「鉄道模型は高いのか?」について考えてみる・3
~「私はね、ワインは飲むもんだとばかり思っていましたがね。でも投資の対象にしている人がいるんですね」
「そうですとも。置く年数が経っただけ値が出てくるんです」
「ただの一本で100ドルする奴があるんですってね」
「その程度なら…大した事はありません。私はこの間5000ドルで買いました。N.Yでね」
「へえ…一本5000ドルのワインですか。親父は1年がかりでもそうは稼げなかったなあ。1年の稼ぎを一晩で飲んじまうとはねえ・・・」
(刑事コロンボ「別れのワイン」の会話より引用)
完成品の価格について一番敏感なのはモデラーでしょうか、コレクターでしょうか、それとも運転派なのでしょうか。
どのジャンルでもそれなりにモデルの高価格化の悩みは持っていると思いますが、特にその影響が大きそうなのはコレクターなのではないかと思います。
次に改造やメイクアップの素材、ベースモデルに悩むようなモデラーという所でしょうか。
運転派は・・・コレクター、モデラーのどちらの要素も持っていそうな反面、お気に入りの編成さえそろっていれば(この数の個体差は大きそうですが)割合新車の増備には淡々としていそうな気もします。
その意味で一番鵺的な性格が強いのが運転派とも言えます。
欧州で圧倒的なシェアを誇り彼の地の知名度はコカコーラ以上とされるメルクリンHOのスターターセットは日本で買うなら大体5~6万円。
運送コストなどもあるので現地価格はその半分位らしいと聞いたことがありますがそれでも換算で3万前後といったところでしょうか。
機関車類は彼の地で名の通った大型機で7万から10万前後、上述のパターンに当てはめると現地では4万から6万位という事になります。
これを高いと感じるか安いと感じるか。
少なくともドイツをはじめとする欧州ではこの値付けでも十分鉄道模型が普及できてきた訳です。
しかも一部のマニアに「ビギナー向けの玩具扱い」とされた模型の値段で購買層の何割かは「子供に買い与える父親」です。
ここから逆算するなら16番の場合、今なら上述のC62クラスで5万円を切る程度、運転のできる基本セットで3万円を切る程度ならある程度「安い」という実感は出るのかもしれません。
Nだったら大型機関車1両で5000円を切る程度、基本セットで1万円を切る程度というのがひとつの目安になりそうです。
いずれも新品の場合でコストに見合う程度に細密度の省略やギミックの廃止がされて居るのはやむを得ないでしょうが。
しかもこれはメルクリンと同様に「飾るのではなく走らせて楽しむための鉄道模型」としての値段の理想像です。
尤も、特に16番の世界ではそれを許さない層が完成品市場を支えている側面もあるので実現性についてはかなり疑問です(その理由については後述)
それに、Nの場合田舎の中古屋がそれ位かそれよりやや高い程度の値段で機関車を売っていますから若干事情が異なります。
前ユーザーの手垢が付いていても構わないという覚悟(笑)(と機種の極端な選り好みが無ければ)さえあればNの中古のモデルは今、もっとも安価に鉄道模型を楽しめるフォーマットではないかと思います。
事実日本中の大概のハード●フか万●書店辺りに行けばNゲージの中古が定価の半額かそれより少し高い値段で買えます(但し一部のマニアックなモデルを除く)がこれなどは他のフォーマットではまずできない芸当です。
いずれにしても個人的に思うのですが「安かろう悪かろう」ではない範囲で安価に鉄道模型を楽しむには大なり小なりユーザーが手(いじる)や足(つまり探す)を動かす側面があるべきと思いますし、その過程でのスキルの習得に趣味のプライオリティがあるという考え方が必要な気もします。
そんな訳で鉄道模型に「細密すぎなくてもいいから、手を加える余地がそこそこあって走りの好い製品が安価で出てくれないか」と言ったものを求める層はそうしたモデラーかその予備軍、運転派の一部などではないかと思います。
ですが現実は鉄道模型のユーザーの大半はコレクター、それも「外観第一主義の細密工芸品を求める層」が中心の気がします。特に16番やHOの日本型ユーザーの殆どがそうなのではないでしょうか。
となると鉄道模型の完成品が今以上に高騰する可能性は高いですし、ある意味そうあるべきかもしれないという気もします。
手間暇かけた工芸品を大枚払って手に入れケースに飾って楽しむというのも一つの方向性ですし、それに見合うコストであればC62クラスの機関車1両が50万円してもまだ安いかもしれない。
~「大富豪モーガンがある時自家用ヨットの値段を聞かれて・・・確かこう応えたと聞いています。
『値段を訊かなくてはならない様では買える立場ではない』
この店でもメニューの値段を見なくてはならないなら食事は無理ですよ」~
(刑事コロンボ「別れのワイン」のセリフから引用)
事実模型の世界では、庭を走らせて楽しむ一抱えもありそうな大きさのラージスケールのLGBモデルが天賞堂辺りの16番テンダー蒸気よりはるかに安いのです。これなどは同じ鉄道模型であっても用途によってコストや要求性能に大きな違いがある事を示しています。
その意味では同じ規格であっても目的に応じてモデルの作り分けがあっても良い気もします。
本来、一つの規格にあれもこれもと求め続けた結果のひとつが「高すぎる鉄道模型」の理由のひとつかもしれないですし。
その辺りは気の持ちようだと思いますし、お金を掛けずに模型を楽しむ事は今の時点でも意外に難しくない気がします。
但しその場合、汗は相応にかかなければならないですが。
個人的に金額の大小の差があっても本質的に「趣味とは金を払って苦労を買う(あるいは汗をかく)」事だと思っています。
最後に昭和20年代からレイアウトビルダーとして有名で平成10年頃まで現役の趣味人だった宍戸圭一氏のこの言葉を持って締めたいと思います。
下記の言葉は昭和の終わり頃だったかに当時の「とれいん」誌上に掲載された物を引用させていただきました。
「鉄道模型は良いですな。お金があればいくらでも模型屋が使わせてくれる。金がなければボール紙と定規にナイフ、まあ、ギアとモータ位は買わなければならないが、それでいくらでも遊べる。金があってもなくても楽しめるのだからこれ程面白いことはない」
光山鉄道管理局
HPです。思い出の書籍から入門書の項一部追加しました
にほんブログ村
にほんブログ村
鉄道模型 ブログランキングへ
現在参加中です。気に入ったり参考になったらクリックをお願いします。
「そうですとも。置く年数が経っただけ値が出てくるんです」
「ただの一本で100ドルする奴があるんですってね」
「その程度なら…大した事はありません。私はこの間5000ドルで買いました。N.Yでね」
「へえ…一本5000ドルのワインですか。親父は1年がかりでもそうは稼げなかったなあ。1年の稼ぎを一晩で飲んじまうとはねえ・・・」
(刑事コロンボ「別れのワイン」の会話より引用)
完成品の価格について一番敏感なのはモデラーでしょうか、コレクターでしょうか、それとも運転派なのでしょうか。
どのジャンルでもそれなりにモデルの高価格化の悩みは持っていると思いますが、特にその影響が大きそうなのはコレクターなのではないかと思います。
次に改造やメイクアップの素材、ベースモデルに悩むようなモデラーという所でしょうか。
運転派は・・・コレクター、モデラーのどちらの要素も持っていそうな反面、お気に入りの編成さえそろっていれば(この数の個体差は大きそうですが)割合新車の増備には淡々としていそうな気もします。
その意味で一番鵺的な性格が強いのが運転派とも言えます。
欧州で圧倒的なシェアを誇り彼の地の知名度はコカコーラ以上とされるメルクリンHOのスターターセットは日本で買うなら大体5~6万円。
運送コストなどもあるので現地価格はその半分位らしいと聞いたことがありますがそれでも換算で3万前後といったところでしょうか。
機関車類は彼の地で名の通った大型機で7万から10万前後、上述のパターンに当てはめると現地では4万から6万位という事になります。
これを高いと感じるか安いと感じるか。
少なくともドイツをはじめとする欧州ではこの値付けでも十分鉄道模型が普及できてきた訳です。
しかも一部のマニアに「ビギナー向けの玩具扱い」とされた模型の値段で購買層の何割かは「子供に買い与える父親」です。
ここから逆算するなら16番の場合、今なら上述のC62クラスで5万円を切る程度、運転のできる基本セットで3万円を切る程度ならある程度「安い」という実感は出るのかもしれません。
Nだったら大型機関車1両で5000円を切る程度、基本セットで1万円を切る程度というのがひとつの目安になりそうです。
いずれも新品の場合でコストに見合う程度に細密度の省略やギミックの廃止がされて居るのはやむを得ないでしょうが。
しかもこれはメルクリンと同様に「飾るのではなく走らせて楽しむための鉄道模型」としての値段の理想像です。
尤も、特に16番の世界ではそれを許さない層が完成品市場を支えている側面もあるので実現性についてはかなり疑問です(その理由については後述)
それに、Nの場合田舎の中古屋がそれ位かそれよりやや高い程度の値段で機関車を売っていますから若干事情が異なります。
前ユーザーの手垢が付いていても構わないという覚悟(笑)(と機種の極端な選り好みが無ければ)さえあればNの中古のモデルは今、もっとも安価に鉄道模型を楽しめるフォーマットではないかと思います。
事実日本中の大概のハード●フか万●書店辺りに行けばNゲージの中古が定価の半額かそれより少し高い値段で買えます(但し一部のマニアックなモデルを除く)がこれなどは他のフォーマットではまずできない芸当です。
いずれにしても個人的に思うのですが「安かろう悪かろう」ではない範囲で安価に鉄道模型を楽しむには大なり小なりユーザーが手(いじる)や足(つまり探す)を動かす側面があるべきと思いますし、その過程でのスキルの習得に趣味のプライオリティがあるという考え方が必要な気もします。
そんな訳で鉄道模型に「細密すぎなくてもいいから、手を加える余地がそこそこあって走りの好い製品が安価で出てくれないか」と言ったものを求める層はそうしたモデラーかその予備軍、運転派の一部などではないかと思います。
ですが現実は鉄道模型のユーザーの大半はコレクター、それも「外観第一主義の細密工芸品を求める層」が中心の気がします。特に16番やHOの日本型ユーザーの殆どがそうなのではないでしょうか。
となると鉄道模型の完成品が今以上に高騰する可能性は高いですし、ある意味そうあるべきかもしれないという気もします。
手間暇かけた工芸品を大枚払って手に入れケースに飾って楽しむというのも一つの方向性ですし、それに見合うコストであればC62クラスの機関車1両が50万円してもまだ安いかもしれない。
~「大富豪モーガンがある時自家用ヨットの値段を聞かれて・・・確かこう応えたと聞いています。
『値段を訊かなくてはならない様では買える立場ではない』
この店でもメニューの値段を見なくてはならないなら食事は無理ですよ」~
(刑事コロンボ「別れのワイン」のセリフから引用)
事実模型の世界では、庭を走らせて楽しむ一抱えもありそうな大きさのラージスケールのLGBモデルが天賞堂辺りの16番テンダー蒸気よりはるかに安いのです。これなどは同じ鉄道模型であっても用途によってコストや要求性能に大きな違いがある事を示しています。
その意味では同じ規格であっても目的に応じてモデルの作り分けがあっても良い気もします。
本来、一つの規格にあれもこれもと求め続けた結果のひとつが「高すぎる鉄道模型」の理由のひとつかもしれないですし。
その辺りは気の持ちようだと思いますし、お金を掛けずに模型を楽しむ事は今の時点でも意外に難しくない気がします。
但しその場合、汗は相応にかかなければならないですが。
個人的に金額の大小の差があっても本質的に「趣味とは金を払って苦労を買う(あるいは汗をかく)」事だと思っています。
最後に昭和20年代からレイアウトビルダーとして有名で平成10年頃まで現役の趣味人だった宍戸圭一氏のこの言葉を持って締めたいと思います。
下記の言葉は昭和の終わり頃だったかに当時の「とれいん」誌上に掲載された物を引用させていただきました。
「鉄道模型は良いですな。お金があればいくらでも模型屋が使わせてくれる。金がなければボール紙と定規にナイフ、まあ、ギアとモータ位は買わなければならないが、それでいくらでも遊べる。金があってもなくても楽しめるのだからこれ程面白いことはない」
光山鉄道管理局
HPです。思い出の書籍から入門書の項一部追加しました
にほんブログ村
にほんブログ村
鉄道模型 ブログランキングへ
現在参加中です。気に入ったり参考になったらクリックをお願いします。
この記事へのコメント
結局『原理主義者』があれしろこれしろといい
原価コスト増に繋がっていることの理解がないわけで…
銀河・ボナ・トレジャー等のサードパーティーパーツすら
触れない輩が無駄にあれこれ言い過ぎるんですよ
特定機番なんか
トレジャーのインレタを使えばすぐできます
それを
『あの機番がないから腹が立つ』とか…
文句言っている暇があるなら手を動かした方が早いですよね
工作技量も上がって一石二鳥
無駄に論っている××には…
例えば中古の出物を探すとか…(^O^)
10ン年前、中古模型店でズタボロの不動品だったアーノルドのドイツ形蒸気機関車を2000円!で購入、自宅で分解整備したら見事に復活しました。
新品なら数万円するドイツ形蒸気機関車を僅か2000円で入手した訳ですから、最高の買い物でした。
しかも修理に使った部品は手持ちの余剰品を利用したので、修理費も実質タダです。
中古の出物を探す時は、色差しなどされてる物を敢えて選ぶ事があります。
色差しされている物は格安だったりしますから。
でも、日本では16番やHOを「おもちゃ」として売り込む姿勢はなく、トイザらスで売ろうとしたのはNゲージでした。で、商業的に失敗する。仕方なく、マニア向けで商売を続けていく。その結果が、妙に割高感を感じさせる日本の鉄道模型の世界を作っているのかと。
KATOがEF510で少しは変化を作ってくれそうに思ったのですが、企業規模の問題でしょうか。中途半端に終わっている感がありますね。
KATOのワム90000 2両セットが3,600円。
KATOのDE10が14,000円。
すべてHOのメーカー希望価格ですが高いでしょうか?
高いといえば高いですが、Nゲージの車両と比較しても特に高いとは思えません。
なかには手ごろな車両もあるんですが、101系南部支線2両セットが134,000円とか、キハ58系2両セットで71,800円となるとため息しか出ません。
その昔エンドウがNゲージで「金属製の」キハ35を発売したときに、当時としても高かった記憶があります。
HOゲージを遊ぶ人たちはプラスチック製の車両が許せないんでしょうか?
走らせて遊ぶならプラスチック製でも問題ない、いや動力性能こそが大切じゃあないでしょうか。
飾って眺めるだけのディスプレイ用モデルと走らせて遊ぶモデルがごちゃ混ぜになっているのが問題なのかな?
と私が言ったところで、メーカーは売れなければ話になりませんからねぇ。
他の乗り物モデルに比べて嗜好の細分化が著しい鉄道模型のモデルゆえにハンドメイドの要素がどうしても増えてしまう側面は確かにあると思います。
結局はそれもコストアップの要因のひとつではあるのですが、結局はそれもコレクターとしてのニーズであってモデラーや運転派が傍流に近い所になってしまっている現状とは無縁ではない気もします。
最近の私の中古モデルの購入パターンそのまんまですね(笑)
手垢の付いた中古品を格安で入線させ、気に入らないポイントに自分で手を加えるのはそれなりに面白さを感じます。
実際「手垢」という言い方は感心しないのですが、そこに前ユーザーの思い入れの過程が感じ取れればそれ自体がプライオリティになると感じますし、そこをどれ位評価するかで各々の趣味のポリシーが表現されると面白い気もしますね。
コメントありがとうございます。
Nと16番(HO)と同じ流れはかつてミニカーの世界でも存在し、国際標準スケールの43分の1に近いダイヤペットが(少なくとも日本では)より小サイズのトミカに取って代わられた経緯を彷彿とさせます。
ただ、Nが16番に取って代わった背景としてはサイズの問題よりも「ブラスからプラへ」という素材の変革へのアレルギーがより少なくコストダウンしやすいプラ製品の大量生産を先取りされた要因も大きかったのではないかと思えます。
実は同じ事がAC3線からDC2線という電源の変革でOゲージがHOゲージに取って代わられた所とも重なりますが単なるサイズダウン以上の飛躍的な変革が伴っていた事は無視できないと思います。
最近だとウォークマンとi-podなんかもそれに当たるでしょう。
玩具として爆発的に普及したプラレールが16番にごく近いサイズだった事を考えると本来HOの潜在的なニーズは高かったと思うのですが、どういうわけかその方向が追及されなかったのは不思議ですね。
ブラスモデルの値段を知っている身からすると細密性でかなり肉薄しているKATOやTOMIXの値段は驚異ですらあります(笑)
>飾って眺めるだけのディスプレイ用モデルと走らせて遊ぶモデルがごちゃ混ぜになっているのが問題なのかな?~
まさにそこに問題の本質がある気がするのですが、16番ブラスモデルは本来北米市場のファンやメーカーからのオーダーで日本メーカーが輸出用の超細密機を作っていた経緯から体質的に細密志向が先行しやすかった事とファンの国民性としてミニチュアに実物並みの細密感を求める傾向が(少なくともある時期までは)かみ合った結果だったと思います。
ただその傾向はレイアウトの普及などで少しづつ変わりつつあるのも確かです。その過程で運転用にバランスのとれたディテーリングの普及モデルが出てくれる事、細密志向は上述のオーダーメイドとは別個の所でユーザーによる安価なベースモデルのディテーリングの方向へ進むのが16番にとっては理想形なのかな、と思います。
海外輸出モデルだって、全部が細密だったわけではないです。クラウンモデルと言われる一部の製品だけです。1$360円時代は、コストをかけられたので、国内製品よりはずっと出来は良いですが。個人的にはヨーロッパに輸出したモデルが一番コストはかかっていると思います。
私はいいたい。
コレクションをするんだったら、縮尺に忠実な12ミリやOJでやってください。細かいパーツは走行するには邪魔です。
12ミリは購入経験がないのでわかりませんがOJは飾るのにはいいですよ。今オーダーで作る場合、費用以前に職人がいないという悲しい現実もありますし。
コメントありがとうございます。
仰る様に欧州向けの輸出モデルは純粋なコレクターに買われるケースが多かったと聞いていますが、そのせいかかなりの手間が費やされている様ですね。
いわゆるOや16番のがに股問題も飾って楽しむ向きには深刻な問題と思います。
その意味から言えばディスプレイ用と走行、レイアウト用で何らかの区分けは必要かもしれないですね。