なんとなく思うこと「オトナの趣味」とはなんぞや?
この間の「酔っぱらいのたわごと」の続きみたいなものですので観る人によっては不快に感じる所があるかもしれません。
ですのでそういうのが嫌いな向きは読み流して頂いた方が良いと思います。どうかご容赦を。
確かに鉄道模型は玩具よりも高価で、精密で、リアルではありましょう。
取り扱いや工作でも子供の手に負えないような所もあるでしょう。
でもそれだけでしょうか?
それだけで大人の趣味と言えるのでしょうか?
趣味の世界で大人と幼稚の区分けはどこでつくものなのでしょうか。
ここから純粋な私見となるのでそのつもりで読んで頂きたいのですが、少なくともそれが知識の量や技術の優劣や、ましてやキャリアの長短でつくような単純なものではない事は確かだと思います。
こんな事を考え続け(暇ですなあ)最近になってようやく気付いたのですが、趣味の世界において「大人」と「幼稚」を分ける物は「見識」と「センス」ではないかと思う様になっています。
このふたつは知識の詰め込みや技術の練磨だけでは磨けない(とはいえ知識や技量が不十分でも困るのですが)それらに加えて五感と五体を駆使して積み重ねた「経験値」も必要でしょうし、それはただ漫然と年齢を重ねるだけでも身に付かない。
見た目の上では子供と同じものを見て、同じものを作って、同じ様に走らせていたとしても内面に感じるものは違う。それを支えるのが見識であり、センスでありそれを持ち続ける事が「大人の趣味」の要件のひとつではないかと思えるのです。そしてそれはどちらも「歳を重ねても磨き続ける事ができる」ものでもあります。
(その意味で言うなら「趣味人」というのは永遠に成長する事を宿命づけられた存在であり「永遠の子供である事を自覚した存在」であるとも言えます。だからこそ趣味人ほどボケにくいという事は言えそうですが。これは余談)
それゆえに、それらを根底で支えるのは「鉄道模型を好きでい続ける事」であり、それができるか否かにかかってくると思います。
それは少なくとも現代の「趣味の世界」で最も大事な事であると同時に難しい事かもしれません。
ですが見識なしにキャリアや知識だけ詰め込んで行っても、その先にあるのは趣味の世界に権威を持ちこみたがる様な窮屈で詰まらないスノッブ(あるいはマニアック)の世界に陥ってしまうのではないでしょうか。
かつては一世を風靡したオーディオやバイク、スポーツカーなどが現在当時の勢いを失ってしまっている理由の一つとしてそうした罠に陥ってしまった事があったと私は見ています。
要するに見識もセンスもないまま齢だけ重ねてしまったマニアが手前勝手な権威にすがって目下の者を馬鹿にするばかりで後進を育てる発想を基から持たなかった事が新たなファン層の発掘を妨げ、結果先細りを自ら招いてしまったという事です。
そしてそういうマニアに作る側や売る側までもが迎合した結果、一見さんにはどこが楽しいのかさっぱり分からない不思議なアイテムばかりが増え、市場までも先細りさせてしまったというのが現状でしょう。
実際最近のNゲージ鉄道模型もそうした罠にはまりかけていると思えるのですが、ファンサイドとしてもビギナーを馬鹿にし、素人呼ばわりする事が趣味人としての大人の態度とは私には到底思えないのです。
(逆に若年ユーザーが年寄りを老害扱いする言質も一部に見られますがこんなのは若いうちには必ずだれでも一度は口にする言葉で、20年もほっとけば逆に自分が言われる側に回る事がわからないからそう言っているのが大半なので、ある程度仕方ない事だと思います。言う側も20年後に後悔すればいいだけの話ですから。
むしろそういうのが居てくれるうちはまだ大丈夫という気になりますが)
でもキャリアが長ければ無条件で偉いのですか?
腕がよくないとやってはいけない趣味ですか?
もっと言うなら、16番のブラスモデルを1両20万円出してポンと買える事が「大人の趣味」の証しなのですか?
なによりそうなっていないと「大人」と認められないのですか?
なんだかこんな事を書き殴っているうちに内容がだんだん自戒めいてきました。
そもそも、その「見識」とやらがどういう物なのか私自身まだよくわかっていないのですから尻すぼみです。
結局結論はなかなか出ないものですね(汗)
(写真は本題とは関係ありません)
光山鉄道管理局
HPです。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
鉄道模型 ブログランキングへ
現在参加中です。気に入ったり参考になったらクリックをお願いします。
この記事へのコメント
>要するに見識もセンスもないまま齢だけ重ねてしまったマニアが
>手前勝手な権威にすがって目下の者を馬鹿にするばかりで
>後進を育てる発想を基から持たなかった事が
>新たなファン層の発掘を妨げ、
>結果先細りを自ら招いてしまったという事
>ビギナーを馬鹿にし、素人呼ばわりする
最近のホビーの「衰退」は、これに尽きると思いますね。
>素人呼ばわりする事が趣味人としての大人の態度とは
>私には到底思えないのです。
私もそう思います。
誰でも最初はビギナーですし、素人が興味を持つ事から始まるのだと思います。
そういった意味でも、ブログ等を使って、自分の知識をわかりやすく解説する等も大人の態度としては良いのかなと思っています。
でも、知っている事をわかりやすく説明するというのも結構大変ですね。
私の場合は、腕がよくなくて、センスもないんですけどね。
でも、自分の技量を自覚し、他者と競い合って一喜一憂するのではなく、他者を認めた上で、自分の出来る範囲で趣味を楽しめるというのが大人なのではないかと思います。
そういった意味では、それが可能な鉄道模型は大人の趣味なのだと思います。
今のホビー全体がサロン化・ムラ社会化している傾向は無視できないですね。
どこかでビギナー予備軍に開かれた部分が無いと中の当人たちにとっても「ぬるま湯だけれど窮屈」な状況になりそうな気もするのですが。
>他者を認めた上で、自分の出来る範囲で趣味を楽しめるというのが大人なのではないかと思います~
本来趣味の世界に大人も子供もないというのが私の個人的なスタンスなのですが、誰しも世間に認知されたいという承認欲求がある事も無視できないと思います。ただ、それを「オトナの趣味」という括りで語ろうとするのにはどうなのかなと思ったことが今回の記事を書いた動機でした。
ですが、年齢層が広がってくれば年代の違いや嗜好の違いが際立ってくるのも確かで、そうした軋轢をまとめなければならない場合にはoomoriさんの言われた「大人像」というのは非常に大切な事ではないかとも思います。
>誰でも最初はビギナー
全く仰る通りです。
>自分の知識をわかりやすく解説する等も大人の態度としては
趣味を広めたいなら必須でしょうね。
>他者を認めた上で、自分の出来る範囲で趣味を楽しめるというのが大人
同感です。
光山市交通局さん
>ビギナー予備軍に開かれた部分が無いと
何時かは衰退するのは必然ですね。
話はズレますが自分も光山市交通局さんの所属するクラブのモジュールとは比較にならないお粗末な線路とはいえ知人の依頼で何度か展示モドキをした事が有りましたけどそこに来て下さった子供達が実際に運転して楽しんでくれたり年配の方ですが修理を依頼されその場で直して喜んでもらったりしたのはその時の笑顔が良い思い出として記憶に残っています。けれど必ずしもそうでない人、同じ笑顔でも内輪だけで盛り上がりビギナーを馬鹿にし冷笑を浮かべている人もやはり多いのでしょうかね?そう思うと憂鬱になるのですが。
そういうのに対抗する為にも知性と共にユーモアも持ち合わせていたいとは思っていますがいかんせん幼稚な自分でして…(以下略)
>来て下さった子供達が実際に運転して楽しんでくれたり年配の方ですが修理を依頼されその場で直して喜んでもらったりしたのはその時の笑顔が良い思い出として~
私も運転会のたびごとに感じるのがその点です。ビギナーや一般ギャラリーが素朴に楽しんでいる様はまさに私たちがこの趣味を始めた時のワクワク感そのものだったのではなかったかと。
内輪の集まりだけではいつか忘れてしまう様な原点を再確認する機会があるというのは実はとても大事な事ではないかと思います。
>内輪だけで盛り上がりビギナーを馬鹿にし冷笑を浮かべている人も~
レンタルレイアウトなんかでは一時期そういう向きが目立った様ですね。それを端的に戯画化したのがTVドラマの「鉄子の育て方」の「鉄道模型ガチバトル」の話だったと思います。