「お隣さんのプラレール」に感じたこと

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 今回は先週の運転会の折に感じたことから。
 この運転会での初体験のひとつに「モジュールレイアウトのお隣でプラレールの運転も行われていた」と言うのがあります。
 鉄道繋がりとはいえこの種の異種フォーマットのコラボと言うのは観ている文意はなかなか新鮮な刺激でした。
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 そのプラレールですが与えられたスペースいっぱいに線路が高い密度で引き回され、その中を少なくとも10本以上の編成が同時に走る賑やかさが目を引きました。
 実はこれまでレイアウトとプラレールが同一の会場で運用されるというイベントを経験していなかったので、これも新鮮でした。

 新鮮なだけでなくその賑やかな眺めを見ていてふと感じたのは

 この賑々しさこそがプラレールの持ち味でありユーザーが求めている事ではないだろうかという事です。
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 モジュールレイアウトではコースの数こそ3つありますが、総延長が長いので一つの列車が通過してから別の列車が通るまでの時間が意外に長く感じられます。
 そうした列車同士の通過の間合いに余韻を感じる事も鉄道模型のレイアウトの楽しみのひとつではあると思います。

 しかし同じ事をプラレールでやると列車が通り過ぎてから次に通過するまでの間が長すぎると寂寥感が強まる様な気もします。
 大人なら我慢したり詫び寂びや風流に身をゆだねる事も出来るでしょうが、飽きっぽいだけでなく意外とさびしがり屋の子どもの場合はそうした「間」が耐えられないと思います。

 そのせいでしょうかイベントやショールームのプラレールはこれでもかとばかりに無数のエンドレスが引きまわされその中を十数本の列車が所狭しと走り回るディスプレイの事が多いです。
 そしてこれらの列車たち(と敢えて書きますが)が所狭しと走り回る様を眺めていると退屈しないだけでなく何かが満たされるような感じも同時に感じます。

 一言で言えば小さなお祭り騒ぎというか都会的な活気とでも言いましょうか。
 それはときどき上京して都会の活気というか空気に触れた時に感じる物と共通した所があるかもしれません。

 これは田舎者ゆえの感覚と言う物かもしれません。

 そういえば寺田寅彦の「銀座アルプス」という一文にそれを端的に示したような一文があるので少し引用します。

(前略)こういう墓穴のような世界で難行苦行の六日を過ごした後に出て見た尾張町の夜の灯は世にも美しく見えないわけに行かなかったであろう。

 今日いわゆるギンブラをする人々の心はさまざまであろうが、そういう人々の中の多くの人の心持ちには、やはり三十年前の自分のそれに似たものがあるかもしれない。
 みんな心の中に何かしらある名状し難い空虚を感じている。銀座の舗道を歩いたらその空虚が満たされそうな気がして出かける。
 ちょっとした買い物でもしたり、一杯の熱いコーヒーでも飲めば、一時だけでもそれが満たされたような気がする。

 しかしそんなことでなかなか満たされるはずの空虚ではないので、帰るが早いか、またすぐに光の町が恋しくなるであろう。

 いったいに心のさびしい暗い人間は、人を恐れながら人を恋しがり、光を恐れながら光を慕う虫に似ている。
 自分の知った範囲内でも、人からは仙人せんにんのように思われる学者で思いがけない銀座の漫歩を楽しむ人が少なくないらしい。考えてみるとこのほうがあたりまえのような気がする。

 日常人事の交渉にくたびれ果てた人は、暇があったら、むしろ一刻でも人寰(じんかん)を離れて、アルプスの尾根でも縦走するか、それとも山の湯に浸って少時の閑寂を味わいたくなるのが自然であろう。
 心がにぎやかでいっぱいに充実している人には、せせこましくごみごみとした人いきれの銀座を歩くほどばからしくも不愉快なことはなく、広大な山川の風景を前に腹いっぱいの深呼吸をして自由に手足を伸ばしたくなるのがあたりまえである。
 F屋喫茶店にいた文学青年給仕のM君はよく、銀座なんか歩く人の気が知れないと言っていたが、考えてみれば誠にもっとも至極なことである。

(以上、引用終わり)

 確かに言われてみれば東京とか大きな都会に出かけて、その末に灯りも少ない田舎の自宅に帰ってきたときの気分と幾分か似ている感覚でもあります。
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 モジュールレイアウトも個人所有のレイアウトに比べればかなり賑々しいですし、それを運用するには常に複数の人出がついていなければならないのが普通ですから運転会の名前の通りそれ自体一種賑々しい。
 それでいて、複数の独立したエンドレス上を走る列車それぞれもまた独立して運用されていて、いくつもの「個」が同じフィールドの上を走り回りながらそれ自体ひとつの世界を構成している。

 そこに活気を見出したり、その賑やかさの雰囲気に浸る事もまた、こうしたレイアウトの楽しみの本質かもしれません。

 実はこの雰囲気に最も近いと感じたのは先日参加したグランシップの会場のそれでした。
 複数のクラブがそれぞれに線路を引き回し一斉に多くの列車が走る様と今回のプラレールのそれとはある程度の類似点がある様な気がするのです。少なくとも活気という一点では。

 してみるとプラレールの大レイアウトはそうした賑々しさを更に濃縮した物とは言えないでしょうか。
 今思ったのですが少なくともプラレールで総延長100メートルの路線を組んだとしてもそこの上を一本の列車だけがぽつんと走り抜ける様というのは想像するだに寂しい物があります。

 その一方で鉄道模型のレイアウトもかつてはローカル線の風景を再現しつつもどこか寂寥感が漂う様な場面設定の物が多かったと思います。

光山鉄道管理局
 HPです。

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