日本型Nゲージの50年と思い出から・ワム3500・ワム50000編

 昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)
SNShouo71IMG_3366.jpg
今回紹介するのはワム3500。

 私がこの本を取った時点ですら2軸の有蓋車は殆ど鋼製車体の物が主でワム80000辺りの「茶色い有蓋車」がちらほら見かけられる状態でした。
 ですから本書の中でも木製車体の貨車と言うのはかなり古典的に見えたものです。

 製作記事でも同じ車体でありながら側板に筋を入れる工程がかなり面倒くさそうに見えた印象があります。
 ですが鋼製車体のワム23000と共に旧型の有蓋車の製作記事があったというだけでも本書の印象が何となくデラックスに見えたのは間違いありません(笑)
DSCN7437.jpg
 製作法は上述の板目の筋を入れるところを別にすればワム23000と変わりないものですから編成のバラエティを付けるという意味では中々お手軽ではあります。

 ところで本書の記事によると「この貨車の側面に筋交いを入れるとワム50000になります」とあります。
 ですが本書の記事の図面では筋交いが入っていないのに作例写真では筋交いが入っています。という事は写真のモデルはワム50000と見るのが妥当なのではないかと思われます。

 さて、そのワム50000はトミーナインスケールが最初にリリースした貨車のひとつとして割合早い段階からNゲージでも製品化されました。
 つまりナインスケールとしては初の日本型貨車のモデル化という事になります。
 それまでのNの貨車のラインナップは関水金属のコキ、ワキ等の高速貨車が主で2軸貨車はようやくワム80000、レ12000、ヨ6000が出た程度のものでした。
 当時人気のD51が牽く編成を組もうと思うにはいささか貧弱なラインナップでしたからナインスケールの2軸貨車は当時といえども福音だったのは間違いありません。
DSCN5592.jpg
 このワム50000、ナインスケール~TOMIXを経由して後に河合商会でも継続してリリースされた結構な長寿モデルでした。
 ポポンデッタに移管されてから出ているかどうかはまだ確認していませんが、あの頃よりも蒸気のラインナップが充実している今だとその存在価値は更に高い物があると思います。
 木造有蓋二軸貨車なんて、KATOもTOMIXも中々出さない車両ですし。
DSCN5593.jpg
 また、車体が旧式であるところを逆手にとって(同時発売のワフ29000と併せて)「車体だけレイアウトに置いて物置や倉庫に転用する」と言う使い方もなかなか悪くないと思います。
 同じ事を鋼製車体の貨車でやっても今ひとつピンと来ない気もするのですが「木造の物置ならどこにでもありそう」な気になるのが面白い所ではあります。
 こんな事を書いていたら私もやって見たくなってきました(笑)
光山鉄道管理局
 HPです。

にほんブログ村
にほんブログ村 鉄道ブログ

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道模型へ
にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道模型 レイアウト製作へ
にほんブログ村


鉄道模型 ブログランキングへ

現在参加中です。気に入ったり参考になったらクリックをお願いします。

この記事へのコメント

レサレサ
2016年04月10日 00:08
> 製作記事でも同じ車体でありながら側板に筋を入れる工程がかなり面倒くさそうに見えた印象があります。
現在はエバーグリーンなどの筋彫り板があるのですが、それが無い当時(私もエバグリに出会うまではそうでした)は平行になるように細かくプラスチックカッターで掘らないといけませんでしたからね・・・
私自身、昔ピィコの小型貨車下回りをTMSの通販で購入し、私鉄の木造有蓋車にしようとして途中で力尽きましたw
(現在はエバグリの筋彫り板でポンコツっぽいワ・トになっておりますw)

>ワム50000
この車両やワフ28000は、昔木造なので古いと思ってたら戦中製造開始で、戦前製のワム21000や23000・レ2900の方が古かったんですよね。
なんか個人的に意外でしたが、本当に古い貨車と見比べるとシルエットが別物でワム23000のテスクチャーを変えたような姿で、やはり流れ的には順番通りなんだなと納得。

>物置や倉庫に転用する
これやる場合、面白いのが「扉を開ける」という改造です。
開けると言っても構造的に一体形成なので「切り抜く」が正しいのですが、扉の部分をを注意してカッターで切り抜き、開く分だけ右の車体部分を切り抜いて扉を接着することでプラの厚みが目立たないように開口して見えるというもの。
(イメージ:車体扉車体→車体 扉体)
扉が本来あった部分の下部分に細いプラ棒などでレールをつけ黒塗りにして、土台をプラ板かバルサで作って嵌め込めば「扉の開いた物置」ができ、私のジオラマにもこれがメインのストラクチャーの奴があります。
光山市交通局
2016年04月11日 23:31
>レサレサさん

 解説有難うございます。

 「戦中の資材不足(及び貨物輸送の増大)の時期ゆえの木造貨車」という位置づけゆえにそれ以前の「鋼製貨車が技術的・コスト的になかなか作れなかった時代の貨車」とは根本的に異なるというのはなかなかに特徴的ですね。

 ですがそう考えると例えば大正期の9600なんかが似合う様な当時物の貨車は未だに殆ど製品化されていない事になりますね。困ったものです。

 倉庫の扉を変えるというのはいいアイデアですね。ありそうでない工作と思うので出物を見つけたらぜひやってみたいです。
レサレサ
2016年04月13日 19:23
>光山市交通局さん
>大正期の9600なんかが似合う様な当時物の貨車は未だに殆ど製品化されていない

それでしたら一番手っ取り早いのはPECOの木造2軸貨車を黒く塗装→インレタで記号書きするのがいいんじゃないでしょうかね?

日本製のにこだわる必要が無い理由、
1:明治・大正の貨車はイギリス製のものが結構多い事。
2:自動連結器交換が1925年(大正14年)なので、大正時代ならむしろバッファーがある方が好都合な事。
(9600も当然バッファーあり、ちなみに空制化も1923年から。)
3:貨車の表記が違う(現在の表記になったのは1928年から)なので、どのみち記号などは書き直す必要がある事。
(大正時代の貨車は1911年称号規程に従った表記、荷重区分ムラサキの表記もまだない。)

・・・結構こだわると奥が深いですね・・・
光山市交通局
2016年04月14日 18:50
>レサレサさん

 重ね重ねありがとうございます。

 先日90年代頃のパリの列車事故のドキュメンタリー番組を観ていたのですが、バッファーの付いた通勤列車(空制コックの操作ミスが事故原因だったのでよもやねじ式連結器時代の車両という事もないでしょう)というのが結構新鮮でした。

 考えてみれば自連でもバッファーはあるに越した事はないのでむしろ自然かもしれませんね。

 PECOの木造貨車ならプロポーションもごく自然ですね。