趣味の原点を振り返る 番外編 「TOMIXのオハ35」から

趣味の原点を振り返る番外編・思い出の車両モデルから。
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今回はTOMIXブランド初の客車モデルとなったオハ35系から

前にも書きましたが、私がこの趣味に入った時のNゲージの日本型客車はKATOの20系とオハ31系の2種類しかありませんでした。
実車の世界で20系とオハ31系が揃い踏みするのは結構不自然(ましてやオハ31系は赤帯・青帯時代の代物でした)でもあった上にEF70やED75が牽くのにふさわしい「(当時の)普通の客車」がなかった事もあって「せめて青色のが普通に見られる客車」のリリースは当時から期待されていたと思います。

もちろんこの時点で「GMの板キット」は出始めていたのですが、田舎の模型屋にまでそれが行き渡るのにかなりの時間差があった上に「出来上がりが完成品並みになる保証がない(要するに作り手の私が下手という事)」もあって当時は現実的な選択肢ではなかったのです。

そんな昭和51年の10月、当時のTMSで大々的に「TOMIX」という新システムが発表され当時のファンの度肝を抜きました。
システム化された線路と給電、日本初の「本格的な日本の駅の完成品モデル化」など驚きのポイントはいくつもあったのですがその記事の最後に「TOMIXブランド最初の国産車両モデル」として登場したのが「オハ35」でした。

まさに私たち(と敢えて書きます)が長年待望していた「普通の客車」が登場するというのですから大いに盛り上がったものです(まあ、当時の鉄道模型ファンの層の薄さを考えると盛り上がりと言っても微々たるものですが)
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翌年ようやく近所のデパートの店頭にそのオハ35が並んだ時には早速飛びついたものです。

TOMIX登場直後でラインナップの充実と言っても微々たるもの。「オハ35系」と言ってもラインナップはオハ35とオハフ33のふたつ。しかも車体色は青のみというもの。車輪はプラ製で屋根は窓ガラスと一体パーツだったと記憶しています。
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それでいて台車の転がりの良さはKATOのそれに匹敵するものでしたしオハフ33の妻面のディテーリング(特に梯子がモールドされていた事)には驚かされ、同時にTOMIXというブランドの行く先がかなり明るい事を予感させるものでした。
とはいえ屋根の端が絞り込まれた仕様は当時の岩手であまり見られなかった(と言うよりあの当時すでに61系やオハ47の天下だった)のでそこだけは違和感を感じざるを得ませんでしたが。
しかしそれなどは「ようやくどんな機関車にも似合う普通の客車が出た!」という喜びの前では実に実に些細な事だったのです。

それ以来オハ35系は当鉄道(ふすま運転w)のスター、偉大なる凡庸として長い事不動の地位を占めるに至ります(笑)
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TOMIXのオハ35系はその後も車輪の金属化やぶどう色の追加、色の塗り方などで徐々にバージョンアップを繰り返しながらモデル基本を変えないまま売られ続けるロングセラー車両となりました。私が趣味を再開してからもかなりの数のオハ35系が入線しています。今ではオハ47や10系などとオムニバスしつつ客車の普通列車の彩りのひとつとして大いに頑張っています。

光山鉄道管理局
HPです。


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