Nゲージ蒸気機関車・PECOのLMSジュビリーに懐かしみ、驚く(笑)
今回はNゲージ中古モデルの掘り出し物から。
ある年代には有名だった割にこれまで私も触れた事のないモデルです。

PECOのLMSジュビリータイプの4-6-0蒸気機関車。
おそらくこれを覚えているか知っている人は少なくとも40年以上のキャリアを持つNゲージャーでしょう。
Nゲージの揺籃期だった1971年暮れ頃、PECOの輸入代理店でもあるTMSこと鉄道模型趣味の機芸出版社がNゲージの普及を目指して発売した蒸気モデルです。
何しろこの当時日本形の蒸気はKATO(関水金属)のC11とC62のみ(C50は既に生産中止でした)
ラインナップ上でちょうどこの時期は手頃な中型蒸機が存在していませんでしたからディテーリングを外せば大正期のテンダー機に見えない事もないジュビリーを出す意義は大きかったと思います。

ですがこの機種については知名度の割に専門誌で取り上げられる事の少ないモデルでもあります。
これは推察ですが当時唯一の鉄道模型専門誌が輸入・販売していた事から他のメーカーの手前あまり大っぴらに宣伝できなかったのではないかと思います。
ましてどんなに物が良くてもあまり褒めると我田引水に取られかねない恐れもあったでしょうし。
実際、当時のTMSのバックナンバーを見てもこのモデルの紹介、特に走りについての記述は殆ど書かれていません。
なにしろ本機について一番まとまった記事が72年3月号で「ジュビリーを日本型フリー蒸気に改造する」と言う位です。
改造記事なので一度分解する必要上モデルの構造についてはよくわかるのですが…
そのジュビリーを大宮の某ショップの店頭で見つけたのですから手を出さない訳に行きませんでした。
いつもの様にもちろん安さも決め手だったのですが(汗)

帰宅後早速走らせてみました。
このモデルはブランド名こそPECOですが実際にはイタリアのリバロッシに外注した物です。
リバロッシと言えば当時アーノルドに並ぶ世界的なブランドですので走りについては折り紙つきの筈です。
走り初めこそ引っ掛かりが合ったのですがひとたびギアの辺りが付いてくると信じられないほどのスムーズな走りを見せました。
40年前の超が付く中古モデルとしてはこれは異例な事です。
動力は3軸のテンダーにモータを内蔵したテンダードライブですが実に滑らかです。機関車部は動力に押されて走る形になるのですがロッドを空回りさせるだけでなくきちんと車軸にギアを噛ませてロッドの引っ掛かりを防ぐ機構になっています。
恐らくロッドの引っ掛かりのトラブルは皆無でしょう。
もちろん「テンダーに押されている」感は全くありません。
このスムーズさがこのモデルの最大の特徴であり美点であると断言しても良いでしょう。

この走りに比べたら後から出たTOMIXや中村精密のテンダードライブ機が一種の欠陥品に見えてくるくらいです。
この走りを楽しんでいるうちにこのロコが外国型である事をしばしば忘れてしまいます。
逆に言えば走りの良さは国境を超えるという事なのでしょうか。
それを差し引いても外国型のトレードマークとなる一部のディテールを撤去するだけでも「大正期の輸入機」で通用しそうな端正なプロポーションは持っていると思います。
いずれにせよこれは結構な掘り出し物でしたし、この間から入線しているMODEMOのスハ32や古くから出ているのに適当な牽引機に恵まれないKATOのオハ31系にはよく似合う蒸気と言えます。
光山鉄道管理局
HPです。本日「思い出の書籍」の項更新しました

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PECOのLMSジュビリータイプの4-6-0蒸気機関車。
おそらくこれを覚えているか知っている人は少なくとも40年以上のキャリアを持つNゲージャーでしょう。
Nゲージの揺籃期だった1971年暮れ頃、PECOの輸入代理店でもあるTMSこと鉄道模型趣味の機芸出版社がNゲージの普及を目指して発売した蒸気モデルです。
何しろこの当時日本形の蒸気はKATO(関水金属)のC11とC62のみ(C50は既に生産中止でした)
ラインナップ上でちょうどこの時期は手頃な中型蒸機が存在していませんでしたからディテーリングを外せば大正期のテンダー機に見えない事もないジュビリーを出す意義は大きかったと思います。

ですがこの機種については知名度の割に専門誌で取り上げられる事の少ないモデルでもあります。
これは推察ですが当時唯一の鉄道模型専門誌が輸入・販売していた事から他のメーカーの手前あまり大っぴらに宣伝できなかったのではないかと思います。
ましてどんなに物が良くてもあまり褒めると我田引水に取られかねない恐れもあったでしょうし。
実際、当時のTMSのバックナンバーを見てもこのモデルの紹介、特に走りについての記述は殆ど書かれていません。
なにしろ本機について一番まとまった記事が72年3月号で「ジュビリーを日本型フリー蒸気に改造する」と言う位です。
改造記事なので一度分解する必要上モデルの構造についてはよくわかるのですが…
そのジュビリーを大宮の某ショップの店頭で見つけたのですから手を出さない訳に行きませんでした。
いつもの様にもちろん安さも決め手だったのですが(汗)

帰宅後早速走らせてみました。
このモデルはブランド名こそPECOですが実際にはイタリアのリバロッシに外注した物です。
リバロッシと言えば当時アーノルドに並ぶ世界的なブランドですので走りについては折り紙つきの筈です。
走り初めこそ引っ掛かりが合ったのですがひとたびギアの辺りが付いてくると信じられないほどのスムーズな走りを見せました。
40年前の超が付く中古モデルとしてはこれは異例な事です。
動力は3軸のテンダーにモータを内蔵したテンダードライブですが実に滑らかです。機関車部は動力に押されて走る形になるのですがロッドを空回りさせるだけでなくきちんと車軸にギアを噛ませてロッドの引っ掛かりを防ぐ機構になっています。
恐らくロッドの引っ掛かりのトラブルは皆無でしょう。
もちろん「テンダーに押されている」感は全くありません。
このスムーズさがこのモデルの最大の特徴であり美点であると断言しても良いでしょう。

この走りに比べたら後から出たTOMIXや中村精密のテンダードライブ機が一種の欠陥品に見えてくるくらいです。
この走りを楽しんでいるうちにこのロコが外国型である事をしばしば忘れてしまいます。
逆に言えば走りの良さは国境を超えるという事なのでしょうか。
それを差し引いても外国型のトレードマークとなる一部のディテールを撤去するだけでも「大正期の輸入機」で通用しそうな端正なプロポーションは持っていると思います。
いずれにせよこれは結構な掘り出し物でしたし、この間から入線しているMODEMOのスハ32や古くから出ているのに適当な牽引機に恵まれないKATOのオハ31系にはよく似合う蒸気と言えます。
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この記事へのコメント
コメントありがとうございます。
ケースはプラ製で水色のスリーブの入ったタイプでした。薄黄色のラベルは箱の底から出てきましたが当時で8500円という値段には驚きました。
ミニトリックス辺りよりは安価とはいえ当時としては結構な値段だったのではないでしょうか。
グラハムファリッシュはJINTYなどを入線させていますが機種によって造形の当たりはずれが非常に激しい印象があります。そちらが仰っていた様な「透明プラバンに印刷した」奴は客車類を以前見た事がありますがあまりに豪快な構造に手が出ませんでしたね(笑)
ロンスターのNサイズモデルですが、70年代の初め頃の「まんが模型工作教室」という入門書で「安価な鉄道模型の愉しみ方」のひとつとしてこれの動力化が紹介されていた事があります。
当時流行のスロットカーレーシングのパーツを用いて線路の中央に「第3軌条」を設置するというなかなかワイルドな技法でしたが、あの当時ですらロンスターのモデルというのは見かけなかったのでいったいどんなモデルだったのか長い事分かりませんでした。
ごく最近にRM MODELSの鉄道模型考古学で写真が紹介されようやくアウトラインだけは判りましたが、ここまでわかるのにたっぷり40年以上要しました(笑)
ロンスターの構造は後になって私も知りましたが、仰る様にこれを自走させるにはかなりに手間を要する感じがしますね。
とはいえあの当時は小中生レベルでも結構手を動かして作る事への抵抗が少ないですから(ある程度以上器用なこでないと難しいでしょうが)上述のやり方を実行した向きもあるいはいたかもしれません。
Nに限らず鉄道模型のレールシステムは大概の場合海外ブランドの模倣からのスタートが多かったですね。もともと日本独自のシステムでもなかったですから試行錯誤も多かったと思います。