日本型Nゲージの50年と思い出から・ナロ10・ナハフ11編
昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)です。

今回は10系軽量客車から
ナロ10とナハフ11を取り上げます。
本書が出た昭和39年当時、10系は最新型の部類に属する客車でした。
当時の旧客(と言ってもその大半は車齢20年かそこらだった筈ですが)の中に10系が混じって繋がっているとそこだけどことなくスマートに見えたものです。
この独特のたたずまいは後の12系や24系よりも垢抜けた物がありました。
この本が出た当時はバリバリの最新型の客車のひとつでしたし。
それまでの客車が窓枠の上下に一直線の雨どいを配した重厚ながらやや古臭さを感じさせる中に登場した10系客車は雨樋がそれぞれの窓の上に付いたモダンさを感じさせる窓周りとスパッと切り落とされた両端の切妻が見るからに近代的な雰囲気を纏って登場しました。
私の幼少期、故郷の線路上は客車列車が主体でしたがオハ47やオハフ61等の旧客の中にちょこちょことナハ11なんかが混じっている編成が最もポピュラーな普通列車でした(牽引機は時代に応じてC60とかDD51,ED75と変遷します)
あの頃はやはりピカピカの10系の客車に乗りたかったのですが、同じ事を考える人も多かったのかきちんと10系に乗れた記憶がありません。
しかも後になって見ると軽量化が仇になったのか10系の耐久性が思いのほか悪く、スハ43系やオハ61系に比べて廃車のペースが早かったためある時期気が付いてみると普通列車はまたオハ47主体の物に戻っていたのですからその残念感ときたら(涙)

本書では10系の中でも特にポピュラーなナハフ11とナロ10の製作記事を取り上げています。
例によってペーパー車体による製法ですが、上述の様にスパッと切れた切妻の為に製作自体は楽な方だったと思われます。ディテーリングなど無いに等しいものでしたが、この客車には最も似合った製作法と思います。
窓さえきれいに抜ければ傑作ができたも同然と言える点でビギナーに模型を作ったという達成感をたっぷり与えてくれたのではないでしょうか。
さて、ナハフとナロ、どちらか1両を作るとしたら皆さんはどうするでしょうか。
私だったら何も考えずに「緑の帯が入っていて目立つ方」としてナロを選ぶと思いますが、この本を持っていた機関士の親類も同じ考えだった様で青のナロ10を実際に作っています。
この親類は本書を参考に色々な車両を実際に作っているのですがその中で実際にポピュラーに実車を目に出来たのはED75とこのナロ10位だったと思います。作りは記事に忠実だったのでディテーリングは殆ど無いに等しかったのですがそれでもナロ10のクリーンな印象は結構感じられるものでした。
ただ例によってそのナロ10も大分前に処分されたらしく実物を紹介する事が出来ないのが残念です。
さてNゲージでは10系客車は驚いた事に1972年の時点でCABと言うメーカーの金属車体のモデルが早くもリリースされていましたが、製造元の消滅が早かったために意外と知られていません。また同時期に出版された科学教材社の「Nゲージ」でもペーパー車体と当時容易に入手できたKATOのTR47を組み合わせた自作法の記事が掲載されていました。
やはりあの当時でもクリーンな窓周りの10系客車は魅力的だった様です。

ですが写真を見る限りではどうしてもペーパーの繊維が目立ってしまい16番ほどクリーンな印象にならなかったのは当時の限界でしょう。
あの当時は工作用紙と言っても今のような滑らかな紙質ではなかったでしょうし。

10系のNゲージ製品ですが最初にモデル化されたのは上述の金属車体モデルでしたが本格的に普及したのは何と言ってもGMのキットからだと思います。
GMが最初にキット化した客車はオハ61系とナハフ11。
今の目で見ると不思議な組み合わせの様ですが当時は10系とオハ61系が混じり合った編成は普通に見られたものです。
プラでの完成品としての10系のモデル化は意外に遅くしなのマイクロがGMの数年後にリリースしており今の目で見ても中々良く出来たモデルでした。
真打ちとも言えるKATOの製品は更にその後の登場となります。

私自身も最初の10系はGMのナロ10でしたが以前紹介したように出来は大惨事でした(汗)
写真のモデルはGMのナロ10とマイクロのナハフ11です。
さて、ここまで書いたのは今月の初め頃の話なのですが10系のNゲージモデルはその後にちょっとした展開がありました。
これについては次の機会に。
光山鉄道管理局
HPです。車両紹介「機関車」「電車」の項一部追加しました

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今回は10系軽量客車から
ナロ10とナハフ11を取り上げます。
本書が出た昭和39年当時、10系は最新型の部類に属する客車でした。
当時の旧客(と言ってもその大半は車齢20年かそこらだった筈ですが)の中に10系が混じって繋がっているとそこだけどことなくスマートに見えたものです。
この独特のたたずまいは後の12系や24系よりも垢抜けた物がありました。
この本が出た当時はバリバリの最新型の客車のひとつでしたし。
それまでの客車が窓枠の上下に一直線の雨どいを配した重厚ながらやや古臭さを感じさせる中に登場した10系客車は雨樋がそれぞれの窓の上に付いたモダンさを感じさせる窓周りとスパッと切り落とされた両端の切妻が見るからに近代的な雰囲気を纏って登場しました。
私の幼少期、故郷の線路上は客車列車が主体でしたがオハ47やオハフ61等の旧客の中にちょこちょことナハ11なんかが混じっている編成が最もポピュラーな普通列車でした(牽引機は時代に応じてC60とかDD51,ED75と変遷します)
あの頃はやはりピカピカの10系の客車に乗りたかったのですが、同じ事を考える人も多かったのかきちんと10系に乗れた記憶がありません。
しかも後になって見ると軽量化が仇になったのか10系の耐久性が思いのほか悪く、スハ43系やオハ61系に比べて廃車のペースが早かったためある時期気が付いてみると普通列車はまたオハ47主体の物に戻っていたのですからその残念感ときたら(涙)

本書では10系の中でも特にポピュラーなナハフ11とナロ10の製作記事を取り上げています。
例によってペーパー車体による製法ですが、上述の様にスパッと切れた切妻の為に製作自体は楽な方だったと思われます。ディテーリングなど無いに等しいものでしたが、この客車には最も似合った製作法と思います。
窓さえきれいに抜ければ傑作ができたも同然と言える点でビギナーに模型を作ったという達成感をたっぷり与えてくれたのではないでしょうか。
さて、ナハフとナロ、どちらか1両を作るとしたら皆さんはどうするでしょうか。
私だったら何も考えずに「緑の帯が入っていて目立つ方」としてナロを選ぶと思いますが、この本を持っていた機関士の親類も同じ考えだった様で青のナロ10を実際に作っています。
この親類は本書を参考に色々な車両を実際に作っているのですがその中で実際にポピュラーに実車を目に出来たのはED75とこのナロ10位だったと思います。作りは記事に忠実だったのでディテーリングは殆ど無いに等しかったのですがそれでもナロ10のクリーンな印象は結構感じられるものでした。
ただ例によってそのナロ10も大分前に処分されたらしく実物を紹介する事が出来ないのが残念です。
さてNゲージでは10系客車は驚いた事に1972年の時点でCABと言うメーカーの金属車体のモデルが早くもリリースされていましたが、製造元の消滅が早かったために意外と知られていません。また同時期に出版された科学教材社の「Nゲージ」でもペーパー車体と当時容易に入手できたKATOのTR47を組み合わせた自作法の記事が掲載されていました。
やはりあの当時でもクリーンな窓周りの10系客車は魅力的だった様です。

ですが写真を見る限りではどうしてもペーパーの繊維が目立ってしまい16番ほどクリーンな印象にならなかったのは当時の限界でしょう。
あの当時は工作用紙と言っても今のような滑らかな紙質ではなかったでしょうし。

10系のNゲージ製品ですが最初にモデル化されたのは上述の金属車体モデルでしたが本格的に普及したのは何と言ってもGMのキットからだと思います。
GMが最初にキット化した客車はオハ61系とナハフ11。
今の目で見ると不思議な組み合わせの様ですが当時は10系とオハ61系が混じり合った編成は普通に見られたものです。
プラでの完成品としての10系のモデル化は意外に遅くしなのマイクロがGMの数年後にリリースしており今の目で見ても中々良く出来たモデルでした。
真打ちとも言えるKATOの製品は更にその後の登場となります。

私自身も最初の10系はGMのナロ10でしたが以前紹介したように出来は大惨事でした(汗)
写真のモデルはGMのナロ10とマイクロのナハフ11です。
さて、ここまで書いたのは今月の初め頃の話なのですが10系のNゲージモデルはその後にちょっとした展開がありました。
これについては次の機会に。
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この記事へのコメント
35系や43系客車の編成に紛れ込ませたら効果絶大でした。
それとカトーのナハ10とナハフ11を持ってました。
個人的にはマイクロの方が好きでした(台車の転がりは悪かったですけど)
CABの10系客車、現物を見たことはありませんが、話にはよく聞きます。
台車はSEKISUIのTR55を充当。かなり腰高でしたが金属製品特有の光沢のある美しい塗装は魅力でした。
ただ窓ガラス類を留めていたゴム系接着剤は系年劣化をおこして、現在殆どすべて剥がれた状態です。
マイクロの10系も飛びつきました。床下の出来はすごいと思いましたが、転がりの悪さに閉口した思い出深い製品です(笑)。
おこずかいのすべてを吐き出し、ナハフ以外の車両も青・ぶどう色問わず買えるだけ買いそろえ、GMカラースプレーで青に統一、同じくGMのデカめのインレタを張り付けてご満悦。いまだ思い出とともに手元に残っています。
先にコメントされた方の仰る通り、脱線しまくるのはご愛敬でしょう。
この趣味を再開した時に最初に入線させた10系はKATOのナハ10でしたが、それ以後は何故かマイクロばっかりです(笑)
特にスハネ16は何故かよく当たりました。
あの当時CABの10系を買われたというのは今となってはなかなか貴重な体験でしたね。
仰る様にボディだけなのに値段が当時の20系の1・5倍というのは結構抵抗を感じた事と思います。
あの頃の私のお小遣いは月300円だったのを思い出しました(汗)
それでも当時は食堂でラーメンが二杯食べられましたが。
私は当時はマイクロの奴は手を出せませんでした。当時としても結構高価だったのがやはり引っ掛かりましたね。
マイクロ時代の10系は「趣味のカラー」と称してTGVをはじめ様々な外国型のカラーリングを出した事がありましたが、昭和60年頃それらのセットが池袋の駅前の露店で叩き売られていたのを見た事があります(笑)