骨董モデル、あるいは「模型そのものへのノスタルジー」に思うこと
先日拝見したある方のブログを拝見していて「今はもう触れられない実物の車両や旧国鉄時代のシステムに対するノスタルジーの感情を表現する場所として鉄道模型がある」と言った意味の事が書かれているのが目を引きました。

実際、飛行機や自動車なんかと違って個々の鉄道車両はともかく鉄道と言うシステムそれ自体を懐かしんだ年代の通りに取っておく事は難しい事です(海外の保存鉄道の様にファンやマニアが廃線をひとつ買い切って自分の理想の鉄道を作る事は不可能ではないかもしれないですが)
ですからそうしたノスタルジーを満たすための一手段として鉄道模型があるという論旨は認める事にはやぶさかではありません。
この内容に共感を感じる様になる位私も歳を食ったなあとか思うのですが(汗)
で、これを読んでいて触発された事をひとつ上げようと思いますが、本題はややそこから脱線する内容です。
旧車・あるいは古いものにノスタルジーや理想を感じるのは実物、殊に鉄道については確かに言えることだと思います。
ですがこれと同じ事は実物のみならず「鉄道模型」そのものにも言えることではないかとふと思ったのです。

理想形はともかくとして模型の世界にも「揺籃期」とか「勃興期」と言うのはあるものでして、そうした時代には製品そのものに粗削りで欠点もあるものの妙な勢いを感じさせられるものです。
その過程では駄作や珍品もでてくるのですが、それらが無いと今の「洗練された進化」もあり得ない訳です。
例えば、ハリウッドの映画は世界を席巻していますが、一本の大ヒットの裏でその数万倍の駄作や珍作が出ている事は見落とされがちです。
言い換えれば駄作や珍作を嫌い、10割打者ばかり追い求める風潮こそが世の中を詰まらなくさせている最大の要因のひとつだと実のところ個人的にはそう思っているのですが。
旧車や鉄道のノスタルジー趣味の一部にはそうした時代の空気を感じる事も大きいと思います。
同じ事は歴史が50年かそこらしかないNゲージの模型(よく考えてみたら16番も70年かそこいらですが)でも言えます。
最近私が好んで入手する旧モデルと言うのは大半が70年代後半から80年代前半のモデルです。

これらはいずれもNゲージの勃興期に当たる時期(TOMIXの登場とNの有望さを見た学研・エンドウ初め新規参入組が乱立した前後)に当たります。
これらを他にすると今のモデルの様な洗練差や細密性はありませんが「洗練されすぎてつまらない」「実物に似すぎて凄いけど薄気味悪い」最近のモデルにない表情と勢いがあります。
ですから最新の細密モデルと一緒にそれらを走らせても意外と抵抗を感じません。
(人によってはこういうのを嫌がる層が殊に実物原理主義者に多いですが)
この感覚は旧国時代とJR化後の実物の鉄道に関して上述のブログ主様の感じている所に共通する所がある様な気がします。
ただ、模型の場合最新精密モデルと骨董品の50年前のモデルでも「プロトタイプがおんなじ」という点でやや倒錯・屈折したところを感じもするのですが(汗)
結論は出ませんが、要は「Nゲージの模型も実物同様の感覚が持たれるくらい歳を食ったなあ」ということで(尻切れトンボ)
光山鉄道管理局
HPです。

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ですからそうしたノスタルジーを満たすための一手段として鉄道模型があるという論旨は認める事にはやぶさかではありません。
この内容に共感を感じる様になる位私も歳を食ったなあとか思うのですが(汗)
で、これを読んでいて触発された事をひとつ上げようと思いますが、本題はややそこから脱線する内容です。
旧車・あるいは古いものにノスタルジーや理想を感じるのは実物、殊に鉄道については確かに言えることだと思います。
ですがこれと同じ事は実物のみならず「鉄道模型」そのものにも言えることではないかとふと思ったのです。

理想形はともかくとして模型の世界にも「揺籃期」とか「勃興期」と言うのはあるものでして、そうした時代には製品そのものに粗削りで欠点もあるものの妙な勢いを感じさせられるものです。
その過程では駄作や珍品もでてくるのですが、それらが無いと今の「洗練された進化」もあり得ない訳です。
例えば、ハリウッドの映画は世界を席巻していますが、一本の大ヒットの裏でその数万倍の駄作や珍作が出ている事は見落とされがちです。
言い換えれば駄作や珍作を嫌い、10割打者ばかり追い求める風潮こそが世の中を詰まらなくさせている最大の要因のひとつだと実のところ個人的にはそう思っているのですが。
旧車や鉄道のノスタルジー趣味の一部にはそうした時代の空気を感じる事も大きいと思います。
同じ事は歴史が50年かそこらしかないNゲージの模型(よく考えてみたら16番も70年かそこいらですが)でも言えます。
最近私が好んで入手する旧モデルと言うのは大半が70年代後半から80年代前半のモデルです。

これらはいずれもNゲージの勃興期に当たる時期(TOMIXの登場とNの有望さを見た学研・エンドウ初め新規参入組が乱立した前後)に当たります。
これらを他にすると今のモデルの様な洗練差や細密性はありませんが「洗練されすぎてつまらない」「実物に似すぎて凄いけど薄気味悪い」最近のモデルにない表情と勢いがあります。
ですから最新の細密モデルと一緒にそれらを走らせても意外と抵抗を感じません。
(人によってはこういうのを嫌がる層が殊に実物原理主義者に多いですが)
この感覚は旧国時代とJR化後の実物の鉄道に関して上述のブログ主様の感じている所に共通する所がある様な気がします。
ただ、模型の場合最新精密モデルと骨董品の50年前のモデルでも「プロトタイプがおんなじ」という点でやや倒錯・屈折したところを感じもするのですが(汗)
結論は出ませんが、要は「Nゲージの模型も実物同様の感覚が持たれるくらい歳を食ったなあ」ということで(尻切れトンボ)
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