ジオラマ・レイアウト・そしてモジュールに思うこと

この間の体調不良に伴う寝込みの折、WEBを見ていて触発されたことから
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とある書き込みで拝見したレイアウトとジオラマの違いを端的に表現した一句を目にしました。
「ジオラマでは時間が止まっている。レイアウトでは時間が流れている」
というのがそれです。

まさに至言と思いました。
私見を加えるなら、瞬間を切り取るのがジオラマ、一定の時間の流れを切り取るのがレイアウトとも言えるかもしれません。

 実は以前、似た様なテーマで意見を交わした折りこの方へ宛てたものに、個人的なレイアウトの定義として「その中で車両の運転系統が自己完結しているもの」というのを挙げた事があります。
 その考えはいまでも変わっていないのですが、これとて「その世界、その時代、その時期の一定の範囲内の時間軸の再現」とも言えるのではないかと。
 さらに言うならここで重要なのは「主役たるべき鉄道車両(それも動くモデル)が存在して初めて再現できる」事ではないかと思います。
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 「動く主役がいなければ成立しない」と言う点ではレイアウトというのは映画のセット、もしくは舞台芸術に近いのではないでしょうか。
 「(あるいは大概のユーザーが無意識にやっているように?)その風景の中での走る列車自体にドラマが表現できる事」がレイアウトの必須条件であり、静止した瞬間の中に動感を求めるジオラマやヴィネットと似ていながらも異質である部分と感じます。

 さて、ここまでは良いのですが実はこの考え方にもひとつ抜け穴と言うか大きなグレーゾーンがあります。
 それは運転会に供されるモジュールレイアウトの存在です。

 自分で作って見て初めてわかった事ですが、モジュールというのは運転に供するというのが第一目的であり、他のメンバーのモジュールと組み合わせる事で初めて100パーセント威力を発揮できる存在と言えます。
 それでいてモジュールはそれ単体だと完結した運転形態が取れない(もちろん他の組み線路と組み合わせる事でエンドレスの一部として機能させる事は可能ですが)
 勢い自宅でのモジュールというのは車両置き場と化し、限りなく飾り台に近い、ジオラマに近づいた存在になって行きます。
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 これを虚しいととるか「だからこそ飾り台にふさわしいセンスとディテールを盛り込もうと燃えるかw」は人それぞれですし、私自身期間の長さの違いがあるとは言え、どちらの気分も味わったりもしています。

 その一方でモジュールの持つその鵺(ぬえ)的な性格が却ってプラスに働く場合もあると感じる事もあります。
 それが何かについては次の機会にでも。

光山鉄道管理局
 HPです。


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