「おウチのエンターテイメントとしてのテツドウモケイ」に思うこと

 そろそろクリスマスも近いですしこういう話題もどうかと。
 但し、記憶違いや事実の誤認もあるかもしれませんから、そこを割り引いてお読みいただければよろしいかと。

 だいぶ前の事ですが、CSで放送されていた海外のとある番組を観てふと思った事から。
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 とあるお宝発掘番組(単なる倉庫漁りをエンターテイメントに変えてしまう辺りにアメリカの番組制作の底力も感じますがそれはまた別のはなし)の中である人物が語っていた思い出話が印象に残りました。
 いい歳ぶっこいたおっさんの発掘屋のひとりがそこで発掘されていた鉄道模型のセットを手にしながら
 「私が子供の頃は、クリスマスになると親父がガレージの中にライオネルの線路を敷き回してくれたものだ。クリスマス休暇の間一家中でそこに入り浸って運転を楽しんだものさ。転轍機の操作や信号とかを兄弟で分担して・・・」とか思い出話を語る。
 確かそんなくだりだったと思います。

 ライオネルと言うのは第二次大戦の戦中から戦後にかけてアメリカで広く普及したOゲージの鉄道模型で、現在でもそれ専門のファンがいるほどの広がりがあるそうです。

 1940年代のアメリカの家庭ではクリスマスシーズンの楽しみのひとつに鉄道模型があった、少なくともそれが普及していた事になる訳ですが、上述の思い出話やその後観た海外の鉄道模型専門番組(こんなのが長寿番組として成り立っているところも凄い話です)などでのライオネルのレイアウトを見ている限りではリアリティも去る事ながら「マニアではない誰にでも楽しめるエンターテイメントとしての鉄道模型」と言う印象を強く感じました。
 クリスマスシーズンだけガレージに仮設し、終わったら片づけられて次の年を待つなんてのは日本のお座敷運転にごく近いイメージを感じます。
 尤も、Oゲージだけにガレージでも使わないと線路を引き回すなんて事も出来ないですが、模型自体も大きいだけにスケール通りという訳には行かず、大なり小なりディフォルメは加わっています。
 レイアウト用品も「豪華なプラレール」に近いもので重箱の隅をつつく様なリアリティとは無縁の存在とも言えます。

 ですが実際にその番組を観ていると、リアリティ云々が馬鹿らしくなってくるくらいに「素朴な楽しさ」が伝わってきます。

 それが一般ユーザーの琴線を刺激したからこそ「一家の楽しみとしての鉄道模型」が普及したともいえる気がします。
 そしてそれと殆ど同じイメージがあるのがメルクリンです。
 確かにシステムは高度化していますし、メルクリンならではの独自性によるコントロール性の高さにも驚かされるのですが、それ以上に「テツドウモケイでご家庭エンターテイメントできる」という事にも同じくらいの魅力があるのではないかと思えます。

 それゆえに純粋趣味の眼から見るとライオネルやメルクリンは玩具に毛の生えたイメージしか見えない面も確かにあるとは思います。
 ですがこの「ご家庭エンターテイメント」の面があればこそ欧米で鉄道模型があれだけ普及してきたとは言えないでしょうか?
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 そしてそうした基礎票があったればこそ、それらに飽き足らない層による「リアリティ重視の本格鉄道模型」も普及しえたとも思えます。
 随分と皮肉な見方ではありますが、鉄道模型は最初から「大人の、紳士の高級趣味」だった訳ではなかったという事を改めて実感させてくれたのが上記の番組でした。
 まあ「金持ちの子弟の道楽」と言う側面もありそうですがw

 そういえば芸能人きってのテツドウモケイキャリアを持つ加山雄三氏は年末年始になると一部屋をつぶして16番の線路を敷き回して運転を楽しみ、オフが明けると一気に撤収してしまうという楽しみ方を長く恒例としていたというのを聞いた事があります。
 これなども割合に近いイメージかもしれません。

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 そして日本でそれに近い物と言うとまず思い浮かぶのがプラレールです。
 歴史の面で言うなら日本型Nゲージにほぼ匹敵するものを持ち、システム性もそれなりに向上させてきましたし現在でも通常品展開とは別個にユーザーに鉄道オモチャの魅力を発信し続けながら家庭に定着させてきたことは凄いと思います。
(なにしろ「たのしい幼稚園」の付録にプラレールの足まわりをコンバージョンしたペーパー車体キットなんてのまで展開していますし)

 但し大人になってもプラレールを続けている人と言うのは意外に少ないのも確かですし、デパートのイベントなんかでプラレールの大レイアウトを眺めているかつてのユーザーたちの何割かは「ちょっと見ないうちにずいぶん進化したなあ」と言う目線のお父さんおじいさんであるのも確かです。
 そもそも、クリスマスシーズンに家じゅうにプラレールを敷いて一家総出て楽しむなんて習慣はあまり聞きません(笑)

 その理由を「モケイと言うよりオモチャだから」と切って捨てても良いのですが、個人的にはそれと同じ位に列車やポイントの遠隔操作ができない、上位互換としてのバージョンアップができないなどシステムの発展性が模型ほどに広がらなかったことも一因だったのではないかとも思えます。
 幸か不幸か少なくともNゲージの世界では10年単位のキャリアのユーザーや、私の様に20年中断して再開しましたという層が一定数居る事からも子どもの頃から大人になっても続けられるモケイとしてのステイタスが確立しつつある気もします。
 (逆に16番をその辺を拾いそこなった感がありますしZゲージは今後の展望と言う点で不安を残すフォーマットですが)

 ですがその一方で「一家総出でエンターテイメント出来る」と言うほどのステイタスは未だに薄い。
 あるのは素朴な目で見ていると薄気味悪くすら感じるドロドロした純粋主義者やマニアのマウンティングばかり。あのコミケですら30年の間にエンターテイメントとしての認知を得つつあるのと比べても未だに途上の時期にあることは否めない気がします。


 かつてはBトレインショーティや鉄道コレクションの登場で命脈を保つことに成功してはいますが、それもマニアックな泥沼に陥れば結局は同じ事です。
 そこに何か間口を広げるブレイクスルーが再び必要な段階に来ている気もしないではありません。
光山鉄道管理局
 HPです。


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この記事へのコメント

eltonjohn
2018年12月14日 11:43
ご無沙汰しています。

>素朴な目で見ていると薄気味悪くすら感じるドロドロした純粋主義者

何処の世界にも原理主義者は居ますが、それが趣味に雪崩れ込んで来ると気持ち悪いですね。
マトモでない、と言うか狂気に近いものを感じます。
2018年12月14日 15:23
記事を拝見しましたが、大変興味深い内容ですのでコメントを致しますことをお許しください。

思うところはたくさんあるのですが、つまるところは趣味に関係なく家族の関係性の部分が大事なのかな?と感じました。

オトコ目線で述べますと、
「旦那が模型好きなんやから仕方がないやろ?」
ではなく、
「こんなに面白いねんから一緒にやろうや」
と云う姿勢が大事なのかな?と、感じております。

2018年12月14日 15:25
記事を拝見しましたが、大変興味深い内容ですのでコメントを致しますことをお許しください。

思うところはたくさんあるのですが、つまるところは趣味に関係なく家族の関係性の部分が大事なのかな?と感じました。

オトコ目線で述べますと、
「旦那が模型好きなんやから仕方がないやろ?」
ではなく、
「こんなに面白いねんから一緒にやろうや」
と云う姿勢が大事なのかな?と、感じております。

世間一般に憚らずに済む趣味として認知してもらいやすい時代にはなっていると思いますので、趣味人一人一人の意識を少し変えれば思ったよりハードルは低いのかな?とも感じております。
光山市交通局
2018年12月14日 17:53
>KOASA。さん

コメントありがとうございます。
こちらこそ生煮えの拙い内容で済みません(汗)

家族に限らず、外との関係性と言うのは確かに大事だと思います。ですが逆に他者の目を気にしすぎるのもつまらない話ですね。

「なんでこんな物に金と暇を注ぎ込んでいるんだろう?」から「そこまでこいつの目をキラキラさせるテツドウモケイとはなんだろう」と思わせる風な流れの方が下手な薀蓄よりもよほどためになる様な気もします。

 少なくともマニアばかりではない、一般の目を意識させられるイベントなどでの運転会ではそういう素朴な部分のアピールも大事かなと感じています。

 最近ではご夫婦で鉄道模型を楽しまれるケースも僅かづつながら見られ始めていますが、それらを見ていると「素朴にテツドウが楽しい」という雰囲気が感じられます。そんな所も今回の記事を書く間接的な動機になっていますが。


光山市交通局
2018年12月14日 18:00
>eltonjohnさん

 以前も同じ様な事を書いた気がしますが、素朴さを忘れた極端な趣味の先鋭化とマウンティングと言うのは概ねそのジャンルを衰退させる一因になる事が多いと感じます。

(私見ながら、スポーツカーやバイク、オーディオ趣味を衰退させた要因のひとつではないかと)

 野球やサッカーなどが今でも支持されているのは「ただの球ころがし」「ただの球けり遊び」と言う素朴な部分がまだ残っている、少なくとも誰もが楽しめる要素があるという事でもあります。それはマニアックに先鋭的なだけでは決して語り得ない事ではないでしょうか。
(ですから「ただの球ころがし」「ただの球けり遊び」と言う表現を私は決してネガティブな意味では使っていません)

 どこかに趣味の原点と言うか素朴な部分が残らないと先細りは否めないでしょうね。
レサレサ
2018年12月14日 23:51
私も鉄道模型にハマったきっかけは、ある人のサイトで「木の板の上に石紛粘土で地面作ったジオラマ」を見たのがきっかけで「これなら(素人の)私にもできる」と思ったことだったのを覚えています。

最初にジオラマ作った時もまともな鉄道模型の材料はレール・バラストとライケンだけで、あとは石紛粘土やら木の枝・玄米茶が材料でした。
塗装も最初の内はアクリル塗料の黒を墨入れとウェザリング兼ねてつけてただけで、溶剤も水という簡素な物。
(ここからいろいろ不都合なことがあったりやりこんでいって、現在に至ってます。)

やっぱりこの「私にもできる」という敷居越えの決意ができないと人間その趣味に入らないでしょうかね。(集めて走らせるにしても「集める」時点で金銭的な覚悟がいりますしw)

光山市交通局
2018年12月15日 22:26
>レサレサさん

>やっぱりこの「私にもできる」という敷居越えの決意ができないと人間その趣味に入らないでしょうかね~

 まさに我が意を得たりの思いがします。私自身「私にもできるかも」と言う踏ん切りをつけるのに結局25年掛けましたから(笑)

 一般論で言うならハードルはある程度低いに越した事はないですね。