ブログ10周年のはなし3・大震災の前後の事・その他
ブログの10周年にまつわるはなしです。
10年の間にはいろいろな事がありました。
「人気のブログを作るコツ」みたいな記事を見ていた時、その中に「時事ネタを頻繁に入れてアクセス数を増やす」というのがありました。実は個人的にはこういうのは苦手だったりします。
わたし的に趣味の世界というのは「時事に代表される世間の煩雑さを一瞬でも忘れて楽しみの世界に浸る事」だと思っていますし、そうした時事ネタを読みたくないような人が来てくれるブログを目指したい(大仰ですね)とも思っています。
これまで10年の間に上げてきたブログで時事ネタを扱ったものは全体の2パーセント以下だと思います。


ただし時事ネタが半月位続いてしまった例外があります。
2011年3月11日の東日本大震災の当日からの一時期がそうでした。あの時ばかりは地震の話をしない訳には行かなかった。
実家の周辺が被災区域だった事もそうですし、震源から離れていたとはいえ断続的に震度4以上、どうかすると5位の揺れが恒常的に起こっていましたし計画停電やガソリンの不足など直接生活に大きな影響が感じられたからです。
その日のブログを再録すると
上の二枚の写真は震災の当日の家のレイアウトの状況ですが、模型とはいえ留置してあった電車がここまでがたがたになっていたのは衝撃的でした。あれほど震源から離れていたのに。
その後の2週間くらいは震災関連の記事(というか私の生活圏内での影響の大きさ)ばかりが連続しました。 不謹慎とかなんとかいう以前に、あれくらいの状況下では地震を忘れて鉄道模型の話をする事が実際的にも心理的にも出来なかったのです。

しかし、それでも震災半月目くらいのタイミングでかねて予約していた「鉄道コレクション第13弾」が届いた時には言い様もなくほっとした気持ちになりましたし、その記事をこのブログに上げた時には「異常時から平時へのささやかな一歩」が踏み出されそうな予感を感じたものです。
そしてその記事に頂いたコメントのいくつかが今読み返して見ても何か心に染み入るものがあります。
そしてこれこそが「趣味を持っている事の御利益」なのでしょう。
実はこれ以外にもブログ開始から現在までの間に亡父始め係累が3人亡くなっており、その時を中心に1週間から2週間程度更新が中断していた事があります。
(まあ、人並みに「具合を悪くして寝込む」というのもありますが)
ただ、これまでのところそうした局面でも不思議とこのブログをやめる気にはならなかった。
人並み外れて粘りに欠け、飽きっぽいはずの私としては良くも悪くも意外な話ではあります。
おそらくはこれも好きな事を継続してやってこれたが故なのかもしれません。
一方で子供の方はまあ、そこそこ順調に進学を繰り返していますし、ブログ開始当時新人同然だったレベルの消防団は「未だに抜けられないでいます(汗)」
光山鉄道管理局
HPです。

にほんブログ村
にほんブログ村 鉄道ブログ

にほんブログ村

にほんブログ村

鉄道模型 ブログランキングへ
現在参加中です。気に入ったり参考になったらクリックをお願いします。
10年の間にはいろいろな事がありました。
「人気のブログを作るコツ」みたいな記事を見ていた時、その中に「時事ネタを頻繁に入れてアクセス数を増やす」というのがありました。実は個人的にはこういうのは苦手だったりします。
わたし的に趣味の世界というのは「時事に代表される世間の煩雑さを一瞬でも忘れて楽しみの世界に浸る事」だと思っていますし、そうした時事ネタを読みたくないような人が来てくれるブログを目指したい(大仰ですね)とも思っています。
これまで10年の間に上げてきたブログで時事ネタを扱ったものは全体の2パーセント以下だと思います。


ただし時事ネタが半月位続いてしまった例外があります。
2011年3月11日の東日本大震災の当日からの一時期がそうでした。あの時ばかりは地震の話をしない訳には行かなかった。
実家の周辺が被災区域だった事もそうですし、震源から離れていたとはいえ断続的に震度4以上、どうかすると5位の揺れが恒常的に起こっていましたし計画停電やガソリンの不足など直接生活に大きな影響が感じられたからです。
その日のブログを再録すると
今日の2時45分頃は仕事中でした。
最初はゆらゆらとした横揺れでしたが次第に強くなり、ついには部屋全体が船の中の様にふらふらしだしました。
この時に至って大地震である事を直感し思わず立ち上がりました。
幸い部屋の中には落ちるような物や倒れるようなものはほとんどなく、揺れ自体の周期が長かったので立っていられない程ではありませんでした。
揺れが収まり、落ち着いた所でテレビのある部屋へ。
この揺れ方だと震源は比較的遠いと思われたので又新潟か東海かと思っていたのですが、テレビでは「東北地方で地震」との事。
これには驚きました。
震源と推定される地域から優に800キロ以上離れている私の所でこれほどの揺れとは、向こうは一体どうなっているのか。
後で知りましたが、私の所でも震度5弱。
私が現住地に住み着いてこの方経験した事のない大揺れだった事になります。
子供の学校から「体育館に避難しているので迎えに来るように」との連絡も。
早速子供を迎え帰宅します。
帰宅後テレビを点けると「M8.8」という数字が。
今度こそ心底驚きました。
マグニチュード8.8とはこれまでに経験した事のない正に歴史的規模の大地震です。
私の故郷も激震地域に入っているのですが現地の停電や電話の輻輳が重なり連絡がなかなかできません。
正直、驚きと不安を感じています。
時事関係の記事はブログでは余り扱わないのですが、今日ばかりは書かずにおれませんでした。
上の二枚の写真は震災の当日の家のレイアウトの状況ですが、模型とはいえ留置してあった電車がここまでがたがたになっていたのは衝撃的でした。あれほど震源から離れていたのに。
その後の2週間くらいは震災関連の記事(というか私の生活圏内での影響の大きさ)ばかりが連続しました。 不謹慎とかなんとかいう以前に、あれくらいの状況下では地震を忘れて鉄道模型の話をする事が実際的にも心理的にも出来なかったのです。

しかし、それでも震災半月目くらいのタイミングでかねて予約していた「鉄道コレクション第13弾」が届いた時には言い様もなくほっとした気持ちになりましたし、その記事をこのブログに上げた時には「異常時から平時へのささやかな一歩」が踏み出されそうな予感を感じたものです。
そしてその記事に頂いたコメントのいくつかが今読み返して見ても何か心に染み入るものがあります。
そしてこれこそが「趣味を持っている事の御利益」なのでしょう。
実はこれ以外にもブログ開始から現在までの間に亡父始め係累が3人亡くなっており、その時を中心に1週間から2週間程度更新が中断していた事があります。
(まあ、人並みに「具合を悪くして寝込む」というのもありますが)
ただ、これまでのところそうした局面でも不思議とこのブログをやめる気にはならなかった。
人並み外れて粘りに欠け、飽きっぽいはずの私としては良くも悪くも意外な話ではあります。
おそらくはこれも好きな事を継続してやってこれたが故なのかもしれません。
一方で子供の方はまあ、そこそこ順調に進学を繰り返していますし、ブログ開始当時新人同然だったレベルの消防団は「未だに抜けられないでいます(汗)」
光山鉄道管理局
HPです。

にほんブログ村
にほんブログ村 鉄道ブログ

にほんブログ村

にほんブログ村

鉄道模型 ブログランキングへ
現在参加中です。気に入ったり参考になったらクリックをお願いします。
この記事へのコメント