趣味の原点を振り返る番外編「関水金属の20系ブルートレイン」
趣味の原点を振り返る番外編・思い出の車両モデルから。
最初に買ったNゲージの機関車がEF65、その後ナインスケールのED75とかエンドウのEF58とかも増備されましたが、これらの機関車に共通する特徴のひとつに「ブルートレインの牽引機だった」があると思います。
私がこの趣味を始めた当時、客車と言えば関水金属のオハ31系(前述)と20系ブルートレインの二種類しかなかったのですが、幸いな事に20系は当時「岩手でも見る事ができるほとんど唯一の特急列車」でもありました(と言いますか、北海道を除いて夜行の走る幹線だったらほぼ必ず見られるのがブルートレインだったと思います)
当時も今も20系で私が再現したかったのは盛岡ー上野間を結び、仙台では貨車まで併結する「北星」でした。牽引機のED75もEF58もNゲージでリリースされていましたから後は客車が揃えば形は整う訳です。
あの当時関水金属の20系は1両800円。これなら毎月1両程度のペースで編成が揃えられます。
最初に買ったのはごく普通の「オハネ20」でしたがこれが文字通り(私にとって)野望の第一歩でした(笑)
その後半年かけて何とか6連を組めるところまで持っていきました(お座敷運転のエンドレスの規模から言ってフル編成なんて無理でしたし)
あの当時「1両800円で買える特急車両」はビギナーの年少者にとってはとても嬉しい、有難い存在ではあったのです。テールランプやヘッドマークが点灯するなんてのは望むべくもなかったですが赤で色刺しするととても効果的でしたし、当時のTMSのヒントであの頃出たばかりだった「ホワイトマーカー」を使ってHゴムの色刺しをするという記事を見つけて実際にやってみたユーザーも多かったと思います。
(私も試しましたが、結果は大惨事の出来でした。単純に腕の問題です汗)
ただ、当時のラインナップでは後尾の車掌車がブルトレで最もポピュラーだったナハネフ22ではなく、寝台でない上に窓周りがまるで違う「ナハフ20」しかなかったのでこの時点で実物通りの編成をあきらめざるを得ませんでしたが。それを言い出せば本来ワサフ8800になる筈の併結用貨車もスニ40で代用するしかありませんでした。
それでもあの当時私のお座敷運転の花形は「エンドウのEF58が牽引する関水金属の20系」だった訳です。
後に24系から端を発する「ブルトレブーム」が到来する直前のはなしでした。

それから月日は流れ、
21世紀になってこの趣味を再開してから中古モデルやジャンク品などで当時モノの20系が増備されてしまう事がよくありました。「増備されてしまう」とは変な書き方ですが、何かの「ジャンクのまとめ品」なんかを入手すると20系のひと編成がその中に入っているというパターンが実に多かったからです。
そうしたジャンクセットは大概が「かつてのNゲージ少年たち」の払い下げ品みたいなラインナップでしたから昔のNゲージャーの間でかなり普及したモデルである事は間違いありません(もちろん牽引機のEF65もそうですが)
当初はひたすら溜まる20系(それもカニとナハフが無闇に余る)を前に「さて、どうしたものか」と思いましたが、あの当時なかなかできなかった「切り継ぎでナハネフ22」「車体短縮でマニ20」をやってみようと思い立ち実行してみました。出来はともかくあの頃夢見ていた編成が曲がりなりにも実現した訳です。
しかもあの頃はできなかった「ほぼフル編成」の長さで。

ワサフ8800の方も趣味の再開直後に切り継ぎで作りましたからかなり正調に近い「北星」の編成が組める事になりました。
最初に20系を買ってからここまで来るのに30年以上かかりましたが何事もあきらめないものですね(笑)
光山鉄道管理局
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最初に買ったNゲージの機関車がEF65、その後ナインスケールのED75とかエンドウのEF58とかも増備されましたが、これらの機関車に共通する特徴のひとつに「ブルートレインの牽引機だった」があると思います。
私がこの趣味を始めた当時、客車と言えば関水金属のオハ31系(前述)と20系ブルートレインの二種類しかなかったのですが、幸いな事に20系は当時「岩手でも見る事ができるほとんど唯一の特急列車」でもありました(と言いますか、北海道を除いて夜行の走る幹線だったらほぼ必ず見られるのがブルートレインだったと思います)

当時も今も20系で私が再現したかったのは盛岡ー上野間を結び、仙台では貨車まで併結する「北星」でした。牽引機のED75もEF58もNゲージでリリースされていましたから後は客車が揃えば形は整う訳です。
あの当時関水金属の20系は1両800円。これなら毎月1両程度のペースで編成が揃えられます。
最初に買ったのはごく普通の「オハネ20」でしたがこれが文字通り(私にとって)野望の第一歩でした(笑)
その後半年かけて何とか6連を組めるところまで持っていきました(お座敷運転のエンドレスの規模から言ってフル編成なんて無理でしたし)
あの当時「1両800円で買える特急車両」はビギナーの年少者にとってはとても嬉しい、有難い存在ではあったのです。テールランプやヘッドマークが点灯するなんてのは望むべくもなかったですが赤で色刺しするととても効果的でしたし、当時のTMSのヒントであの頃出たばかりだった「ホワイトマーカー」を使ってHゴムの色刺しをするという記事を見つけて実際にやってみたユーザーも多かったと思います。
(私も試しましたが、結果は大惨事の出来でした。単純に腕の問題です汗)
ただ、当時のラインナップでは後尾の車掌車がブルトレで最もポピュラーだったナハネフ22ではなく、寝台でない上に窓周りがまるで違う「ナハフ20」しかなかったのでこの時点で実物通りの編成をあきらめざるを得ませんでしたが。それを言い出せば本来ワサフ8800になる筈の併結用貨車もスニ40で代用するしかありませんでした。
それでもあの当時私のお座敷運転の花形は「エンドウのEF58が牽引する関水金属の20系」だった訳です。
後に24系から端を発する「ブルトレブーム」が到来する直前のはなしでした。

それから月日は流れ、
21世紀になってこの趣味を再開してから中古モデルやジャンク品などで当時モノの20系が増備されてしまう事がよくありました。「増備されてしまう」とは変な書き方ですが、何かの「ジャンクのまとめ品」なんかを入手すると20系のひと編成がその中に入っているというパターンが実に多かったからです。
そうしたジャンクセットは大概が「かつてのNゲージ少年たち」の払い下げ品みたいなラインナップでしたから昔のNゲージャーの間でかなり普及したモデルである事は間違いありません(もちろん牽引機のEF65もそうですが)
当初はひたすら溜まる20系(それもカニとナハフが無闇に余る)を前に「さて、どうしたものか」と思いましたが、あの当時なかなかできなかった「切り継ぎでナハネフ22」「車体短縮でマニ20」をやってみようと思い立ち実行してみました。出来はともかくあの頃夢見ていた編成が曲がりなりにも実現した訳です。
しかもあの頃はできなかった「ほぼフル編成」の長さで。

ワサフ8800の方も趣味の再開直後に切り継ぎで作りましたからかなり正調に近い「北星」の編成が組める事になりました。
最初に20系を買ってからここまで来るのに30年以上かかりましたが何事もあきらめないものですね(笑)
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この記事へのコメント
今となっては、良い思いでです(*^_^*)
烏口を模型工作に使うというのは当時私には新鮮な発想でした(製図か漫画の小道具くらいにしか考えていませんでしたから汗)
ブログにも挙げた「ホワイトマーカー」ですがTMSの記事通りの仕上がりにはどうしてもならず往生した思い出があります(すぐに白が垂れてしまう)
関水の20系は、その後カトーと名乗るようになって、D51と同じように新設計で出して来ましたね。
私見ですが、新しい「ファインスケール」より、昔の粗削りで素朴な方が味があった気がします。
変に寸詰まりで、長手方向のオーバーハングが極端に短い印象がありますが、それが結句いい雰囲気を醸し出していたように思います。
最近の模型は、確かに精密度は向上しましたが、味も素っ気もない感じで、しかも変に高価になって、キットバッシュなど出来なくなってしまいました。
「何でもDIYが良い」とは思いませんが、手を掛ける楽しみが失われると若年層に逃げられてしまうのでは、と考えるのは杞憂でしょうかね。
これに限らず黎明期のNゲージモデルはおしなべて荒削りな造形なのですが反面、妙な勢いは感じますね。この点は最近の妙に神経質な細密モデルにない一種の「生命力」を感じる事があります。
最近の鉄道模型は老若問わずコレクター志向の方が強い様で製品化の要望は強くても「なかったら作る」という発想自体が失われつつありますね。尤もレンタルレイアウトで走らせているだけ、他のアイテムよりは少しましかもしれませんが。
(レンタルレイアウトの隠れた御利益として最近気づいたのはああいう場では「吊るしのモデルを走らせる」よりも「ユーザーのオリジナリティを見せる」方を重視し始めている事でしょうか。そこに少しでも「手を使う」余地が出てくれば・・・)
当時のモデルと現在のモデル
何処か今の商品に味も素っ気もないような気がしますね。
それは多分自分の見る目が変わってしまったからではと思うようになりました。
当時は、憧れの(選択肢がないから尚更)コツコツ小遣いを貯めて手に入れた物は「やっと手に入れたぞ!」の想いからか一つ一つが輝いて見えました。
でも今は所謂一両一両ではなくセット買い
時には「大人買い」
一両一両のキラキラ感が感じれなくなってしまった自分がいます。
そのくせ当時を振返り比べてしまう・・・・
やはり昭和のオヤジなんだなぁ~
と感じています。
これからも心地よい刺激を頂に参ります。
コメントありがとうございます。
実物の再現性だけを問題にするなら新しければ新しいほど細密且つ正確な再現にはなるのでしょうが、それだけを基準に持ってくると「実車の単なる縮小コピー」に終わってしまうと思います。
昔のモデルはその点ではかなわないですが試行錯誤の時代特有の勢いと生命力がある点では勝っているのではと最近私も思いますね。
なのでジャンク品の旧モデルでも走らせていると元気を分けてもらっている様な気がします。
同じ事は販売形態やリリースの仕方でも言えますね。最近では鉄コレの第5弾辺りまでの頃は今以上にワクワク出来ていたと思います。
(ここ10弾くらい「ああ、やっぱりな」感を感じてしまう辺り私もすれました汗)
今後もよろしくお願いします。