趣味の原点を振り返る番外編「関水金属のオハ31系」
今回は関水金属(KATO)のオハ31系から。

この趣味に入った当時(1975年)Nゲージの日本形客車のラインナップは20系ブルートレインとオハ31系しかありませんでした。
(同時期にナインスケールでセットものの中に「日本語表記を無理矢理追加したアメリカ形客車」なんてのもあったのですがこれは余りに一般的ではなかった)
GMのキットは出たばかりで当時地元の模型屋さんでは見なかったですし。
ですからレイアウトで客車を組もうとすれば必然的にこのふたつのどちらかという事になるのですが、戦前表記のオハ31系とバリバリの戦後派の20系が同じ線路に並ぶというのは子供心にも結構な違和感だった覚えがあります。
ですが「普通列車の客車編成」が組みたかったらいやでも応でもオハ31系を揃えるほかなかったので乏しい小遣いを割いて増備した覚えがあります。

チョコレート色の客車と言うのは当時でもまだちらほら残っていたのでいいのですがダブルルーフのTR11台車の車両など精々救援車や配給車位でしかお目に掛かった事がありません。
当時はこれを走らせながら「早くどこかがスハ43系とかオハ61系を出してくれないかな」とか思っていたものです。
(因みに当時の工作ガイドブックによれば16番では20系の他オハ61系、スハ44系、オハ35系、オハ31系、スハ32系が完成品でラインナップされていました。加えて小高模型のペーパーキットもほぼ同量のラインナップを揃えていましたからあの頃の16番の物量は圧倒的だったのです)
そのオハ31ですがある年の暮れ、風邪を引いて1週間くらい寝込んでいる時私の枕元に鎮座していた事があります。
喉の痛みとボーッとする頭で寝込んでいた私の枕元に居る茶色い客車は他の特急型よりも私の心を和ませてくれたのに自分でも意外に思いながら「ああ、これをもっていてよかった」と思えたのです。
車体全体にリベット打ちがされ窓の配置も今時の客車とまるで異なるオハ31でしたが、そのレトロなところが素朴に「旅行するキシャ」と言うイメージを掻き立ててくれたのが良かったのかもしれません。
以来オハ31系へのイメージは私の中では少なからず改善されました。

現在の私の手持ちのオハ31系はいずれも中古ですが、製造期間の長さゆえか入手元の違いで色艶やくたびれ具合が異なり、旧型客車としては意外なほどのリアリティを感じさせます(単なる経年劣化なのに)
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GMのキットは出たばかりで当時地元の模型屋さんでは見なかったですし。
ですからレイアウトで客車を組もうとすれば必然的にこのふたつのどちらかという事になるのですが、戦前表記のオハ31系とバリバリの戦後派の20系が同じ線路に並ぶというのは子供心にも結構な違和感だった覚えがあります。
ですが「普通列車の客車編成」が組みたかったらいやでも応でもオハ31系を揃えるほかなかったので乏しい小遣いを割いて増備した覚えがあります。

チョコレート色の客車と言うのは当時でもまだちらほら残っていたのでいいのですがダブルルーフのTR11台車の車両など精々救援車や配給車位でしかお目に掛かった事がありません。
当時はこれを走らせながら「早くどこかがスハ43系とかオハ61系を出してくれないかな」とか思っていたものです。
(因みに当時の工作ガイドブックによれば16番では20系の他オハ61系、スハ44系、オハ35系、オハ31系、スハ32系が完成品でラインナップされていました。加えて小高模型のペーパーキットもほぼ同量のラインナップを揃えていましたからあの頃の16番の物量は圧倒的だったのです)
そのオハ31ですがある年の暮れ、風邪を引いて1週間くらい寝込んでいる時私の枕元に鎮座していた事があります。
喉の痛みとボーッとする頭で寝込んでいた私の枕元に居る茶色い客車は他の特急型よりも私の心を和ませてくれたのに自分でも意外に思いながら「ああ、これをもっていてよかった」と思えたのです。
車体全体にリベット打ちがされ窓の配置も今時の客車とまるで異なるオハ31でしたが、そのレトロなところが素朴に「旅行するキシャ」と言うイメージを掻き立ててくれたのが良かったのかもしれません。
以来オハ31系へのイメージは私の中では少なからず改善されました。

現在の私の手持ちのオハ31系はいずれも中古ですが、製造期間の長さゆえか入手元の違いで色艶やくたびれ具合が異なり、旧型客車としては意外なほどのリアリティを感じさせます(単なる経年劣化なのに)
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この記事へのコメント
理由は簡単、安かったから。それだけです。
車体が短いので長編成が組みやすかったですしね。
例えば35系や43系客車だと7両編成しか組めない場合でも、31系客車なら8両編成が組めます。
帯を消して35系や43系と混成するのも面白かったです。
それにオロ30は帯を消すだけでオハ27に改造出来るなど、バリエーションを増やす楽しみもありました。
何だかんだで、一事は20両以上の31系客車を持ってました。
(現在では気動車列車と貨物列車を分けているので、客車の増備は控えています。)
オハ31系は妻面がやや寂しいので、標識円盤を銀河モデルのをつけると大分違うと思います。
オハ31系列は未だに入線が無いんです。
旧客は有る程度持っているのにです。
それは買いやすい価格、意外に牽かせる機関車が少ないと色々個人的には理由があるんですが、そろそろ入線させたいなと思う客車です。
そう思っても、意外に手に入らないものなんですよね。
記事を見て、欲しくなりました(笑)
探してみようかな?(^-^;
>記事を見て、欲しくなりました(笑)
オハ31はダブルルーフとTR11の入手元としても重宝しており、モハ30タイプ(ベンチレーター位置や窓の上下幅が異なる)の素体にも使えますよ。
必要なのはGMのモハ31系改造車たち(クモハ11かクハ16が最良、クモハ12でも一応OK)で、屋根板パーツ(一部削る必要あり)と台車をオハ31からいただき、おでこにヘッドライトをつけるだけです。
(クモハ12の場合は片運車なので、後側の運転台を切り継ぎで消してください。)
え?GMのキットの方が素体じゃないかって?かもしれませんね・・・
私が最初に買ったのは20系でしたね。今思い出したのですがオハ31系は昭和51年頃機関士だった親類が誕生プレゼントで買ってくれた編成でした。
それにしてもオハ31系は息の長さもさる事ながら、価格がほとんど変わっていないのがすごい話です。それでいて造形面では今でも通用する物がありますから尚更すごさが再認識されるモデルですね。
関水金属の最初のC50と同時に発売されたのがオハ31でしたが日本市場だけでNゲージが成立するとは考え難かった当時ですから「輸出向けにアメリカ風にいじっても違和感のない形式」という事でオハ31系が選ばれたのではないかと個人的には思っています。
(現にEF70や103系もアメリカ風の塗装の輸出モデルがありますし)
比較的古典風にまとめる事も容易ですからレサレサさんの様な改修は様になりますね。
コメントありがとうございます。
意外に引かせる機関車がない〜
国鉄最初の鋼製客車だけにそれ以前の木造客車のノリを引きずっているところもこの形式が使いづらい理由になっている気がします。C51以前の蒸機でも充実していればもう少し使い出がありそうですが。
鉄博記念モデルで以前出ていた帯なしの仕様ならもう少し使い勝手はいい気がします。最近リニューアルC50と同時発売された帯付きの仕様はKATOで他に適合しやしすい蒸機が少ないですね。
MODEMOのスハ32系のセットとの相性はいいのですが(笑)
「ダブルルーフ屋根の調達先としてのオハ31系の存在意義」
確かにその意義は大きいですね。かねて紹介している鉄道カフェのペーパーキットのご店主、客車のキットもいくつか出しているのですが屋根板がネックになってダブルルーフが出せないとこぼしておられるのを聞いていましたがオハ31系なら(実写準拠ではない「タイプ」になるのはやむを得ませんが)ある程度カバーできそうな気がします。
緑と黄のツートンカラーいいですね。扉開放状態まで再現とは手がこんでます。
混結編成に組み込まれて走る姿を拝見したいです。
実はこのオロ30、以前大宮の中古屋で安く売られていたのを購入したものです。
仰る様になかなか手の加わった力作と思うのですがハード●フ系の店ではそう言う所は評価されないのが辛いですね(尤も加工品は余程出来が良くなければどこの店でも安くなる傾向が強いですが)