鉄道ミステリとNゲージを語る9「無人踏切」と111系(?)
鉄道ミステリをNゲージモデルと絡めて語るシリーズから。

今回はこのシリーズの編者でもある鮎川哲也のネタです。
アンソロジーの4冊目に掲載され、本そのもののタイトルにもなった「無人踏切」を取り上げます。
ストーリーをざっくりかいつまむと茅ヶ崎で起こった殺人事件の容疑者のアリバイ作りに湘南電車が使われるという話です。
タイトルにもある様にこの作品の描かれた時期は首都圏でクルマの通る様な道路にも無人踏切が当たり前の様にあった時期です。
冒頭で容疑者たちがクルマで列車の通過待ちをする部分では周囲の寒々とした情景や車内のむさくるしい空気までも感じられて私が好きな部分でもあります。
さて、ストーリーに絡む証言の部分を引用させて頂くと
~
「それじゃこんな事も言えるわけですな。あんたはそこが逗子か鎌倉のあたりだと思っていたけれど、ひょっとすると東京の郊外だったかもしれないし、また大磯か二ノ宮の近くだったかもしれない」(中略)
「東京ではありませんわ。それに、大磯なんかでもありません」
「どうして?」
「だって、すぐそばを横須賀線が走っていたんですもの」
「電車を見たの?」
(中略)
「横須賀線の電車の色は?」
「上半分があわいクリームで、下半分が濃いブルーです」
もはやそれが横須賀線の電車である事は間違いない。
(光文社文庫「無人踏切」249~250Pより引用)

昔の国電はどれもこれも茶色一色でしたが、この前後の時期からいわゆる湘南色とかスカ色をはじめとして「電車のカラフル化」が進行し電車のカラーリングがアリバイ証明に使われるくらいに「地区や線区の象徴」とすらなって居た事が伺われます。
今では当たり前の事ですがこれが書かれた当時は結構新鮮な事だったと思います。
だからこそトリックの種にもなったのでしょうがこれ以後の時期になると特にスカ色の電車はあちこちで走り回る様になりましたし、最近の様な「何でもありのカラーリング」の時代になるとこういうアリバイ証明は難しいかもしれません。「京王帝都のカラーの電車が、山梨や島根を走るくらいですし(笑)」

さて、ここで登場する列車ですが形式名こそ書かれていませんが恐らく111系か113系だったのではないかと思います(あるいは70系と80系だったらなお確実と思います)
初出が1962年と時期的にも111系の登場時期に符合していますし。
そんな時代設定からすればGMから出ていた111系辺りが似つかわしいのではないかと。

ここで書いた様に111・113系はNゲージでは比較的早い段階から登場、拡充が図られた系列です。
上述のGM製の完成品が77年の専門誌の新年号に登場。但しこの時点では動力車なしでKATOの103系のそれを転用できる配慮がされていました。
その2年後くらいにTOMIXがスプリング駆動のウォームギアという独特な構造の自前動力を引っ提げて113系をリリース。
これが爆発的な売れ行きを上げたと思います(この頃の中古モデルが35年以上経った今でも奥やショップに並ぶ事がある位です)

そう言えば私が最初に買った編成物もこの頃のTOMIXでした。
後にKATOやマイクロエースもこの系列に参入。
線区ごとのバリエーションも作り分けられて製品化されていますし、恐らくNゲージでは最も種類の多い電車モデルではないでしょうか。
さて本編の解説で作者のコメントとして「ここで書かれていた事は掲載当時に実際にあった事なのである。現在では見られない」とあります。
鉄道マニアなら知られた事でも当時は一々こう書かなければならない時代の頃の話です。
今これに近い事をやったら近所の撮り鉄が黙っちゃいないでしょう(ネタばれは極力避けたつもりですがファンから見ればバレバレの様な気もします)
光山鉄道管理局
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今回はこのシリーズの編者でもある鮎川哲也のネタです。
アンソロジーの4冊目に掲載され、本そのもののタイトルにもなった「無人踏切」を取り上げます。
ストーリーをざっくりかいつまむと茅ヶ崎で起こった殺人事件の容疑者のアリバイ作りに湘南電車が使われるという話です。
タイトルにもある様にこの作品の描かれた時期は首都圏でクルマの通る様な道路にも無人踏切が当たり前の様にあった時期です。
冒頭で容疑者たちがクルマで列車の通過待ちをする部分では周囲の寒々とした情景や車内のむさくるしい空気までも感じられて私が好きな部分でもあります。
さて、ストーリーに絡む証言の部分を引用させて頂くと
~
「それじゃこんな事も言えるわけですな。あんたはそこが逗子か鎌倉のあたりだと思っていたけれど、ひょっとすると東京の郊外だったかもしれないし、また大磯か二ノ宮の近くだったかもしれない」(中略)
「東京ではありませんわ。それに、大磯なんかでもありません」
「どうして?」
「だって、すぐそばを横須賀線が走っていたんですもの」
「電車を見たの?」
(中略)
「横須賀線の電車の色は?」
「上半分があわいクリームで、下半分が濃いブルーです」
もはやそれが横須賀線の電車である事は間違いない。
(光文社文庫「無人踏切」249~250Pより引用)

昔の国電はどれもこれも茶色一色でしたが、この前後の時期からいわゆる湘南色とかスカ色をはじめとして「電車のカラフル化」が進行し電車のカラーリングがアリバイ証明に使われるくらいに「地区や線区の象徴」とすらなって居た事が伺われます。
今では当たり前の事ですがこれが書かれた当時は結構新鮮な事だったと思います。
だからこそトリックの種にもなったのでしょうがこれ以後の時期になると特にスカ色の電車はあちこちで走り回る様になりましたし、最近の様な「何でもありのカラーリング」の時代になるとこういうアリバイ証明は難しいかもしれません。「京王帝都のカラーの電車が、山梨や島根を走るくらいですし(笑)」

さて、ここで登場する列車ですが形式名こそ書かれていませんが恐らく111系か113系だったのではないかと思います(あるいは70系と80系だったらなお確実と思います)
初出が1962年と時期的にも111系の登場時期に符合していますし。
そんな時代設定からすればGMから出ていた111系辺りが似つかわしいのではないかと。

ここで書いた様に111・113系はNゲージでは比較的早い段階から登場、拡充が図られた系列です。
上述のGM製の完成品が77年の専門誌の新年号に登場。但しこの時点では動力車なしでKATOの103系のそれを転用できる配慮がされていました。
その2年後くらいにTOMIXがスプリング駆動のウォームギアという独特な構造の自前動力を引っ提げて113系をリリース。
これが爆発的な売れ行きを上げたと思います(この頃の中古モデルが35年以上経った今でも奥やショップに並ぶ事がある位です)

そう言えば私が最初に買った編成物もこの頃のTOMIXでした。
後にKATOやマイクロエースもこの系列に参入。
線区ごとのバリエーションも作り分けられて製品化されていますし、恐らくNゲージでは最も種類の多い電車モデルではないでしょうか。
さて本編の解説で作者のコメントとして「ここで書かれていた事は掲載当時に実際にあった事なのである。現在では見られない」とあります。
鉄道マニアなら知られた事でも当時は一々こう書かなければならない時代の頃の話です。
今これに近い事をやったら近所の撮り鉄が黙っちゃいないでしょう(ネタばれは極力避けたつもりですがファンから見ればバレバレの様な気もします)
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