鉄道ミステリとNゲージを語る14「汽車を招く少女」からGMの信号所
今回は光文社版アンソロジー「急行出雲」所収の丘見丈二郎「汽車を招く少女」から。
鉄道ミステリの括りにありながらSFやファンタジー、怪談の類まで収録しているのが光文社時代の特徴です
本作は一見して怪談の体裁をとっているもののその中でも謎解きの要素が比較的強い作品です。
私なんかだと丘見丈二郎と言うと連想するのは東宝特撮の「地球防衛軍」の作者だったりするのですが(笑)
元々氏は日本のSF界では古典派に属する作家の草分け的な存在でした。
本作は終戦直後のとある国鉄ローカル線を舞台に「夜な夜な幻の列車に手招きをする少女の幽霊」を題材に描かれた怪談仕立ての一篇です。
主人公は旧友の信号手とともにそれを目撃するのですが実はその裏には予想もしない悲劇が隠されていました。
ここから先はぜひ現物を読み通していただければと思います。
こちらも光文社文庫の復刻版で入手は比較的容易と思います。
さて、本作を一読された方はすぐにディケンズの怪異譚である「信号手」を連想される事と思います。
実際作中でも登場人物が「ここでディッケンズそこのけの事が起こるのだ」と言及しているくらいですから作者自身も意識はしていたと思います。
ですが作品の構成はシチュエーションこそ酷似して居ながら見事な換骨奪胎がなされ、特に読み終えた時の哀感は「信号手」にはない独特の雰囲気を持っています。
さて、本作では形式を特定できるような形で車両は描写されません。
ではなぜこの作品をここで取り上げたかと言いますと、
作品の舞台が「海岸沿いの信号場」だったからです。
つまり「GMの信号所に話を持って行けるな」という無理やりな論理ですが(笑)
このブログでも時折取り上げていますがGMの信号所は詰所と併せて「初の日本型ストラクチャー」としてリリースされた物です。
ヤード用に使うにはやや高さが不足と当時の専門誌の製品紹介にも書かれており土台を嵩上げすれば使えるというレベルでしょうか。
私も棚幡線の工事の時この信号所のキットを切り詰めて使いましたが確かに見晴らしは良くなさそうです。
ですがこれが信号場であれば退避線1本程度の見晴らしがあればこの高さでも問題はなさそうです。
その目で本作を読み返しながらこのキットを手に取って見ると「宿直の信号手はこの建物のどこで寝ているのだろう」とか余計な事を考えたりします。
「余り泊まったことはないんだ」
{というと?」
「駅で寝たり信号所で寝たりさ」
「信号所?」
「トンネルの向こうの信号所さ(中略)」
「景色のよい所だよ。それこそ別天地だ。静かで人気がなくてさ。凪いでよし、荒れてまたよし、はるばると黒潮の鳴る太平洋を大らかなる詩と見立ててだ。大丈夫、二人が寝るくらいのスペースはある。終列車が通れば朝まではまったくフリーな時間だし、月下の太平洋は素晴らしいぜ」
(光文社カッパノベルズ」版「急行出雲」所収「汽車を招く少女」125~126Pより引用)
この一連の会話からレイアウトづくりのインスピレーションがなんとなく湧き起ってくる辺りは作者の筆致のなせる業と言えるところで私個人も好きな部分です。
「朝まで何をしているんだい?当直ならまさか眠ってしまうわけにもゆくまい」
「なんの、眠ったって平気さ。しかし僕はそんなふうにさぼりはしない。たいていは読むのさ。昼間の馬鹿用で無駄に過ごした人生の貴重なときを、この時に取り戻すのだ」
なるほど、その考えは増田らしい。彼はディッケンズの耽美者であった。この妖しい無人の境の深夜にデッケンズの豊麗奇絶な風趣に浸るのは、彼にとっては人生の貴重なひと時かもしれぬ。
(同127Pより引用)
鉄道員に限らず、一度こういう優雅な当直という奴をやって見たかったですが、いざ当直をやってみると現実はなかなかそうはいきません(笑)
写真の信号所はミニSLレイアウトの棚幡線に使うためにGMのキットを切り詰めたものです。
サイズ的にはこれ位こじんまりしていた方が作品にも似合う気もします(自画自賛)
光山鉄道管理局
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鉄道ミステリの括りにありながらSFやファンタジー、怪談の類まで収録しているのが光文社時代の特徴です
本作は一見して怪談の体裁をとっているもののその中でも謎解きの要素が比較的強い作品です。
私なんかだと丘見丈二郎と言うと連想するのは東宝特撮の「地球防衛軍」の作者だったりするのですが(笑)
元々氏は日本のSF界では古典派に属する作家の草分け的な存在でした。
本作は終戦直後のとある国鉄ローカル線を舞台に「夜な夜な幻の列車に手招きをする少女の幽霊」を題材に描かれた怪談仕立ての一篇です。
主人公は旧友の信号手とともにそれを目撃するのですが実はその裏には予想もしない悲劇が隠されていました。
ここから先はぜひ現物を読み通していただければと思います。
こちらも光文社文庫の復刻版で入手は比較的容易と思います。
さて、本作を一読された方はすぐにディケンズの怪異譚である「信号手」を連想される事と思います。
実際作中でも登場人物が「ここでディッケンズそこのけの事が起こるのだ」と言及しているくらいですから作者自身も意識はしていたと思います。
ですが作品の構成はシチュエーションこそ酷似して居ながら見事な換骨奪胎がなされ、特に読み終えた時の哀感は「信号手」にはない独特の雰囲気を持っています。
さて、本作では形式を特定できるような形で車両は描写されません。
ではなぜこの作品をここで取り上げたかと言いますと、
作品の舞台が「海岸沿いの信号場」だったからです。
つまり「GMの信号所に話を持って行けるな」という無理やりな論理ですが(笑)
このブログでも時折取り上げていますがGMの信号所は詰所と併せて「初の日本型ストラクチャー」としてリリースされた物です。
ヤード用に使うにはやや高さが不足と当時の専門誌の製品紹介にも書かれており土台を嵩上げすれば使えるというレベルでしょうか。
私も棚幡線の工事の時この信号所のキットを切り詰めて使いましたが確かに見晴らしは良くなさそうです。
ですがこれが信号場であれば退避線1本程度の見晴らしがあればこの高さでも問題はなさそうです。
その目で本作を読み返しながらこのキットを手に取って見ると「宿直の信号手はこの建物のどこで寝ているのだろう」とか余計な事を考えたりします。
「余り泊まったことはないんだ」
{というと?」
「駅で寝たり信号所で寝たりさ」
「信号所?」
「トンネルの向こうの信号所さ(中略)」
「景色のよい所だよ。それこそ別天地だ。静かで人気がなくてさ。凪いでよし、荒れてまたよし、はるばると黒潮の鳴る太平洋を大らかなる詩と見立ててだ。大丈夫、二人が寝るくらいのスペースはある。終列車が通れば朝まではまったくフリーな時間だし、月下の太平洋は素晴らしいぜ」
(光文社カッパノベルズ」版「急行出雲」所収「汽車を招く少女」125~126Pより引用)
この一連の会話からレイアウトづくりのインスピレーションがなんとなく湧き起ってくる辺りは作者の筆致のなせる業と言えるところで私個人も好きな部分です。
「朝まで何をしているんだい?当直ならまさか眠ってしまうわけにもゆくまい」
「なんの、眠ったって平気さ。しかし僕はそんなふうにさぼりはしない。たいていは読むのさ。昼間の馬鹿用で無駄に過ごした人生の貴重なときを、この時に取り戻すのだ」
なるほど、その考えは増田らしい。彼はディッケンズの耽美者であった。この妖しい無人の境の深夜にデッケンズの豊麗奇絶な風趣に浸るのは、彼にとっては人生の貴重なひと時かもしれぬ。
(同127Pより引用)
鉄道員に限らず、一度こういう優雅な当直という奴をやって見たかったですが、いざ当直をやってみると現実はなかなかそうはいきません(笑)
写真の信号所はミニSLレイアウトの棚幡線に使うためにGMのキットを切り詰めたものです。
サイズ的にはこれ位こじんまりしていた方が作品にも似合う気もします(自画自賛)
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この記事へのコメント
GMのものと違って窓が出っ張っていない形状など、初期の工作の苦労(小さいので張り出し窓は作れなかったと記述あり)が分かるのですが、個人的に「おお」と思ったのは、この時代すでに「窓が大きいので室内もよく見えます」と屋内の家具が作られていたと言う事。
・机・椅子・ベンチ→硬い紙をコの字に曲げて作る
・ロッカー→片側に寄せて照明線隠し
・ポイントテコ→ヒューズの中をつぶして片方の端を曲げ、かまぼこ上の板に刺しこむ。
(当時は均一に細い材料がヒューズしかなかったようです)
・ストーブ→ビヤ樽(の模型?)に穴をあけヒューズで煙突
…50年代の乏しい材料でなかなかうまくやったものですねぇ…。
今度NでGMの信号所作る時に再現してみたいものです。
私が折に触れて取り上げている模型と工作の別冊でも近代型の信号所の製作法が載っているのですがそちらの方も「室内の家具」が付いていたりします。
こういうのは市販のストラクチャーによくある「床板一体のプラモールド」よりも個別に自作する方が見栄えがしそうですね。
私の場合この小説に照らし合わせて「寝台」なんかも付けたいところですがさて、実物の資料があるかどうか(汗)