鉄道模型、或いは趣味への「飽きること」におもうこと
今回は一種酔っぱらいのたわごとみたいなものです。
脈絡のない話かもしれませんがそこはご勘弁を。
最近のKATOは無暗にマニアックと言いますか、国鉄の旧型車両のモデル化が続いています。
それも殆どゲリラ的にリリースされたりするので予約を忘れかねないほどです。
それについてはTOMIXにしても似た様なものですが(まさかC11が出るとは)リニューアルされるようですし、全くうかうかできません。
(ED19なんかは本当に直前までリリースを知らなかったくらいで)
まあ、それはさておいて。
レイアウトの製作で40年前に買っていたストラクチャーを組み直して並べた時、或いはこの十年ちょっとの間に増備された車両(それも骨董品レベルばかりですが)を俯瞰してみたりするとき、「継続は力なり」と言うある意味わかりきった事が、最近単なる言葉でなく体験としての意味と言う形で実感されます。
してみるとテツドウモケイに限らず、趣味というものは何事もそうですが先ず「対象が好きである」と言う事が大事な要素であり資格ではないかと思えます。
逆にいうなら趣味とか道楽について言えば最大の敵は「飽き」ではないかと思います。
実際、私が鉄道模型を再開した当初一番恐れたのがこの「飽きることへの不安」でした。
私自身、何事も飽きっぽい人間ですしその危険は大いにあった訳です。
しかし、趣味を継続させる要因とは何でしょうか。
ひとつには「興味が途切れない事」が言えると思います。
或いは常に手を使う事で技量の向上や変質を積み重ねてゆくプロセスと言うのもあると思います。
(敢えて「変質」と書いたのは私の技量が全く上がっていないからなのですが)
ですがそれだけとはどうも思えない。
「ゴールを目指すけれど、一方でそれに拘らない姿勢」というのもあるのではないでしょうか。
何事もゴールと言う物はあります。
ですがそれは同時に「ゴールと同時に弛緩が来る」事もまた多い。
ここで飽きてしまうか、次の展開を考えるかがひとつの分岐点ではないかと思います。
(こういうのを別名「足を洗う」とか「泥沼にはまる」とも言いますw)
ですが一方に於いて趣味と言うのは仕事とか実生活と違って「飽きたらいつでもやめられる」
少なくともそのハードルは低いはずです。
「好きなだけでは続けられない」これは真理です。
ですがその一方で「まず、好きでなければ始められない」というのも真理ではないでしょうか。
「好きでい続ける」と言う事、これが全ての趣味、道楽の原点(スポーツなんかはそうでないと肉体的苦痛だけな筈です)と思います。
人生の中でそうまでして「好きでい続けられる」対象を見つけられる事は案外難しい事かもしれない。
不思議と物的に恵まれれば恵まれるほどこれは難しくなる様な気がします。
どこかで好きな対象に対する欠乏経験があると案外好きでい続ける物かもしれません。
初めて鉄道模型を始めた時にもこの欠乏感がありました。
40年前のNゲージの開始時は特急列車が20系しか組めなかったですし当時人気の蒸気機関車はたった3機種。それどころかディーゼル機関車すら全くありませんでした。
ですから腕に覚えのあるモデラーは製品化されない車両の自作や改造による増備に血道を上げましたし、それほどの腕のないファンは(わたしなんかはその典型でしたが)ひたすら製品化を待ちわびたものです。
80年代に入りある程度その渇は癒された。そのはずでした。
ですが今思い出してみると私がNゲージを中断した30年前は新規参入組を中心に大概の編成が手に入る様になったこの時期と重なるのです。
これはなぜなのか。
この事については結論が纏まらないのでもう少し考えてみたいと思います。
(写真は本題とは関係ありません)
光山鉄道管理局
HPです。
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脈絡のない話かもしれませんがそこはご勘弁を。
最近のKATOは無暗にマニアックと言いますか、国鉄の旧型車両のモデル化が続いています。
それも殆どゲリラ的にリリースされたりするので予約を忘れかねないほどです。
それについてはTOMIXにしても似た様なものですが(まさかC11が出るとは)リニューアルされるようですし、全くうかうかできません。
(ED19なんかは本当に直前までリリースを知らなかったくらいで)
まあ、それはさておいて。
レイアウトの製作で40年前に買っていたストラクチャーを組み直して並べた時、或いはこの十年ちょっとの間に増備された車両(それも骨董品レベルばかりですが)を俯瞰してみたりするとき、「継続は力なり」と言うある意味わかりきった事が、最近単なる言葉でなく体験としての意味と言う形で実感されます。
してみるとテツドウモケイに限らず、趣味というものは何事もそうですが先ず「対象が好きである」と言う事が大事な要素であり資格ではないかと思えます。
逆にいうなら趣味とか道楽について言えば最大の敵は「飽き」ではないかと思います。
実際、私が鉄道模型を再開した当初一番恐れたのがこの「飽きることへの不安」でした。
私自身、何事も飽きっぽい人間ですしその危険は大いにあった訳です。
しかし、趣味を継続させる要因とは何でしょうか。
ひとつには「興味が途切れない事」が言えると思います。
或いは常に手を使う事で技量の向上や変質を積み重ねてゆくプロセスと言うのもあると思います。
(敢えて「変質」と書いたのは私の技量が全く上がっていないからなのですが)
ですがそれだけとはどうも思えない。
「ゴールを目指すけれど、一方でそれに拘らない姿勢」というのもあるのではないでしょうか。
何事もゴールと言う物はあります。
ですがそれは同時に「ゴールと同時に弛緩が来る」事もまた多い。
ここで飽きてしまうか、次の展開を考えるかがひとつの分岐点ではないかと思います。
(こういうのを別名「足を洗う」とか「泥沼にはまる」とも言いますw)
ですが一方に於いて趣味と言うのは仕事とか実生活と違って「飽きたらいつでもやめられる」
少なくともそのハードルは低いはずです。
「好きなだけでは続けられない」これは真理です。
ですがその一方で「まず、好きでなければ始められない」というのも真理ではないでしょうか。
「好きでい続ける」と言う事、これが全ての趣味、道楽の原点(スポーツなんかはそうでないと肉体的苦痛だけな筈です)と思います。
人生の中でそうまでして「好きでい続けられる」対象を見つけられる事は案外難しい事かもしれない。
不思議と物的に恵まれれば恵まれるほどこれは難しくなる様な気がします。
どこかで好きな対象に対する欠乏経験があると案外好きでい続ける物かもしれません。
初めて鉄道模型を始めた時にもこの欠乏感がありました。
40年前のNゲージの開始時は特急列車が20系しか組めなかったですし当時人気の蒸気機関車はたった3機種。それどころかディーゼル機関車すら全くありませんでした。
ですから腕に覚えのあるモデラーは製品化されない車両の自作や改造による増備に血道を上げましたし、それほどの腕のないファンは(わたしなんかはその典型でしたが)ひたすら製品化を待ちわびたものです。
80年代に入りある程度その渇は癒された。そのはずでした。
ですが今思い出してみると私がNゲージを中断した30年前は新規参入組を中心に大概の編成が手に入る様になったこの時期と重なるのです。
これはなぜなのか。
この事については結論が纏まらないのでもう少し考えてみたいと思います。
(写真は本題とは関係ありません)
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この記事へのコメント
自らの意思において趣味参入すればいったん休止しても再開はできます
しかし『周囲がやっているから自分もやってみた』というのは飽きて辞めるのが大半
長期的な視点に立てない
ネタ消費・アイテム獲得ばかりでは飽きて当然
(ネタ消費を煽る世間全体の風潮は広告代理店の害悪ですよ)
撮影しかできないのはある程度のところでブログ放置
(飽きてしまったのがバレバレ)
撮影なんていうのは趣味入口でしかないのに
『頂点』とか愚にもつかないことを堂々と言ってのける
入口でうろうろしただけなのに『鉄道趣味全般』を知り尽くしたようなことを堂々と言う
なぜか?
ネット知識を入れればなんとかなるからです
しかしそういうのに限って底が透けて見えるんですよ
昔はネットなんてないから図書館に行って鉄道書籍を借り読むことで
無意識に知識の研鑽はあったのですよ
大体、JRになってからこの世に生を受けた奴らが『国鉄』って騒ぎ立てるのが嫌なんですよ
どの趣味カテゴリーでも『実体験』を持った人間には勝てないということです
この前とある深夜放送でMCが
『俄と初心者の差は、前からやっている人間に敬意を払えるかどうかの差』と言ってたのですが
まさにその通りだと思いますね
>『周囲がやっているから自分もやってみた』~
私自身の経験に照らし合わせるとこのパターンが一番つまらなかったですね。趣味の選択はきっかけがどうであれ自分自身のアクティブさがどれだけあったかが大事な気がします。
言い換えれば飽きた時に自分で落とし前が付けられるかと言う部分ですね。
(最初に購入した鉄道模型関係本が諸星昭弘さんのミニレイアウト関連の本でしたし)
その後TMS・RMMを中古で買いそろえ、水野良太郎さんのレイアウトプランや小林信夫さんの工作記事→宮下洋一さんの地鉄電車の設定と言ったようなものに影響受けて、現在は鉄コレなどの加工にはまっています。
・・・まあ加工と言っても大半は塗り替え(パンタとヘッドライトは交換するけど)で番号もつけていませんがw
出だしはどうあれ「好きで始めた事」はやはりモチベーションの点で強いですね。趣味の世界ばかりは周囲の思惑でやるものではないと思います。
小林信夫氏の記事はTMSの中では少し異彩を放っていますが私も大好きで舞香愛読んでいます。最近の鉄道模型全体の流れが少し窮屈な方向に向かっている危惧を感じさせる折、こういう自由な発想の記事は一服の清涼剤ですね。