エンドウのブラスNゲージに思うこと

先日の事ですが、エンドウの京王5000系を入手してしまいました。
個人的にこの機種には思い入れはあるのですが、それでも今なら鉄コレやマイクロなんかでもっと細密で走りもスムーズなモデルがいくつも出ているのに敢えてエンドウのそれを選ぶというのは自分でもどうかしていると思います。
従来、鉄道模型を買う目的と言うものを考えてみると「実物の縮小版を手元に置いておきたい」と言うのが大きな動機だと思います。
それが飾る事であれ、レンタルレイアウトに持ち込むという事であれ、そこに期待されるのは「●●の本物そっくりなコピーをわがものにしている」と言う快感もあると思います。
そういう目から今回の5000系を見るなら、それらのマニアの目からすればこれは「オモチャ」以外の何物でもなく、飾るにしても運転会で自慢するにしても全く「ハクが付かない」事夥しいと思います(笑)
ではそんな5000系に私が手を出したのはなぜか?
実を言うと私自身最初は分からなかったのです。
以前このブログで書いた様に「大昔に手に入れられなかった恨みを晴らす」とか「昔のモデルの中から現在のNゲージの隆盛に至る進化の過程をたどる」とか言った高尚な目的は今回の5000系には当てはまりません。
当時はこれが出ていたのを知りませんでしたし、技術面では「いつものエンドウ製品」でしかなく特にこれといった特徴もないからです。

ですが実際にこれを手に取ってみるとそこには強烈なキャラクター性があったのです。
上述の様にこれまで京王5000系はGMはじめ、マイクロや鉄コレでも製品化されています。ところがそれらはどれも細密に出来てはいるのですが「押しが弱い」のです。
極端なはなし、名鉄5500系が隣に並んだら素人レベルでは見分けがつかない感じですし、その差異を挙げるとすれば殆ど間違い探しのレベルになると思います。
ですがエンドウの5000系は細密感は確かに劣りますし、全体に大雑把な造形であるにも拘らず「これが京王の5000系だ」という自己主張のようなものを感じるのです。
おそらくですがそれに寄与しているのが「ディフォルメのセンス」と思います。
エンドウは従来(と言うか以後も)16番のブラスモデルをやっており、それも相当な細密モデルからビギナー向けのベースモデルまでのキャリアの蓄積を持つメーカーと思います。
中でもNゲージを手掛ける以前の16番モデルは他社よりも細密度で劣るものの、大雑把なりに印象把握に秀でたものが多かった様に思います。
(それとブラスと言う素材の質感が与える心理的効果も)
現在でもエンドウのブラスNゲージモデルは中古市場ではそれなりに一定の支持を受けている様ですが、その理由の一つにこの大雑把だけれど基本を押さえた模型のキャラ付けがうまいという点があるのではないでしょうか。
Nゲージ金属モデルと言うと他にしなのマイクロや中村精密などがありましたが一部を除いてエンドウほどの人気がない感じがします。
その肝心の京王5000系についての話は次の機会に。
光山鉄道管理局
HPです。

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この記事へのコメント
車両セットなんて、ケースの中にシルクが敷かれていたと思います。
でも、「EF58形」や「DD51形」のモデルを実際に見ると「あれ?カトーのモデルの方が安いのにカッコよくない?」と、不思議な感覚になったものでした。
今見ても、お世辞にも精密とは言えないエンドウのブラスモデルですが、おっしゃる通りキャラクターとしては強烈なものがありますね。
最近になって、ようやくその辺りが理解できるようになってきました(笑)。
私が初めて買ってもらったエンドウのモデルは78年の1月頃リリースのEF58だったのですが、造形の大雑把さの割に値段が高い印象は確かにありましたね。この時のイメージもあって後に出たシリーズは一部を除いてあまり関心を持てませんでした。
エンドウと言うメーカーの体質なのか、ピンのロコよりも編成物の私鉄電車の方に力が入っている感があります。どれもが細密さとは無縁なのにツボを押さえた印象把握のセンスで相当得をしていますね。
(似た様な構成のしなのマイクロの電車がエンドウに比べてぱっとしない
理由もエンドウほどのセンスに欠けていた事があったのではないかと)
その意味ではアーティスティックなモデルとも言えます。これで台車の転がりがもっとスムーズならいいのですが。