「模型」と「オモチャ」のあいだに、先日読んだ本から

 この間から書いてきた「モケイ」と「オモチャ」のはなし。そろそろまとめです。

 先日読んでいた1968年のTMS誌上のコラム「ミキスト」に模型とオモチャの差異について興味深い一文を見つけました。
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 「非常に広く考えれば鉄道模型もオモチャの一種であろう。すなわち、オモチャの中に広義の鉄道模型があり、その中にオモチャ的な物とスケール的(或いはホビィ的な)物がある。
 そして、オモチャ的というのは悪いと同義ではない」(11月号)
 「玩具は買う人やそれを使う人にその知識が全くない。模型は作る人はもちろんの事買うだけ使うだけの人でもある程度の知識を持っている。これが大きな違いだというのである。至言だと思う。
 だから玩具の流行は売る人が作るが、模型は買う人が作るべきかもしれない。今の日本のファンにはそんな元気は全く見られないのが残念である」(12月号)

 正に至言であり、読んでいて何度も膝を叩かされました。
 おかげで膝が痛い事(笑)
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 あと、ミキストではありませんがこういう寄稿もありました。

 「女性を博物館に連れて行ったことがある。

 そんな具合だから私が16番の車両を見せてこれは実物を正確に1/80の縮尺で作ってあるのだと説明しても納得がいかない。博物館にある1/20の模型と同じくらいの細かさとはどうしても思えない様子である。
 (中略)16番などは彼女には動輪とシリンダーの上に丸棒のボイラーを載せて置けば十分である。工作云々などはとても理解してもらえぬ。ただしよく走らねばならぬ。
 細密機などは走らなくても良いらしい。器用さを認めて貰いたければガラスケースの中に京人形みたいに飾っておけばよい。
 つまり、彼女にとって鉄道模型と模型は違うのである。鉄道模型はよく走るもの、模型は飾って陳列するものなのだ。

 一理はある」
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 これなども模型とオモチャの関連について考えさせられる要素をはらんだ話と思います。

 結局のところ、模型もオモチャもそれを手に持つ物の心掛け次第という事なのでしょう。
 そうでなければ社会的にそれなりの実績を上げている大人のひとの中に「リカちゃん人形」や「プラレール」を集める趣味の人が居たりする事が説明できません。
 物事の上っ面だけ見て「幼稚だなんだ」「紳士の趣味だ」とレッテルを貼るだけの不毛な発想ではこの楽しみは分からないし、何かむなしい気もしてきました。
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 そういえば上記に関連してTMSの先々月号辺りの記事でいのうえこーいち氏が書かれていた「マイブームの勧め」も膝を打つと同時に感心しました。
 自分だけのマイブームを持ち、それを重ねる事で楽しみだけでなく見識も広げて行くと言うのはまさに周囲の時流に流されないという意味では「大人の愉しみ」と言えます。
 46年もの間が空いていますが個々に書かれている事の本質はまさに一緒でしょう。

 そんな事を思うにつけ、模型だオモチャだと区分けして考える事が正直バカバカしくなってきたのも確かです。
 これまでの考察は私個人の中での模型とオモチャの間のグレーゾーンを考察してきましたが、結局のところそれを決めるのは作る人、買う人、使う人の一人一人の心掛けだけであるという当たり前の結論に帰結してしまいます。

 そろそろ思考のから回りもこれ位にしたいと思います。
(写真は本題とは関係ありません)
光山鉄道管理局
 HPです。


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この記事へのコメント

YANチョ
2014年05月04日 08:33
お早う御座います。

ええ。私もまったく同じ見解ですね。
広義だろうが固定観念だろうが,どんなカテゴリーに属してても
扱う各人の発想や思い入れで,どんな形にでも変化出来ますし
そう言った想いこそが,個人の拘りに繋がる訳ですしね。

まぁでも見知った人間でも無い限り,人の趣味なんて立ち入れる
領域じゃないので,あくまで個人の意思の問題なんですよね。
良い意味で十人十色と解釈したいものです。
光山市交通局
2014年05月05日 22:31
>YANチョさん

 コメントありがとうございます。

 定義というものはそれぞれの思い入れで異なるのが当然ですし、またそうあるべきと思いますが、ここで大事なのは個人の思い入れを他者に押し付けない事ではないかと思います。

 特に「模型」か「おもちゃ」かの話題についてはそうした傾向が目立つ気がするので自分なりの考えを今回まとめてみたつもりでいます。

 ですが相変わらず不消化な結論になってしまったのが何ともですが。