「KATO Nゲージ生誕50周年記念誌」が来た

 この4月にKATOのC50がリリースされた時にその価格の高さに驚いたものですが実はそのお値段の中には約4千円相当の「50周年記念誌」のそれも含まれていた様です。
 C50には既にDVDやブックレットも付属していましたが、それに加えて記念誌まで付いてくると知った時は「ああ、それで高かったのか」と妙に納得した覚えがあります。

 ところがこの記念誌、当初夏くらいのリリースと聞いていたのですが、実際の発売は延期に次ぐ延期。
 この調子だと「51周年記念誌になるのではw」とか気をもませられたものです。

 というのもHP上で公開されていた内容の一部が中々に充実している印象を受けたからで「届いたら何をさておいても読んでやろう」とか思っていたからで(笑)
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 それほど待ちに待った記念誌がようやく到着しました。
 TOMIXの40年誌よりは遅くなりましたがどうにか年内に間に合った形です。

 表紙も厚ければ本自体もずっしりと重い構成は何やら学術書じみていますが、ページを開くとその情報量の濃さに圧倒されました。

 関水金属の歴史とその中での製品の進化の過程、製品開発のプロセスと苦闘から現在の製品ラインアップに至るまで非常に濃い情報量を要領よく纏めてあってとても読みでがあります。

 その中で先日物故された加藤祐二氏が語る黎明期のNゲージの座談会のくだりは当時の空気を生き生きと伝えられておりいちばん感銘した部分でもあります。

 そこではNゲージ以前に16番の台車開発をしていた頃の苦労話(加藤金属が台車を出していた頃は鉄道模型自体が0番から16番への過渡期にあたる時期にも当たります)を始め、今では幻となっているSONYのマイクロトレインへの言及があったりカプラーの規格統一やZゲージを開発した前後のメルクリンの動向なども織り込まれNのみならず鉄道模型の歴史書としても一級の資料と思います。
 更に太田治彦氏の手になる第一章「関水金属の初期製品」第九章「Nゲージの起源と関水金属の初期製品」のくだりは以前RM MODELSに連載されていた「紀元前N世紀」の改訂版です。
 ここは以前本誌を読んだときぜひ一冊にまとめて読みたいと思っていた部分だったのがまさに日本型Nゲージ50年の節目の時期にこういう形で読めると思っていなかったので望外の喜びでした。

 現行の製品についても車輪やモーター、サスペンションなどに至るまで過去からの変遷を含めて非常に詳細な技術的解説がなされメーカーの記念誌らしいところを見せています。

 とにかくどこから読んでも圧倒される事夥しい。

 これが手に入ったのは夕方ころで夜寝る前にでも軽く読んでやろうかとか思っていたのですが、数ページめくったところで自制心が働きました。
 「今から読んだら絶対徹夜で読み続けているに違いない」と思えたからです。

 とにかくKATOから暮れのプレゼントとしてとんでもない本を入手したものです。
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 本書と前に紹介した「TOMIXの40年」を併読したら日本型Nゲージの歴史の7割方が理解できること請け合いです(笑)
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 更に4月に出たC50を侍らせ付属のDVDなんかを掛けながら読んだ日には「おうちにNゲージの博覧会がやってきた」気分になること間違いなし。
 (できたら来年リリースのTOMIXのC11かDD13でも加えれば完璧でしょう)
光山鉄道管理局
 HPです。

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この記事へのコメント

2017年01月01日 23:10
お晩でございます 本年もどうぞよろしくお願いします。

KATOの記念誌買いました
現在の西落合本社ショールームが出来る前にあった
『高田馬場サービスセンター』

当時のカタログに小さくですが掲載してありました

その場所が現在どうなっているのか近々見に行こうと思ってます

TOMIX&KATO両者とも
技術の『革新&発展』があったからこそ今の製品に繋がっているわけです

今の製品クオリティが当たり前で
ブログで『文句たれ叩けば更にクオリティ向上』なんて勘違いしている手合いとは
今後も相容れたり与するつもりもないですね
光山市交通局
2017年01月03日 21:26
>南栗橋車両管理区荒川支所さん

 遅ればせながら明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 高田馬場のショールームは一度亡父が上京の折に行った事があるのですが、私自身は一度も行けずじまいでした。

 当時の亡父の話では意外と小さい店舗だった印象だったそうですが店員さんも「地方の方はもっと大きな店を想像してこられるようですね」と言っていたのを覚えていたそうです。