485系の引退に思うこと
昨日のニュースで仙台に残っていた最後の国鉄色485系が引退、解体されるというのが上がっていてつい感慨にふけりました。
東北出身の私にとって新幹線開通以前の485系はまさに「トカイへの架け橋」みたいな存在と言えます。
あの頃は東京どころか仙台、郡山ですら私には大都会でしたが(笑)
あの当時は盛岡~上野までやまびこを飛ばしても6時間くらいは掛かった時代。
何しろ朝8時半に出発して「車内で昼飯を食べてもまだ目的地に着かない」のが当たり前でした。それくらい長々と乗っていた電車がこの485系だった訳です。
40年前、折り返しの「白鳥」の遅れで3時間遅れの下り「やまびこ」で文字通りの長旅に揺られながら笹かまぼこを齧っていたのも今では思いでのひとこまですが、それを思い起こさせるカラーリングの電車が消えるというのはやはり寂しい物があります。
さよなら運転には行けませんでしたが、うちのレイアウトであの頃の「はつかり」を運転してみるのも模型ファンぽい話です。
ここで走らせているのは主にKATOのモデルですが、これも数年前の帰省の折故郷の某中古ショップで見つけた出物。はつかりとかやまびこが実際に走っていた沿線のショップでこういうのを見つけると嬉しいものです(ついでに財布も目いっぱい軽くなりますが)
これも485系に縁のない現住地や出物が有り余っている東京で見つけるのとはまた違った感慨があります。
うちではこれの他に学研とかリマ(爆)のやつまで入線している485系ですがこれらが増えているのも珍しさだけにとどまらず自分の思い出に密接につながった電車である事も無関係ではないでしょう。
実車はいなくなってもモデルの世界ではまだまだ健在な電気釜であります。
光山鉄道管理局
HPです。
にほんブログ村
にほんブログ村 鉄道ブログ
にほんブログ村
にほんブログ村
鉄道模型 ブログランキングへ
現在参加中です。気に入ったり参考になったらクリックをお願いします。
この記事へのコメント
これも時代とはいえ、寂しいことです(>_<)
私は実は485系に乗車したことがありません(冗談ではなく、本当です)
勿論、見掛けたことは何度でもあるのですが…
模型のほうは中高生の頃、有井から出ていたプラモデル形式のHO車両を持っていました。
本来は乾電池で走行させるものですが、レールから集電するように改造していました。
車輪が金属製だったので改造は簡単でした(^O^)
昨夜、妻が「仙台のラストランは終わりだけど山形で走る」とか言うので指摘の返事したらわざわざ話合わせてあげようとしているのに言い方が気に入らないとアレコレ文句が雨霰となって参りました。聞けば今日日曜は福島から仙台経由で山形に行くとか?485の引退のおかげでえらい目に遭ってしまいました(ブログに書くと妻に読まれ大目玉となりますので失礼ですがこちらに)。
有井のプラモデル、以前はよく模型屋なんかで見かけましたね。
機関車のプラモデルをHOの模型化する改造は70年当時のTMSなんかでよく見かけましたが485系の改造は珍しい気がします。
そう言えばうちもアリイのEF66のプラモデルをHO化するつもりでいたのですがなまじ電池で走ってしまう事もあって停滞中です(汗)
私も故郷在住当時は485系・475系・583系のどれかしか居ませんでしたから「普通の電車感」の強い車両ではありましたね。
新幹線延伸に伴って「そう言えばいつの間にか見なくなった」という感じではあります。むしろ近い将来、何かのはずみで昔の映像かなんかを見るときに感慨にふけりそうな気もしますね。
今回のニュースはNHKのデータ放送で知りましたが結構解説が細かかったですね。
遅ればせながらコメントありがとうございます。
485系とその前身の483系は私にとっても「長旅の象徴」として一定のステイタスがありました。修学旅行で485系に乗れたなんてのは羨ましいですね。
私の時は12系の臨時列車でしたが乗ったのが「エンジンを積み込んでいる最後尾の車両」だったのでそれなりにノイジーでした。
そういえば不思議と583系は仙台より遠くまで乗った事がありませんw
151系からの流れもあって「なにからなにまで特急電車らしい」ところがこの電車の最大の魅力でしたね。