偉大なる凡庸の系譜・番外編「TOMIXの木造駅舎」
ストラクチャー編偉大なる凡庸シリーズ(急にこんなのがスタートしましたw)
今回はやっぱりTOMIXの「木造駅舎」を。
実はこの建物、日本初のNスケール「和風の駅本屋」の製品化でもあります。

これが出るまで日本形ストラクチャーはGMのキットが先行していましたが詰所、信号所、果てはホームや跨線橋まで出ていながら肝心の本屋がまだ出ていませんでした。
それだけにTOMIXの駅舎の衝撃は大きかった記憶があります。
TOMIXの登場をTMSがスクープしたのは1976年(昭和51年)の秋ごろでしたがその記事の時点でこの駅舎の写真が既に登場しています。
これとホームを組み合わせれば普通の人がイメージする「駅の風景」は簡単に再現できるのですが、今の目で見ると「これくらい当たり前じゃん」とか言われそうです。
にも拘らずこれが登場するまでNばかりか16番ですらストラクチャーのジャンルは非常におざなりだったことを考えるとこの駅舎の登場自体に当時はどれほどの大きなインパクトがあったかお分かり頂けると思います。
そんなですから、翌年のリリースの時には私も喜び勇んでデパートに駆け込んだのを覚えています。
(ブログで前述していますが当時はまだ「デパートで鉄道模型が買えた頃」です)

見ての通り「普通の木造駅舎」そのものと言った風情で大都会のターミナル以外の大概の駅舎に使える機動性がある建物です。
それでいて内部には待合室や事務所などの内装も再現されており付属のシールの中には「時刻表や路線図」があって室内に貼れるようになっています。
更には駅には欠かせない電話ボックスと郵便ポスト、小さいながらも売店まで置かれています。
上述のように何から何まで普通に見える木造駅舎ですが、実はこの「普通さ」こそがこの建物の最大の武器と言えます。
事実、これが出てからの専門誌のレイアウト記事にはかなりの確率でこの建物を使った駅が登場するようになりました(笑)

そういえばうちのローカルレイアウトの葉純線も駅舎はこのモデルです(カラーリングは当時セットの付属品にしか設定されなかった青色です)
また、やろうと思えば切り継ぎや塗り替えで郵便局や分校の校舎、村役場などにも使えそうです。

これが大成功したからか、GMも重い腰を上げて(笑)駅舎を4種もリリースしましたしエーダイナインやKATOもそれに続く事になります。
ですがトータルでの完成度はどれもTOMIXの木造駅舎を超えていません。
後発メーカーの物はどれも個性的でリアリティの点でTOMIXよりも作り込まれた物が多かったのですが、なぜか「普通さ」が足りないように感じられました。
(一部を除いて後発メーカーの駅舎はどれも大きすぎたり場所を取り気味の物が多く意外と奮っていません)

「普通であるがゆえに使い勝手が良い」というこのモデルの完成度の高さはまさに「偉大なる凡庸」そのものと言えます。上の写真のモデルは最初に買った駅舎モデルをリペイントしたものですがこういう「完成品に手を加える楽しみ」を最初に教えてくれたのもこの駅舎でした(出来はまったく置いておいて・・・ですが)
TOMIXでは未だに作られ続けているロングセラーですがこの地位は当分安泰なのではないかと思います。
光山鉄道管理局
HPです。「思い出の書籍」一部更新しました。

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実はこの建物、日本初のNスケール「和風の駅本屋」の製品化でもあります。

これが出るまで日本形ストラクチャーはGMのキットが先行していましたが詰所、信号所、果てはホームや跨線橋まで出ていながら肝心の本屋がまだ出ていませんでした。
それだけにTOMIXの駅舎の衝撃は大きかった記憶があります。
TOMIXの登場をTMSがスクープしたのは1976年(昭和51年)の秋ごろでしたがその記事の時点でこの駅舎の写真が既に登場しています。
これとホームを組み合わせれば普通の人がイメージする「駅の風景」は簡単に再現できるのですが、今の目で見ると「これくらい当たり前じゃん」とか言われそうです。
にも拘らずこれが登場するまでNばかりか16番ですらストラクチャーのジャンルは非常におざなりだったことを考えるとこの駅舎の登場自体に当時はどれほどの大きなインパクトがあったかお分かり頂けると思います。
そんなですから、翌年のリリースの時には私も喜び勇んでデパートに駆け込んだのを覚えています。
(ブログで前述していますが当時はまだ「デパートで鉄道模型が買えた頃」です)

見ての通り「普通の木造駅舎」そのものと言った風情で大都会のターミナル以外の大概の駅舎に使える機動性がある建物です。
それでいて内部には待合室や事務所などの内装も再現されており付属のシールの中には「時刻表や路線図」があって室内に貼れるようになっています。
更には駅には欠かせない電話ボックスと郵便ポスト、小さいながらも売店まで置かれています。
上述のように何から何まで普通に見える木造駅舎ですが、実はこの「普通さ」こそがこの建物の最大の武器と言えます。
事実、これが出てからの専門誌のレイアウト記事にはかなりの確率でこの建物を使った駅が登場するようになりました(笑)

そういえばうちのローカルレイアウトの葉純線も駅舎はこのモデルです(カラーリングは当時セットの付属品にしか設定されなかった青色です)
また、やろうと思えば切り継ぎや塗り替えで郵便局や分校の校舎、村役場などにも使えそうです。

これが大成功したからか、GMも重い腰を上げて(笑)駅舎を4種もリリースしましたしエーダイナインやKATOもそれに続く事になります。
ですがトータルでの完成度はどれもTOMIXの木造駅舎を超えていません。
後発メーカーの物はどれも個性的でリアリティの点でTOMIXよりも作り込まれた物が多かったのですが、なぜか「普通さ」が足りないように感じられました。
(一部を除いて後発メーカーの駅舎はどれも大きすぎたり場所を取り気味の物が多く意外と奮っていません)

「普通であるがゆえに使い勝手が良い」というこのモデルの完成度の高さはまさに「偉大なる凡庸」そのものと言えます。上の写真のモデルは最初に買った駅舎モデルをリペイントしたものですがこういう「完成品に手を加える楽しみ」を最初に教えてくれたのもこの駅舎でした(出来はまったく置いておいて・・・ですが)
TOMIXでは未だに作られ続けているロングセラーですがこの地位は当分安泰なのではないかと思います。
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この記事へのコメント
鉄道模型は「走らせてなんぼ」なのに…
私が鉄道模型に入門したのは昭和54年頃でしたが、当時愛用していたリマのカタログにはNゲージ、HOゲージともに駅舎や車庫など鉄道施設は勿論、住宅やビルなどといった各種のストラクチャーが掲載されていました。
やはり外国の鉄道模型ファンは積極的に運転(特にレイアウト製作)を楽しんでいたのでしょうね。
(宿直室を切除して「夜になると無人になる小さな駅」にしたのですがいかんせん腕が未熟で…)
ふと思いだしましたが、TMSにこういう汎用性の高い駅舎の製作で「9㎜ゲージストラクチャー 駅本屋の作り方」というのが、日本Nゲージ車両発売直後の65年11月号に乗っていました。
・・・当時から需要あったのに、完成品発売がそんなに後発だったとは知らなかった。
ちなみに16番スケールでも似たような駅舎製作の記事がこの5年ほど前にあり、そっちの方に「機関車だけがいくら細密であっても、レイアウトが細密でなくてはかえっておかしなことになる。(中略)これこそ本当の“日本の駅”(中略)国鉄のどこかの支線あるいは亜幹線の大学の無い街の駅です。」となかなかカッコいい事が書いてありました。
この駅、大きさや形状などからほぼ同型をモデルにしたと思われるストラクチャー製作がTMS1965年11月号にあるので、日本のN模型開始とほぼ同時期から必要とされてきたストラクチャーっぽいのに、発売が10年以上後なのがちょっと意外でした。
個人的な印象ですが日本の鉄道模型が車両偏重だったのは元々飛行機や自動車のそれの様に「実物の機構や外見の細密なモデリング」に興味の中心があったからではないかと思います。
この点海外では鉄道を車両だけでなく「鉄道と言う社会システム」のモデルと捉えてその中で運転を楽しむ側面が(特にドイツ、イギリス、アメリカ)強いようです。
車両に対するこだわりは日本並みかそれ以上でもあくまで「鉄道と言う環境の中の構成因子」としてであり、それゆえに周囲の環境、風景、運行システムとの関連性が重視されている気がします。
それゆえにこれらの国々での著名なレイアウトには「自由形車両が活躍するオリジナル鉄道」が意外に多い様です。
書いていくうちに本題と脱線したコメントとなりました。すみません(汗)
65年当時では線路と車両が精一杯でストラクチャーに気を配る余裕はNのメーカーにも薄かった気がします。
SONYのマイクロトレーンには線路敷設用のレイアウトマットが付属していたようですがあの頃はそれが精々だったのではないでしょうか(しかも市販されなかったですし)
その点トミーはナインスケールの当時からBACHMANNのストラクチャーを安価にどこでも買える体制を整えており(岩手ですら複数のショップが扱っていました)プラレールのシステム性と併せて後のTOMIXへの下地を築いていた点、なかなか周到だったと思います。
16番はその辺の意識はNよりも稀薄でいつまでたってもブリキの駅舎と機関庫と言うレベル(これは80年代のエンドウですら変わりませんでした)でした。
サイズの問題とか価格面とか言う以前にこの意識の差がそのままNと16番のシェア面での逆転を許した最大の要因のひとつと思います。