1970年・あの頃の8ミリ映像から・・・

昨年の今頃と、今年の初めにも書きましたが亡父が生前に撮りだめしていた8ミリのフィルムが大量に再発掘されまして、今回の帰省でも昨年とほぼ同量のフィルムを持ち帰りDVDに焼き直してもらっていました。

それが先日ようやく仕上がり再びあの頃の思い出に浸りきっていたりします。

昨年発掘されたのは昭和40年代前半が中心でしたが、今回のフィルムは昭和40年代後半から50年初め頃の奴が中心です。実はここまでの文言はさっき上げたサブブログの出だしと全く同じだったりしますが(汗)

こちらは鉄道編で
とはいえ昨年に比べると鉄道の出て来る場面の分量は少ないので動画を上げる訳にはいきません。
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盛岡駅の送迎風景に写っていた583系のはつかり
当時はやまびこと並んで盛岡駅の二大スターでした。
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この表記にそこはかとない懐かしさを感じてしまう私はおっさんです。
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一見(当時としては)どうという事のない映像ですが今観かえすと「ああ、この頃は二軸の冷蔵貨車にコキが繫がっていたのか」とか感慨にふけったりもします。今ではこういう編成は映像か模型の中でしか再現されなくなってしまいましたが。

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個人的なノスタルジーの対象は「ホームの上の立ち食いそば屋」だったりします。
こういうのは「間違ってもバス停やタクシー乗り場では見られない」駅ならではの設備ですから当時はとても憧れました。
盛岡には「バスセンター」と言う駅によく似た施設があるのですが今月で終わるそうで。

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その盛岡の駅舎。
新幹線の駅になるまではこんなにも空は広かった。新幹線の開通でこの駅舎も5階建てビル相当の高さになりましたが、今ではその駅舎を見下ろせるビルの方がはるかに多くなってしまいました。
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その新幹線開業前の時期、でかでかと「0系のイラスト看板」が駅を飾っていたのも懐かしい思い出です。
この当時は「新幹線がみどり色になる」なんて誰も予想していませんでした。

如何に当時の東北が新幹線を待望していたかが伺われますが、因みにこの同じ時期、現在の埼京線近辺では「ムーミンやスナフキンまで動員した『新幹線建設反対』の看板の群れ」が沿線を飾っていましたが。
(たしかあの頃の新聞では住民のコメントとして「開通しても東京見物の田舎者しか乗らない」とまで書かれていた気がw ですが新幹線が開通しなかったら今の私の人生様式もなかった訳なのでやはり新幹線は偉大ではありました)
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懐かしいといえば「青函連絡船」もそのひとつ。
当時の故郷では中学校の修学旅行の定番が「青函連絡船に乗って北海道へ」でした。

あの頃の連絡船は「デッキにクルマを積んで航行していた」のに驚いたのも今となっては思い出です。
光山鉄道管理局
HPです。

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