SONYのNゲージの思い出ばなし(笑)

 今年の帰省である事情から是非読みたかった本がありました。
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 実家にストックされていた80年代のTMSから1981年7月号(通巻403号)です。
 この号のミキスト(山崎喜陽主筆の随筆)でKATOのNゲージの創世記とSONYのNゲージモデルの顛末が書かれていたのを思い出したからです。

 先日紹介のKATOの50年記念誌でのKATOの前会長の加藤祐治氏のインタビューでもNゲージ採用のいきさつやSONYマイクロトレインの話は触れられていますが私がその辺に付いて初めて触れた文献としてはミキストの方が先になります。

 それ以前にも水野良太郎氏の著書などでSONYのNゲージについては軽く触れられていますが何れも文章の上だけの話でどんな車両がモデル化されていたのか、システム自体はどうだったのかなどはよくわからず写真すらついていませんでした。

 ですからTMS誌上でそのSONYマイクロトレインの写真を目にした時は随分と驚きました。
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 (TMS403号 ミキスト 75Pより画像引用)

 そこではED75の牽引するスハ43をはじめ、いかにも電気屋さん的な洗練されたデザインのパワーパックやレイアウトマットなどが載っていました。
 そのシステム性の高さはまさに「和製メルクリン」を名乗りかねないほどの勢いすら感じさせるものでした。

 が、一方で肝心のED75モデルの方は当時の私の目から見ても「あんまり」なレベルの造形。
 ブラスゆえの肉薄なボディこそそれなりでしたがディテーリングは同時期のKATOのEF70と比べてもパッとしない物でしたし、屋根板が実車と異なりすぎる「灰色のプラパーツ」だったのにも萎えました。
 これまた当時のEF70ですら別パーツ化されていた屋根上機器類も一体成型でしかも灰色のまんま。

 むしろ明らかにショーティ化されているスハ43タイプの方にモデルとしての好感を感じた位です。

 ただ、架線集電を念頭に置いていそうなパンタグラフや機関車としては異様なほどスカスカな車内に基盤の接点を露出させた構造に将来のアップグレード化の片鱗は感じました。
 こういうのは当時の日本の模型屋さんにはない発想だったと思います。

 そんな訳で当時は「SONYがNゲージをやろうとしていた」顛末を含めて随分と勉強になりました。

 さてこのミキストの最後にこういうくだりがありました。

 「昭和43年の初夏、TMSのスタッフ数人は撮影旅行で花巻電鉄の沿線を歩いていた。とある駅のそばのショーウィンドウに景品としてソニー・マイクロトレインの箱がかざられていた。」
 (TMS403号 ミキスト74P より引用)

 これには驚くと同時に妙な希望を持ったことを覚えています。

 だって「SONYのNゲージの少なくとも1セットは岩手のどこかに(ある)あった」事になりますから。
 それなら一生に一度くらいはSONYのNゲージの実物を見るか触るかくらいはできそうな気がしてきたからです(爆笑)
 これが書かれたのがその当時から13年も後だったのに。
DSCN7169.jpg
 さて、偶然と言いますかこの同じ号の製品の紹介欄ではKATOのED75が取り上げられていました。
 そういえばこのモデルも30年以上ボディの基本は変わっていません。
 こうして二つが並ぶと15年ほどでNゲージのモデル造形が格段に進歩している事を感じます。
 (81年と現在のモデルではこれほどの変化は感じませんから)
光山鉄道管理局
 HPです。

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