ホンダシティのミニカーのはなし
今回はホンダシティのミニカーから

写真のモデルは通称「ブルドッグ」と呼ばれたシティターボⅡのものです。
実は私が免許を取った時最初に買うクルマでG11系シャレードと最後まで迷ったのがこのターボⅡの中古(爆)でした。
結局はシャレードターボになったのですがもしここでターボⅡを選んでいたらその後の私のカーライフもそれなりに変わっていたかもしれません。
まあそれはさておき、
81年の暮れ頃それまでプレリュード、バラード、クイントと車種ばかり増えていたのにどれもこれもぱっとしなかったホンダから突然変異的に登場したのが初代シティでした。
異様なほど背が高く、寸詰まりのボディは当時人気だった「チョロQ」を思わせましたが、それでいて不格好な感じがまるでなく、不思議と垢ぬけた印象で「シティ」というネーミングの通り都会的な雰囲気のコミューターカーとして新たな時代を予感させました。

シビック、オデッセイ、フィットと時代の展開点に突然変異的に新しいコンセプトのクルマをヒットさせるのがホンダのホンダらしい所以ですが中でもシティは最高のインパクトでした。
聞く所では開発陣は「これが失敗したらクルマを作るのはやめよう」とまで思い詰めていたそうで正に「火事場の馬鹿力」を見る思いがあります。
実際私の故郷でも瞬く間に初代シティは街にあふれました。
車の性格上あまり地味なカラーリングが無かった事もあり原色の赤やら青やら黄色やらばかりでしたから「シティが増える=街が華やかに見える」と言う意外な効能も感じさせました。
80年代初頭の街の風景を変えた車は間違いなく初代FFファミリア(これも原色の赤と青が多かった)とこのシティだったと思います。
2年後くらいにはホンダ初のターボ(コンバックス)仕様もラインナップされシティ人気は頂点に達します。

ところが人気が落ちるのも急速でした。
85年のモデル末期には前述のターボⅡやこれまた初のカブリオレをラインナップしましたが全体の人気は回復しないまま87年に二代目にバトンタッチ、ところがこの二代目が物凄く売れずに消滅という末路をたどるのでした。
その後継車のロゴもぱっとせず。
ホンダが雪辱を果たすのは15年以上経て初代フィットがリリースされるまで待たねばなりません。
絶頂期とその後の落差の大きさ等の印象もあって初代シティほど「80年代初頭と言う時代を象徴した」クルマもなかった様な気もします。それだけにレイアウト用のアクセサリーとしてもこの種の時代と寝たクルマのモデル化をもっとやってくれないかなとか思ったりもします。
(初代シビックとかS13シルビア、スバルレガシィツーリングワゴンや初代アルトなどなどその手のネタは多いでしょうし)
いつもと違うネタで面食らった方もおられたとは思いますが、落ちでようやく鉄道模型のブログらしくなりました(笑)
光山鉄道管理局
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実は私が免許を取った時最初に買うクルマでG11系シャレードと最後まで迷ったのがこのターボⅡの中古(爆)でした。
結局はシャレードターボになったのですがもしここでターボⅡを選んでいたらその後の私のカーライフもそれなりに変わっていたかもしれません。
まあそれはさておき、
81年の暮れ頃それまでプレリュード、バラード、クイントと車種ばかり増えていたのにどれもこれもぱっとしなかったホンダから突然変異的に登場したのが初代シティでした。
異様なほど背が高く、寸詰まりのボディは当時人気だった「チョロQ」を思わせましたが、それでいて不格好な感じがまるでなく、不思議と垢ぬけた印象で「シティ」というネーミングの通り都会的な雰囲気のコミューターカーとして新たな時代を予感させました。

シビック、オデッセイ、フィットと時代の展開点に突然変異的に新しいコンセプトのクルマをヒットさせるのがホンダのホンダらしい所以ですが中でもシティは最高のインパクトでした。
聞く所では開発陣は「これが失敗したらクルマを作るのはやめよう」とまで思い詰めていたそうで正に「火事場の馬鹿力」を見る思いがあります。
実際私の故郷でも瞬く間に初代シティは街にあふれました。
車の性格上あまり地味なカラーリングが無かった事もあり原色の赤やら青やら黄色やらばかりでしたから「シティが増える=街が華やかに見える」と言う意外な効能も感じさせました。
80年代初頭の街の風景を変えた車は間違いなく初代FFファミリア(これも原色の赤と青が多かった)とこのシティだったと思います。
2年後くらいにはホンダ初のターボ(コンバックス)仕様もラインナップされシティ人気は頂点に達します。

ところが人気が落ちるのも急速でした。
85年のモデル末期には前述のターボⅡやこれまた初のカブリオレをラインナップしましたが全体の人気は回復しないまま87年に二代目にバトンタッチ、ところがこの二代目が物凄く売れずに消滅という末路をたどるのでした。
その後継車のロゴもぱっとせず。
ホンダが雪辱を果たすのは15年以上経て初代フィットがリリースされるまで待たねばなりません。
絶頂期とその後の落差の大きさ等の印象もあって初代シティほど「80年代初頭と言う時代を象徴した」クルマもなかった様な気もします。それだけにレイアウト用のアクセサリーとしてもこの種の時代と寝たクルマのモデル化をもっとやってくれないかなとか思ったりもします。
(初代シビックとかS13シルビア、スバルレガシィツーリングワゴンや初代アルトなどなどその手のネタは多いでしょうし)
いつもと違うネタで面食らった方もおられたとは思いますが、落ちでようやく鉄道模型のブログらしくなりました(笑)
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この記事へのコメント
あのころの自動車雑誌を見ると「FF車はステアリングが重い」と書かれていましたが、「ああ、ハンドルが重いとはこういうことか」と実感しました。
2代目シティは、初代とは逆に「思いっきり背を低く」「思いっきり車幅を広く」しましたからねぇ。初代の利点をホンダ自らが否定したわけですから売れないわけです。
軽自動車のトゥディも今のワゴンRなどとは逆に、「思いっきり背を低くして」スタイリング最優先で作ってましたから、本当にユーザーがほしがるクルマを理解していたのか怪しいところがあります。
個人的に思うのですがホンダという会社は体質的に「スポーツカー志向」で本音では「背の高い車が嫌い」な所だと思っています。
ですが過去にホンダの救世主となっているのはシティをはじめ、オデッセイやステップワゴン、最近ではN-BOXの様な背高クルマばかり。
これ自体ホンダにとっては不本意なのではないでしょうか。
本来ホンダが人気者にしたかったのはプレリュードやインテグラ、アコードインスパイアの路線だったのだと思っています。
シティに限らずオデッセイやステップワゴンも一時背が低くなっていましたがセレナやアルファードに圧倒されて再び背高に戻りつつありますね。
ただトゥディの場合は当時のライバル車が軒並みミラ・アルトルックのトールボーイ系ばかりだったのでかなり新鮮でした。当時の漫画やアニメがこぞってこのクルマを登場させた事でもそのセンスの良さは買えたと思います。
ですがデザインの斬新さとは裏腹に中身がアクティのエンジンをFF化した程度だったのでライバルの牙城は崩せませんでしたが。
追記です。
当時私が最後までシティと迷ったシャレード(2代目G11系)ですがパワステなしのリッターターボでしたが、停止状態で据え切りしない限りステアリングの重さは意識しませんでした。
それでいて結構元気のいい走りができましたからこの辺りはメーカーの作り込みの違いもあるのかもしれません。
もっとも次のG100系以降はパワステ無が辛いクルマになったようですが(これはFF車全般に言える事でしょう。FFの普及とパワステの普及はまさに両輪だった訳です)
大変ご無沙汰しております。
こちらのブログにはお初です(笑)
ホンダシティは懐かしいですね。
モトコンボなるシティに搭載する前提のコンパクトな
折りたたみスクーターがありましたよね。
自分は今は日産車のユーザーですが以前はホンダユーザーでした。
それもステップWGNとオデッセイのミニバンです。
ホンダのミニバンは乗ったことのある人はお分かりでしょうが
すごくよく走る。走る・曲がる・止まるという基本性能は
他を圧倒するんだけど、それだけなんですよね。
ミニバンは内装の豪華さや実用性が一番重視されるのに
ホンダは走り重視のドライバーズカーを作っちゃうんですよね。
これは長所でもあるし短所でもあるんですよね。
お久しぶりです。
モトコンポも懐かしいですね。シティ登場時の新聞記事はクルマよりもモトコンポの扱いが大きかった(トランクに入るバイクという事で)のが思い出されます。
最近のホンダはセンタータンク方式に代表される低床化・低重心化に軸足が移っている感じがしますね。
この辺り「人気車だったエルグランド(テラノベースのFR車)に合わせてわざわざFF車の床を高くした初代アルファード」に爪の垢でも飲ませてやりたい気が(笑)
>走る・曲がる・止まるという基本性能は他を圧倒するんだけど~
初代セレナなんかがそうでしたが以前の日産にも同じ様な傾向はありました。
ミッドシップミニバンにシルビア並みの凝った足回りを与えたり前述の初代エルグランドも中身は「クロカン四駆でGT‐Rを目指した」と言われる二代目テラノをベースにしていましたし。
二代目セレナ以降はそうした傾向はすっかり影を潜めましたがそうなったらセレナが売れ出したというのも皮肉な話ではあります。