夜行列車に勇気づけられていた頃(笑)のはなし
このあいだ真夜中に時刻表を読み返していて思い出した事から。

以前にも書きましたが私の父方の実家は東北本線を見渡せる山の山腹にありお盆や年末年始などにはよく泊まりがけで手伝いに行ったものです。

この「盆暮れ正月」というのが曲者でして実家の周りは比較的街に近いとはいえ夜8時ともなると人通りは全く絶え、10時以降ともなると完全に草木も眠るという丑三つ時状態(まあ東北の真冬に勢いよく生えた草なんかありませんが)
特に冬の夜などは外出どころか家から3歩離れるだけでも結構な恐怖感が味わえるロケーションでした。
ところが目の前を通る当時の東北本線は丑三つ時どころか殆ど終夜運転のセブンイレブン状態。
当時はブルトレは勿論、座席寝台の急行の全盛期だった上に貨物列車や荷物列車まで行き来していましたから余程の深夜でも列車が通過するのが当たり前と言う賑やかさだったのです。
増して上述の様に盆暮れ正月ともなると通常の他にかなりの臨時列車が走るのですからその賑やかさもピークとなります。

当時子供だった私にとっても無人島状態の寂寥感の中、この列車たちにはどれだけ力づけられた事かわかりません。

さて、私の手元にある昭和53年1月号の時刻表で一体どれだけの密度で夜行列車が走っていたのか調べて見ると驚くなかれ旅客列車だけで深夜0時から早朝6時までの間だけでも上りが6本、下りが12本の計18本が通過していたと言うのにまず驚かされます。
(上りが少ないのは午前0時以前に通過する列車が多い為です)
ちなみに当時は普通列車の最終は午後9時台で現行のIGRよりも2時間も早かったのには別の意味で驚きでしたが。
しかもこれは旅客列車だけのはなしでこれとは別に荷物列車が上下線1本づつ、貨物列車は時刻表には掲載されませんが運行密度の低い深夜の運行もそれなりにある筈ですから恐らくは上下線で25本~30本は走っていたのではないかと思います。

つまり深夜0時から朝6時までの間平均して1時間に3本から4本の列車が走っていた事になります。
実家は盛岡と青森のちょうど中間に位置しているので0時台~1時台は主に上野行きの上りが、3時以降は青森行きの下りが多い感じになる様です。
正に深夜の不夜城状態です。
さて、上野発の長距離列車というのは岩手では「田舎の中に直接都会の空気を乗せて突っ走る」イメージがあります。
交通機関の発達・進化は色々な形で生活や人生に変革をもたらしたと思うのですが、その最たるものが「出発地の空間を直接目的地へ運ぶ様になった」と言う点ではないでしょうか。
それは例えば奥中山の踏切に立って轟音とともに通過してゆくはつかりの車窓の中に「東京や仙台の空気・雰囲気」を感じてしまう感覚でもあります。
そうした都会の空気を終夜にわたって感じられた環境と言うのは中々の贅沢だった気がします。

因みに今、この実家の裏にはほんの数メートルを隔てて東北新幹線が通っているのですが胸壁が高すぎて列車が見えない上に新幹線は規定で深夜0時以降の運行ができないのでこれほど詩的な気分にはなれません(笑)
何より、夜行列車が壊滅した今では真夜中の実家は文字通りの秘境状態。
夜怖いったらありません。

それは置いておいて、
寝る前のひと時布団の中で昔の時刻表を観返しながらあの頃の深夜に思いを巡らせてみると結構眠れる気がします。
(写真は本題とは関係ありません)
光山鉄道管理局
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以前にも書きましたが私の父方の実家は東北本線を見渡せる山の山腹にありお盆や年末年始などにはよく泊まりがけで手伝いに行ったものです。

この「盆暮れ正月」というのが曲者でして実家の周りは比較的街に近いとはいえ夜8時ともなると人通りは全く絶え、10時以降ともなると完全に草木も眠るという丑三つ時状態(まあ東北の真冬に勢いよく生えた草なんかありませんが)
特に冬の夜などは外出どころか家から3歩離れるだけでも結構な恐怖感が味わえるロケーションでした。
ところが目の前を通る当時の東北本線は丑三つ時どころか殆ど終夜運転のセブンイレブン状態。
当時はブルトレは勿論、座席寝台の急行の全盛期だった上に貨物列車や荷物列車まで行き来していましたから余程の深夜でも列車が通過するのが当たり前と言う賑やかさだったのです。
増して上述の様に盆暮れ正月ともなると通常の他にかなりの臨時列車が走るのですからその賑やかさもピークとなります。

当時子供だった私にとっても無人島状態の寂寥感の中、この列車たちにはどれだけ力づけられた事かわかりません。

さて、私の手元にある昭和53年1月号の時刻表で一体どれだけの密度で夜行列車が走っていたのか調べて見ると驚くなかれ旅客列車だけで深夜0時から早朝6時までの間だけでも上りが6本、下りが12本の計18本が通過していたと言うのにまず驚かされます。
(上りが少ないのは午前0時以前に通過する列車が多い為です)
ちなみに当時は普通列車の最終は午後9時台で現行のIGRよりも2時間も早かったのには別の意味で驚きでしたが。
しかもこれは旅客列車だけのはなしでこれとは別に荷物列車が上下線1本づつ、貨物列車は時刻表には掲載されませんが運行密度の低い深夜の運行もそれなりにある筈ですから恐らくは上下線で25本~30本は走っていたのではないかと思います。

つまり深夜0時から朝6時までの間平均して1時間に3本から4本の列車が走っていた事になります。
実家は盛岡と青森のちょうど中間に位置しているので0時台~1時台は主に上野行きの上りが、3時以降は青森行きの下りが多い感じになる様です。
正に深夜の不夜城状態です。
さて、上野発の長距離列車というのは岩手では「田舎の中に直接都会の空気を乗せて突っ走る」イメージがあります。
交通機関の発達・進化は色々な形で生活や人生に変革をもたらしたと思うのですが、その最たるものが「出発地の空間を直接目的地へ運ぶ様になった」と言う点ではないでしょうか。
それは例えば奥中山の踏切に立って轟音とともに通過してゆくはつかりの車窓の中に「東京や仙台の空気・雰囲気」を感じてしまう感覚でもあります。
そうした都会の空気を終夜にわたって感じられた環境と言うのは中々の贅沢だった気がします。

因みに今、この実家の裏にはほんの数メートルを隔てて東北新幹線が通っているのですが胸壁が高すぎて列車が見えない上に新幹線は規定で深夜0時以降の運行ができないのでこれほど詩的な気分にはなれません(笑)
何より、夜行列車が壊滅した今では真夜中の実家は文字通りの秘境状態。
夜怖いったらありません。

それは置いておいて、
寝る前のひと時布団の中で昔の時刻表を観返しながらあの頃の深夜に思いを巡らせてみると結構眠れる気がします。
(写真は本題とは関係ありません)
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この記事へのコメント
楽しく読ませていただきました(^^♪
東北本線を見渡せるロケーションは羨ましく思いますが、うらめしや~の雰囲気はご遠慮したいところです(笑)
昔の夜間の通過、結構な数ですね。大動脈の東北本線では当たり前なんでしょう(^-^; 列車の中にその空気を見るというのは分かります。列車にはそれぞれ地方感というか乗っている方を含めて雰囲気を作っていましたね。そんな気がします。
しかし時刻表はその時代にタイムスリップ出来ますね。(妄想癖の私だけ…)特に好きな時代のものは。
私も寝台列車が無くなる事をきっかけに古い時刻表を求めましたが、ほんとに良き時代です。
しばらく時刻表にハマりそうです(^-^;
東北には、何度か観光で足を運び 岩手県に関しては、先月末 三陸沿いを旅しました。
もしあの時、東北を一人旅が出来る年齢であったら、寝台特急「北星」特急「やまびこ」「みちのく」「はつかり」急行「もりおか」「いわて」常磐線経由 普通列車・・・・今回は、どの列車で行こうかな?そんな楽しみもあったと思います。
今は、遅い新幹線でも3時間もあれば、盛岡についてしまいます。
昔は、「やっと盛岡についた」だったのが。今は、「もう盛岡についた」ですよね。
古い時刻表は、自分も持参しております。時々見ては、当時のことを空想しています。
東北線のかさ上げしたホームの断層をみると、きっと昔は、客車が走っていたんだなと感じます。
記事と関係ないですが、先月末 乗った 釜石線。仙人峠を越える車窓には感動しました。
学生時代の実習とか、今の住所になってからの帰省の関係でその時期節目節目の時刻表趣味とは別の所で必ず買っていたのですが、スマホを買ってからは乗換案内ソフトに頼りっきりになってしまいました。
こういう所から人間は堕落してゆきます(汗)
寝台列車の激減には新幹線の延伸の要素もありますがそれ以上に夜行バスの伸長が大きいですね。私の親類などは新幹線よりも夜行バスを使うケースがかなり増えています。
料金が新幹線の半額以下なのと出発地の融通がかなり利くのを考えると無理もないのですが、旅情の点では寂しい物があります。
夜行列車全盛期の時期は東京方面に行く用が殆ど無かったので私が乗った事があるのは20系時代の「北星」だけです。当時は併結のワサフ8800を見るのが楽しみでした(笑)
私の学生時代までは東北本線の普通は客車列車ばかりでした。
それもオハ47、オハフ61といった旧客が少なくとも80年代半ば頃までは現役だったのでオハ50系の活躍期間が意外に短かった(90年代終わり頃には701系電車に切り替わります)感じがします。
母方の実家が土沢なので幼少時までは釜石線はよく使っていたのですがその先にある仙人峠は私も昨年秋に初めて列車で通りました(汗)
秋の紅葉シーズン辺りはなかなか見応えのある車窓風景ですね。