鉄道博物館で浸った「あの頃の帰省電車」のはなし

先日、鉄道博物館へ出かけた時の事を書いた折に
肝心の展示物は?
人ばかり見て満足して帰ってくる私って一体。
・・・などと書きましたが鉄博の展示物もまったくノータッチなんて事はありません。
(そりゃ1000円もの入場料を払ってNゲージと人波と日本食堂しか見てこなかったらそれこそヘンです)
JR東日本が主体なだけに、鉄博で展示されている車両は東北本線やら中央線やら上越線やらの車両が主体になります。
481系、457系、新幹線では200系など。
私にとってはこれらのどれもこれもが帰省や上京なんかでずいぶんお世話になった車両ばかりです。
(これであと583系がいれば…)
そしてそれらの展示車両の殆どが実際に乗って見る事ができます。
今回の見学は帰省の途上という事もあってそれらの「かつての帰省電車」にあの頃と同じ帰省気分で座り込んでみるなんてのを堪能しました。
家族からすれば「これから帰省で疲れるのに乗る前からすし詰め気分を味わおうという変わりもの」以外の何物でもないのですが。

クハ481は学生時代を中心に上京とか仙台行きでお馴染みだった車両です。
当時は先頭車が「電気釜」になっても盛岡から上野までたっぷり6時間は掛かっていました。
当時の印象としては「煌々と輝く蛍光灯」のイメージが強いです。恐らく当時の蛍光灯は結構色温度が高く青白かったので記憶に残りやすかったのでしょう。
あの頃はまだ普通列車に旧客が使われ照明と言えば薄暗い電球なんていうのが普通でしたから蛍光灯の付く電車と言うのはそれだけでステイタスでした。
しかも「座っているだけで車内販売がやって来る」のも田舎者には結構新鮮だった訳です。
それにしても今改めて乗って見るとシートピッチの短さとリクライニング角の浅さに驚かされます。
電車がデラックス感があったのと、子供の頃だったから我慢できたという事ですか。

200系新幹線は現住地に住みついてからの帰省の足です。
こちらの思い出は何と言っても「大晦日の最終列車」であること。
まだまだ紅白歌合戦が神通力を持っていた頃だけにその放送時間と重なる最終の新幹線は比較的指定席が取りやすい電車でした。
どうかすると大晦日の閉店直前の石丸電気で買い込んだビデオデッキを抱えて最終に乗り込んだ事もありましたっけ(大恥)

新幹線規格だけに横5列の座席ですがこちらについては狭苦しさしか印象がありません。
蛍光灯照明と言うところまでは同じなものの、灯りが暖色系で485系の様な明るいけど冷たい印象が幾分やわらげられていたのが思い出されます。
早期に取った指定席の関係で窓際の席が多かったですが片方の下腿を車両の壁に押し付けていると「トンネル通過の度に気圧変化で車体が膨らんだりしぼんだりするのが体感できて面白かった記憶もあります)
今回乗って見たら何もかもが「あの頃のシンカンセン」そのまんまで妙な感銘はありましたが(笑)
ただ、どちらの列車も乗るのは(少なくとも片道は)真夜中である事が多く、車窓風景よりも車内の風景の記憶が強かった事を再認識しました。
窓の外は真っ暗な上に新幹線は意外とトンネルが多いので(加えて最近は速すぎて景色がすぐ流れる)時間短縮以外の感銘が薄い気がします。
最後に
先日当ブログの訪問者数が14万を超えました。
相変わらずの内容ですがこれからもよろしくお願いします。
光山鉄道管理局
HPです。一昨日モジュールの部写真追加しました。

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