あれから3年がたちました
「あの年の暮れ」のブログにも公開しましたが、上の写真は震災当日の夕方、帰宅した時に見たレイアウトの状態です。
朝、自宅を出た時には車両も何も整然としていたのですが、まるで実景を見たような錯覚を覚えてあの時は心底ぞっとしました。
午後の勤務中、突然周囲のサイレンが一斉に鳴らされました。
時は午後2時46分。東日本大震災が発生した時間です。
あの日から3年が経ちます。
私の場合は親類の一部や同僚の故郷などに被災者が出たものの死者やけが人が無かったのは幸いだったと思います。
ですが当日から2週間位はどうにも落ち着かない状態だったのも確かです。
最初の1週間位は先日の大雪並みに店頭から保存食や乾電池、ガソリンなどが払底しましたし翌週からはいわゆる「計画停電」と言う形で実生活の中にも「非常時」の感覚が刷り込まれました。
そしてその間にも時々やってくる余震、どうかすると震源域からかなり離れた静岡や長野が震源の地震にまで驚かされましたし。
お陰で直接的な被害こそ最小で済んだもののこの期間の思い出は軒並みトラウマとして記憶に刻まれる事になりました。
(テレビからして通常のCFが一切消滅しひたすら公共広告機構ばかりでした。そのせいか今でも公共広告機構のCFを見るのが苦痛になる事があります)
津波の映像などをみるとひとつの大波を境に「それまでの日常の風景」が完膚無きまでに消え去る様が残酷なほど視覚化され、恐怖感と同時に無常感の様な物をも感じさせられました。
これは決して余所の話ではない。
明日にでも、いや、この10秒後にもやってくるかもしれない事です。
現に3年たった今でも被災地は復興はもとより後始末すらろくに進んでいない現状です。
恐らく阪神大震災のそれよりもはるかにスローなペースでしょう。それほどの大災害だった訳です。
そうした危機感はこれからも持ち続けなければならないと思います。
例えその記憶がトラウマであっても決して忘れてはならないでしょう。
そんな事を考えさせる3月11日でした。
なお、改めて今回の災害の犠牲になった方の冥福をお祈り致します。
光山鉄道管理局
HPです。
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この記事へのコメント
この3月11日という日が近づくとやはりあの時の大きな地震の揺れ、そして大規模停電、ガソリン不足などの記憶が蘇ってきます。
沿岸部の甚大な津波被害に遭われた方に比べれば何千万分の一程度の苦しみだったと思われますが、この時一番悔やまれたのが停電によって沿岸部の情報がラジオのみでしか知ることが出来なかったこと、今、沿岸ではどの様な状況で何が起きているのか正確な情報がわからないまま3日を過ごしたことでした。
まさか、地元沿岸部があんな状況になっていたなんて信じられない状況でしたね。
少しづつですが、復興も進んできている様ですが、まだまだ長い年月が掛かると思います。
三鉄が4月に全線開業するので、復興に更なる弾みがつくことを願いたいです。
私の場合はそちらとは逆で停電が無かったので沿岸部の映像がどんどん入っていながらその状況が向こうでは伝わっていない事(完全に停電している夜の盛岡の中継画像もありました)にいら立ちの様な物を感じました。
>沿岸部の情報がラジオのみでしか知ることが出来なかったこと~
昨年の今頃でしたか、IBCから出た震災当日のラジオ放送のCDを購入し、当時の現地の緊迫感にぞっとした事があります。
しかし当時のIBCのアナウンサーができうる範囲とはいえいかに機敏かつ的確に放送していたかが伺えました。
先日の大雪の際の「危機感がゼロに近かった現住地の地元マスコミの体たらく」と引き比べると大変な違いだと思います。
徐々にでも確実に復興が進む事、その過程で何か清新な変化があればあれだけの犠牲や損害も無駄にはならないと思います。
せめてゆっくりでも良い方に進む事を祈らずにいられません。