鉄道模型と「バーチャルリアリティ」そして「ライヴ感覚」に思うこと

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 今回の話は長い上に要領を得ないところも多い話です。
 この間書いた「鉄道ファンでない鉄道模型ファン」は存在するか?し得るのか?に関連した話題ですので話題が空回り気味なのですがご容赦ください。

 今回のはなし、まずは夏目漱石の「門」の一節から。

宗助は宜道に書物の名を尋ねた。それは碧巌集(へきがんしゅう)というむずかしい名前のものであった。
宗助は腹の中で、昨夕(ゆうべ)のように、あてどもない考えにふけって脳を疲らすより、いっそその道の書物でも借りて読む方が、要領を得る捷径(ちかみち)ではなかろうかと思いついた。
宜道にそう云うと、宜道は一も二もなく宗助の考を排斥(はいせき)した。

「書物を読むのはごく悪うございます。有体(ありてい)に云うと、読書ほど修業のさまたげになるものは無いようです。
私共でも、こうして碧巌などを読みますが、自分の程度以上のところになると、まるで見当がつきません。
それを好加減いいかげんに揣摩(しま)する癖がつくと、それが坐る時の妨(さまたげ)になって、自分以上の境界(きょうがい)を予期して見たり、悟(さとり)を待ち受けて見たり、充分突込んで行くべきところに頓挫(とんざ)ができます。
大変毒になりますから、およしになった方がよいでしょう。
もししいて何かお読みになりたければ、禅関策進(ぜんかんさくしん)というような、人の勇気を鼓舞(こぶ)したり激励したりするものがよろしゅうございましょう。
それだって、ただ刺戟(しげき)の方便(ほうべん)として読むだけで、道その物とは無関係です」
(一部仮名遣いに手を加えました)


 最近のニュースであらゆるジャンルでバーチャルリアリティを用いたシミュレーションが普及し始めている事が取り上げられているのを見かけます。
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 この言葉が出てきたのは確か20年くらい前からでしょうか。
 直訳通りの通りの「仮想現実」の創生と言う事で自宅に居ながらにして別世界の感覚を味わえると言うのはなかなか魅力的ではあります。

 私なんぞが手軽にそれを味わえると言うとストリートビューなんかがそうでしょうか。
 子供のWiiUをテレビに繋いで大画面で昔住んでいた辺りとか思い出の場所の今を画面上でたどるのは結構楽しかったりします。

 さて、イメージ上の仮想現実と言う概念はネットやゲームの専売特許ではなく、あらゆる趣味活動の根幹のひとつでもあります。

 脳内の変換の仕方が異なるだけで読書も映画鑑賞、音楽鑑賞もそうですし、絵を描く事、楽器を弾く事、スポーツ全般もそれに該当します。
 いずれも「日常の生活とは切り離された別乾坤を味わう」為のものであり、あらゆる日常から飛び出そうとする行為は仮想現実的な要素をすべからく持っていると考えます。

 もちろん鉄道模型だってそのうちのひとつでしょう。
 レイアウトで運転すれば運転手気分でしょうし、車両工作にしてもどこかしらエンジニア気取りな所が大なり小なりあると思います。
 車両コレクターなんぞは「鉄道会社の社長気分かどうかすると運輸大臣の気分」かも(笑)

 ただ、最近のネットを含めたバーチャルリアリティで気になる事があります。
 それはそこに出てくる仮想現実が過度に視覚と聴覚に依存している傾向がある事です。
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 これを鉄道模型に当てはめるなら「画像や動画(あるいは文章)だけでモデル全体を判断しかねない傾向がある」点です。
 尤も、この点は専門誌などの雑誌や書籍についても言える事なのですが。
 以前なら「手を使う趣味」の最右翼だった鉄道模型ですが完成品が手軽に買えたり雑誌やウェブで情報が手軽に手に入ると「触らなくても持っている気になる」「作らなくても作った気になる」といった気分に陥りやすい危惧があります。

 最近運転会に出ていて感じること、模型店で展示品のモデルを眺めて感じる事は
 「雑誌で見るより小さいなあ」とか「このモデルの走りっぷりは動画サイトの画像よりも凄いなあ」とか言う事だったりします。
 (もちろん逆もありますが)
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 レイアウトにしてもそうです。
 雑誌の写真はおろか動画で見るイメージと実際にレイアウトを拝見するのとでは感じ方がまるで違うのです。

 音ひとつ取って見ても同じ空気の振動であるにも拘らずPCやステレオのスピーカーから出る音と実際にモーターを回す音を聞くのとでは明らかに後者の方が実体が伴った感じがするのです。
 私自身Nゲージのレイアウトをカムコーダに撮影したものを自宅の32インチのテレビにつないでみたら「あれ?これってこんなに迫力あったっけか?」とか驚いた事があります。これなんかは先に映像を観てから実物に触れたら大なり小なり失望させそうで怖いですね。
 
 仮想現実でそこにあるものを画面やスピーカーで再現して見せてもそれらはあくまで間接的なものであり実体そのものを100パーセント再現できません。
 コンピューターなんぞを持ち出さなくても例えば雑誌やレコードも脳内でイメージを変換しているだけで実態は同じです。
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 その意味で言うなら、少なくともレイアウトについて言えば本を読んだり、動画を観るのではなく「実物を実際に観て感じないとその真価が理解できないのではないか」
 レイアウトに大事なのは「その場にいるから感じられるライヴ感覚」ではないのかと最近思う様になっています。

 ここで言う「ライヴ感覚」とは視覚聴覚だけではなく表在感覚や深部感覚、平衡感覚、果ては味覚や嗅覚まで駆使して全身でそこにいる事を体感し経験に変えて積み重ねることだと思います(まあ、鉄道模型で味覚を持ち出されても困るでしょうがw)
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 そして究極の点で今のバーチャルリアリティにはなかなか代用できないのがこの総合感覚なのです。
 例えば従来、鉄道模型のクオリティを語る時に軽視されてきた感覚に「触覚」がありますがモデルを手に取って見た時のずっしり感(あるいは意外な軽さかも)、モデルの持つ手触り、手にとって分かるサイズ感なんかも意外に大事なものではないかと思えます。
 同じ事は嗅覚で言えば骨董モデルを走らせるときの「独特のモータの焼ける様な匂い」なんかも入るかもしれません。

 さて、鉄道模型でのレイアウト以外での「ライヴ感覚」とは何か。
 ここに「手を動かして作る、手を加える」「足で探しまわる」という要素が入って来ると思います。
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 あるいは車両工作や加工はもちろんですが完成品をお座敷で走らせるのもこのライヴ感覚の中に入ると思います。


 「コレクターが作らないから鉄道模型ファンに入らない」と言うのは半分正しいと思いますが、その一方で年季の入ったコレクターなら「自分の足で欲しい物を探し回る事の困難と喜び」は知っているはずです。
 これなんかもやはり広義の意味でライヴ感覚の一部ではないでしょうか。
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 レイアウトを作るなんてのを思い返して見てもベースを自作する所から始めれば「日曜大工」そのものの世界ですしストラクチャーの配置を考える時なんかはいっぱしのプランナー、シーナリィを作るのは「彫刻家と左官屋、或いは粘土遊びする子供」がいっぺんに味わえます。

 フィーダーやポイントを付けるところは電気工事の領分ですし完成して列車を走らせれば「運転手気分」あるいは「信号手気分」なのは間違いありません。

 これなどは正に全編がライヴと言っても良いくらいです。

 レイアウトを作るまで上述のどの工程も不器用だった(今もそう)私が単に「レイアウトを作りたい」と言う動機づけだけで突っ走ってしまえるのですから全く趣味と言うのは偉大です。

 何しろ下手でもその場では文句をつけるのは自分自身しかいませんからその意味では気楽なものです。

 今となっては私のこういう感覚はもはや時代遅れの古臭い物かもしれませんが、上述のレイアウトの製作の体験・経験に照らし合わせて思うのは、鉄道模型はもっとも原始的なシミュレートの趣味であると同時に上手くすれば五感を駆使して楽しめる点で映像主体のバーチャルリアリティとは異なる方向へ行けるのではないかという事だったりします。
 (写真は本題とは関係ありません)
光山鉄道管理局
 HPです。

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この記事へのコメント

2016年03月04日 03:32
CG鉄道模型。確かに、パソコン画面に向かって作業し、
パソコン上で楽しむものではあります。

それが「泥臭さ」「ライブ感欠如」になるかといえいば、
さにあらず。
CG鉄道もまた、モデラー自身で「弄り倒す楽しみ」が
仕込まれています。
たとえば、自分で収録した「オリジナルのサウンド」を
組み込むこと。
http://pianorise.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/vrm-22dc.html

そのサウンドの収録は、笑えるほど 泥臭いものです。
http://pianorise.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-1.html
http://pianorise.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-f378.html



光山市交通局
2016年03月05日 23:07
>Pianoさん

 オリジナルサウンドの記事拝見しましたがパソコンの素材を収集するのに「外へ飛び出して集める」プロセスを取り入れている所が素晴らしいと思います。

 このように仮想的な演出を受け身ではなくアクティブな行動を伴って自ら作る方向は好きですし大いにありだと思います。

 ただ、その方向性は私個人では「バーチャルリアライズ」と勝手に呼んで情報消費型の「バーチャルリアリティ」とは区別して捉えています。