルと50年前のモデルが同じ様に走れる(しかも当初危惧された様なプラスチックの経年劣化や走行系のトラブルも意外に少なかった事も特筆されるでしょう)のは実際驚きです。
 よほど細密に拘りを持っていない限りそれらが並立しても意外とその差は目立たないですし。

 実際、運転会などではサイズの小ささがモノを言っているせいか30年前のブラスボディと最新型のプラ成形の電車が一緒に走っていても余り気付かれない事が多いです。皮肉な事にNの場合サイズの小ささゆえにマクロレベルの印象把握の方が細密度よりも目立つ事の方が多い気もします(あくまで大レイアウトを使った運転会での話ですが)


 その点では16番の場合、40年前の宮沢のブラスモデルと3年前の天賞堂のプラのC58を並べてみると驚くほど細密度や再現性の差を感じてしまいます。

 もちろん走行性でも年式の差というものはあり、旧モデルはNよりも高い確率で走行性の劣るものが多いのも確かですが。
 「走らせるだけではなく飾る事も出来る」とは以前鉄道模型についてある交通ライターが描いた一節ですが、Nよりサイズが大きい分飾った時に目立ちやすい16番の場合、そういう意味でのモデルの陳腐化は目に付きやすい気がします。
 (どちらかと言うと16番の場合は特に走らせる事と飾る事の意義が逆転してしまっている印象もあるのですが)

 そこで気になったのですがこの種の16番ファンの場合、「細密度の上がったモデルが登場したらそれまで持っていた旧モデルはどうなってしまうのだろう」と言う事です。
 Nですら以前に「細密な新モデルが出たら旧モデルはジャンクしてしまいます」などと平然と言うファンがいて驚かされた事があるのですがNよりも飾られたり死蔵されたりする率の高そうな16番モデルの場合、歴史が長い分気になる所です。

 これも実際に思い立った時にすぐ走らせる場がきちんと提供された環境があれば16番といえども印象が変わってくるのかもしれません。
 現に日本製ブラスモデルとと海外のプラ製量産品の違いと言う形で以前水野良太郎氏が著書の中で書いた事がありますが、よく走るモデルほどディテーリングが気にならない(せっかくの細密モデルも走行中はその細密感がスポイルされてしまう)訳でモデルとしての印象把握が優れていればディテーリングは最小限でも問題ない。
 言い換えれば上記の条件を満たせれば50年前の旧モデルでも現役で活躍できるという事がレイアウト派、運転派では多いとも思えます。
 
 Nの場合はかなりの旧モデルでもそこそこの走行性能が確保されている(か、ちょっとした調整で走る)事が多かった(そうでないのもありましたが笑)ので車両としては骨董品級のモデルでも現在のレイアウトで走行可能なものが多いです。その意味では「旧車趣味」に近い楽しみ方もやりやすい気もします。

 こんな事を考えたのも最近になって「運転用途主体としか思えない16番モデルの骨董品」を入手した事と無関係ではないのですが、それについてはいずれまた。

光山鉄道管理局
 HPです。

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