日本型Nゲージの50年と思い出から・オシ16編
昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)
今回はオシ16をとりあげます。
とは言っても当鉄道のオシ16の入線は割合最近なので当時の当ブログの内容と重複する所があるのですがそこはご容赦願います。
あの頃も今もそうなのですが「食堂車」の存在は私にとっては一種の憧れでした。
現実に新幹線のビュッフェを利用してみると「高い不味い遅い」に加えて「いつも客で満杯」という四重苦に悩まされるのが常でしたが。
食堂車と言うのとは異なるのですが当時の私のイメージに比較的近い「食べ物」を出されたのはE5系の「グランクラス」の弁当位でしょうか。
本書の記事の書き出しにこういう一節があります。
「(前略)ただでさえ退屈な夜汽車の旅で、寝付けなくて困っている人がサンドイッチやホットドッグといった簡単なものを食べたりコーヒーやコーラなどのソフトドリンクを飲んだりして寝るまでのひと時を過ごせる様にと作られた車で(後略)」
「ソフトドリンク」「ホットドッグ」!
いずれも昭和40年のガキにとっては雲の上の食べ物でした。何しろ当時の田舎ではマクドナルドはおろかパン食自体が高級品でしたし「サンドイッチが高級洋菓子屋で売られていた」位でしたから。
そんな食欲と共に目にする食堂車の製作記事が記憶に残らない訳がありません。
因みに実車のオシ16は食堂車と言うよりはスナックカーと言った方が適切な雰囲気だった様で一部では「中華街」の異名をとるカラフルな内装だったそうです。
10年後にNYの地下鉄にバーカー(その名の通り通勤電車で酒を出す軽食コーナー車)と言うのが登場し、当時のTMSにも掲載されましたがその雰囲気に少しは近い様です。
食堂車と言っても夜行列車につながる性質上、夜食専用に特化した構造がオシ16の身上です。
独特の窓配置などは食堂と言うよりもラウンジを連想させますし、実際「中華街」という渾名が通用する位(笑)にカラフルな内装も相当に個性的だったようです。
個人的に今でも乗れるならオシ24やナシ20よりもこのオシ16に乗ってみたいと思う今日この頃。
最近のコンビニで売られる軽食類は何となくオシ16の雰囲気に合っている気もしますし、気分だけは台所の隅でも味わえるかなと。
てな訳で流しの隅の鉄カフェ(もどき)は鉄バー(やっぱりもどき)に変身させて当時の気分に浸る事も時々あります(笑)
さて本書の製作記を担当したのがクモユニの項でも紹介した西村正平氏ですがこのオシ16もフリーダム度全開(笑)
作例は何と無塗装の真っ白な車体で掲載された物ですから漢字の読めない幼児はその後長い事「オシ16は真っ白な客車なんだ」と(以下略)
ですがクリーンな窓周りの抜けの良さがこの機種の身上なので写真で見る作例モデルは中々に好きだったりします。
Nゲージのオシ16はGMのキットからリリースとなりその後完成品も出ている様ですが私がこれを入線させたのはつい一昨年の事です。上述の様に私個人も好きな客車でしたがそれだけに当時はキットメイクが上手く行かない事への警戒心も強かったです(汗)
たまたまGMのキットメイク品と思われる中古を見つけられたからの入線でしたが、その直後にマイクロから単品でオシ16が2両組でリリースされた時は驚きました。
光山鉄道管理局
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この記事へのコメント
残念ながら私は利用した事が皆無でしたが…
国鉄/JRの長距離優等列車に乗車する機会が無く、必然的に食堂車を利用する機会もありませんでした。
近鉄の沿線民ですが、近鉄のスナックカーも利用した事がありません。
幼少の頃は、父親の田舎に帰省する際に「みささ」や「みまさか」といった急行列車によく乗りましたが、残念ながら気動車急行には食堂車は無くて、毎回駅弁を食べてました(当時はコンビニなど無かったので)
ところで、最近マイクロからオシ16が発売されましたが、金型が壊れたらしく、発売予定日から大幅に遅れて発売されたみたいですね。
わざわざ金型を作り直すとは思えず、中国の工場で何かあったのかもしれませんね。
超満員の車内の新聞紙を床に広げた人を避けながらたどり着き、オレンジジュース一杯だけを注文しました。高校生だった私にはそれが精一杯の贅沢です。
食堂車内では緊張しぱなっしで、コップの水がこぼれるほど揺れたことだけ覚えてます(笑)。
鉄道模型大好きおじさん>近鉄の沿線民ですが、
ずっと思ってたんですが、もしかしてTMDさんでしょうか?
私はTMD氏ではないですよ(^O^)
「混んでいたので待っているうちに目的地についた」w
そりゃ3時間ぐらいなら菓子をつまむぐらいで十分だよなぁ・・・
失礼しました。
レサレサ様へ
TVで「指定席が取れなかった時は、いつも東京大阪間をビール一本で粘った」と自慢げに話す出演者達に、「あんたらのせいで食堂車が無くなった」と思うのは私だけでしょうか。
以前は昼行・夜行を問わず急行以上の列車には大概食堂車が繫がっていたものですが、私の場合そんな時期でも結局使わずじまいでしたね。
上述の「新幹線のビュッフェ」というのは東北新幹線が200系だった頃の事で私の人生で一番この手の車両を利用していた頃の話です。
ですがメニューは「ラーメン、カレー、それになぜか何故かうな重」の三種類しか無く立ち食い同然の状態でカレーをかっ込まなければならなかったのに侘しさを感じました。
何しろその列車と言うのが当時日本の家庭の半数近くが紅白歌合戦にかじりついている時間帯の「大晦日の最終列車」でしたから(笑)
それでも食堂車に夢を捨てきれないでいる自分がいたりします。
十和田の当時はまだ各列車に食堂車が全盛だった頃でしょうか。
個人的にはその頃の雰囲気には憧れますね。
確かこれも食堂車はオシ16でしたか。
夜行に限らず、やまびこが6時間かけて上野に行っていた頃はどれに乗ってもいくらでも食堂車を利用する機会があった筈なのにそれを使わなかった事は未だに後悔の種です。
仰る通りで以前は現住地から故郷の盛岡に帰るのに新幹線併用でもたっぷり6時間は見ていたのですが、今では4時間半かそれより短くなりましたから食堂車どころでなくなったのは確かですね。
何しろ往路の車内販売で買ったかちかちのアイスが目的地に着いても殆ど溶けなかったなんて経験もしたくらいです(笑)
200系のビュッフェを使っていた時分ですら食堂車と言うよりも立ち食いカレー(それもボンカレーレベルの)早食い大会に近い感じでしたから待たされない代わりにゆっくり食べるどころでなかったですし
(笑)
尤も、E1系MAXの「駅弁自動販売機」よりはまだ風情はありました。
ガラスのカットはもちろん、その接着にも手間がかかるものですが、オシ16の場合は総じて窓数が少ないことがハードルを下げたのかもしれませんね。
昔のTMSに「窓の接着は、隙間にラッカーシンナーを流しこむ」とありましたが、言うほど簡単ではなさそうです。
仰る通りでこのモデルの窓周りはこれがキットメイクだとするならかなりの出来と思います。
しかも今回の記事は触れませんでしたが実はインテリアも再現されていました。
ただ、そのせいもあってか完成品モデルよりも幾分ですが華奢な印象もあるので扱いは大事に・・・と思っています。