中尾豊氏の訃報に接して
今回は遅ればせの話になってしまいました。
また、内容が内容なだけに乱筆乱文になっている事をあらかじめお詫びいたします。
実は先月半ばに中尾豊氏がご逝去されていた(11月10日)ということを迂闊にもつい先日知ったばかりです。
中尾氏は創刊当初から昭和60年頃にかけて「鉄道模型趣味(TMS)」誌の編集、ライターとして主要メンバーの一人だった方です。
氏の業績として最も知られているのは「スタイルブック」の通称で知られる一連の模型工作用の図面群があげられると思います。
またさらに古いところでは2軸貨車のボディにボギー台車を履かせることで走行性の向上と独特のキャラクター性を与える「ムキ」と呼ばれる技法に代表される「走らせるための鉄道模型の愉しみのスキル」を積極的に紹介されていた事も大きかったのではないでしょうか。
もちろんモデラーとしても技術とセンスに裏打ちされた一連の車両群、精密さこそ現代のモデルに劣るものの「モデルを通して作者の人柄や主張が伝わってくる」様なキャラクター性のある造形で見るものの心を打ちました。
これは昔は技術系のモデラーが多かった中にあって美術畑出身だった氏の資質によるところも大きかったのではないかと思われますが「実物の引き写しだけでない、作り手のセンスが発揮されたアートとしての鉄道模型の一面」が認められたきっかけのひとつが氏の作品にあったのではないでしょうか。
中でもインターバンと呼ばれる単行の都市間交通電車モデルに氏のそうした資質が強く感じられ後のモデラーに多大な影響を与えたものと思います。

私個人で言えばレイアウトテクニックに収録されていた「蒸気機関車のいる周辺」と題された機関区のセクションにかなり触発された覚えがあります(初見の当時私はまだ小学生でしたがあのインパクトは絶大なものがありました。後にNゲージで機関区風のセクションを作った時、無意識の中にあのセクションのモチーフがあったと思います)
いずれにせよ昭和50年くらいまでの時期にTMSの読者だった方ならば、中尾氏の名前を意識しなくともその仕事を通しておそらく何らかの形で有形無形の影響を受けていたのではないかと思います。
さて、今回の訃報を受けて久しぶりに引っ張り出したのは今から10年ほど前に上梓された「造形 私のアルバム」という一冊です。

TMSではなくとれいんの別冊という扱いですがTMS引退後の中尾氏のホビーライフを中心に氏が鉄道模型の趣味の持つ可能性を常に追求されていた事が伺われる名著と思います。
トップ記事にして一番の圧巻は阪神大震災で損傷した家を建て直すのを機にLGBの庭園レイアウトを組み込んだくだり。逆境をも逆手にとってかねての念願を実現するプロセスには文字通り圧倒されます。
しかも「列車の動感を感じさせる線路配置」に意を配りカーブの設定やポイントの配置がなされている辺り(それも徒な実物準拠でなく、模型として魅力的な走らせ方を追求している点は今のマニアでも追いつけない部分ではないかと思います)
そればかりかお座敷運転の16番走行でも「魅力的なカーブの配置」を緻密な肉筆図面と現物合わせによる線路の組み合わせになる実証的なトラックプランの作成を行っている事もお仕着せのレイアウトプランに満足しているユーザーには大きな指針になるのではないかと思います。
レイアウトひとつだけ取ってもこうなのに同じ姿勢は車両工作でも貫かれており、氏のホビーライフそれ自体が一つの体系を成している事が伺われます。それはまさに氏のライフスタイルそのものでもあったのでしょう。
この当時ですら齢80になんなんとしていたにも拘らず、氏のホビーライフは溌剌としていました。今、氏の半分ほどの年齢のファンでもこれほど若々しい熱意と情熱を持った鉄道模型趣味人はどれだけいることか。
しかもこれが過去20年ほどの間にTMS退職後の長期の療養生活や震災による自宅の損壊といった逆境をくぐり抜けた上での溌剌さなのです。
これを読み終えて感じたのですが、少なくとも私の中では「趣味人としての中尾氏」は今でも生き続けている気がしてなりません。
いずれも故人になったとはいえ、山崎喜陽氏や宍戸圭一氏、原信太郎氏をはじめこの趣味の世界は年代を超えた若々しさを持ち続けていた先達がこんなにも居たのです。
中尾氏がその中に列せられたのを知るにつけ、自分を振り返って今更ながらにまだまだ学ぶべきところが多いことを痛感します。
最後になりましたが、故人のご冥福を心からお祈り致します。
光山鉄道管理局
HPです。

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また、内容が内容なだけに乱筆乱文になっている事をあらかじめお詫びいたします。
実は先月半ばに中尾豊氏がご逝去されていた(11月10日)ということを迂闊にもつい先日知ったばかりです。
中尾氏は創刊当初から昭和60年頃にかけて「鉄道模型趣味(TMS)」誌の編集、ライターとして主要メンバーの一人だった方です。
氏の業績として最も知られているのは「スタイルブック」の通称で知られる一連の模型工作用の図面群があげられると思います。
またさらに古いところでは2軸貨車のボディにボギー台車を履かせることで走行性の向上と独特のキャラクター性を与える「ムキ」と呼ばれる技法に代表される「走らせるための鉄道模型の愉しみのスキル」を積極的に紹介されていた事も大きかったのではないでしょうか。
もちろんモデラーとしても技術とセンスに裏打ちされた一連の車両群、精密さこそ現代のモデルに劣るものの「モデルを通して作者の人柄や主張が伝わってくる」様なキャラクター性のある造形で見るものの心を打ちました。
これは昔は技術系のモデラーが多かった中にあって美術畑出身だった氏の資質によるところも大きかったのではないかと思われますが「実物の引き写しだけでない、作り手のセンスが発揮されたアートとしての鉄道模型の一面」が認められたきっかけのひとつが氏の作品にあったのではないでしょうか。
中でもインターバンと呼ばれる単行の都市間交通電車モデルに氏のそうした資質が強く感じられ後のモデラーに多大な影響を与えたものと思います。

私個人で言えばレイアウトテクニックに収録されていた「蒸気機関車のいる周辺」と題された機関区のセクションにかなり触発された覚えがあります(初見の当時私はまだ小学生でしたがあのインパクトは絶大なものがありました。後にNゲージで機関区風のセクションを作った時、無意識の中にあのセクションのモチーフがあったと思います)
いずれにせよ昭和50年くらいまでの時期にTMSの読者だった方ならば、中尾氏の名前を意識しなくともその仕事を通しておそらく何らかの形で有形無形の影響を受けていたのではないかと思います。
さて、今回の訃報を受けて久しぶりに引っ張り出したのは今から10年ほど前に上梓された「造形 私のアルバム」という一冊です。

TMSではなくとれいんの別冊という扱いですがTMS引退後の中尾氏のホビーライフを中心に氏が鉄道模型の趣味の持つ可能性を常に追求されていた事が伺われる名著と思います。
トップ記事にして一番の圧巻は阪神大震災で損傷した家を建て直すのを機にLGBの庭園レイアウトを組み込んだくだり。逆境をも逆手にとってかねての念願を実現するプロセスには文字通り圧倒されます。
しかも「列車の動感を感じさせる線路配置」に意を配りカーブの設定やポイントの配置がなされている辺り(それも徒な実物準拠でなく、模型として魅力的な走らせ方を追求している点は今のマニアでも追いつけない部分ではないかと思います)
そればかりかお座敷運転の16番走行でも「魅力的なカーブの配置」を緻密な肉筆図面と現物合わせによる線路の組み合わせになる実証的なトラックプランの作成を行っている事もお仕着せのレイアウトプランに満足しているユーザーには大きな指針になるのではないかと思います。
レイアウトひとつだけ取ってもこうなのに同じ姿勢は車両工作でも貫かれており、氏のホビーライフそれ自体が一つの体系を成している事が伺われます。それはまさに氏のライフスタイルそのものでもあったのでしょう。
この当時ですら齢80になんなんとしていたにも拘らず、氏のホビーライフは溌剌としていました。今、氏の半分ほどの年齢のファンでもこれほど若々しい熱意と情熱を持った鉄道模型趣味人はどれだけいることか。
しかもこれが過去20年ほどの間にTMS退職後の長期の療養生活や震災による自宅の損壊といった逆境をくぐり抜けた上での溌剌さなのです。
これを読み終えて感じたのですが、少なくとも私の中では「趣味人としての中尾氏」は今でも生き続けている気がしてなりません。
いずれも故人になったとはいえ、山崎喜陽氏や宍戸圭一氏、原信太郎氏をはじめこの趣味の世界は年代を超えた若々しさを持ち続けていた先達がこんなにも居たのです。
中尾氏がその中に列せられたのを知るにつけ、自分を振り返って今更ながらにまだまだ学ぶべきところが多いことを痛感します。
最後になりましたが、故人のご冥福を心からお祈り致します。
光山鉄道管理局
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この記事へのコメント
いつかは、そういう運命を(私も)たどっていくのでしょうが、氏のコレクション等はどうなってしまうのでしょうね。
私が、なかおゆたか氏の記事を初めて読んだのは、生まれて初めて買ったTMSに乗っていた「カーブポイントの作り方」でした。
ほかのことは、忘れたのにその記事のことはなぜかずっと覚えています。
そういう意味では、私の手工藤模型趣味の原点 かもしれません。
手工藤模型→鉄道模型
すみません
>「蒸気機関車のいる周辺」
レイアウトテクニックで見かけましたが、自分も最初期に作ったジオラマが駐泊所のジオラマ(近くのおもちゃ屋が廃業になった際そこから細長いケースを払い下げしたのをきっかけに製作)だったので印象深かったですね。
(なお、私の駐泊所はY型の線路配置で分岐側に機関庫、本線(?)側に炭水補給設備があるというもので、中尾氏の作例とは直接関係ありません。)
>氏のコレクション等はどうなってしまうのでしょうね。
実は私がブログを通じて交流しているある方(鉄道関係ではありませんが)が最近ある難病を再発されまして、自分のコレクションについて同様の心配をされていました。
その方の場合は予めコレクションの処分方法について遺言を作成する事になったようですが、実際有名コレクターの逝去の後には色々とごたごたが点いて回る様です。
TMS誌上の中尾氏の記事はこれまでそれと意識して読んでいた訳ではなかったのですが、改めて検索してみると私のホビーライフに影響を与えるような物ばかりだった事に驚かされました。
私にとっては一種の指針のような存在でしたね。
TMS誌上や別冊の記事では「なかお・ゆたか」名義が多かったですね。今回取り上げたのはとれいんの別冊だったので漢字表記がメインになっています。
そちらも間接的とはいえ影響があった様にお見受けしますが、テクニックの出た昭和48年以降に発表された機関区や駐泊所のレイアウトやセクションにはどれも「周辺」の影響が強く感じられます。
特に76年11月号のNゲージ分割レイアウトのそれは特にそういう印象が強く「16番どころかNでもこんなのができるのか」という意味で結構な衝撃でした。