コレクターとモデラー、そして鉄道模型の玩具化に思うこと・3

前回このネタで一席書かせて頂いてから大分間が空きましたが、テツドウモケイにおけるコレクターとモデラー、そして玩具化について思うことの続きを書かせて頂きます。
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ですが、前回から大分経つにも拘らず大枠はこれまでのブログとほとんど変わっておらず、それに付け足す事もそう多くはありません。
なので結論の出にくい蛇足的な内容になる事はご勘弁ください。

おまけに今の私は家庭の事情でしたたかヤケ酒を呷った後なので、なおの事愚痴が加速しそうですし。

先ず一つの前提として私個人は自分がモデラーともコレクターとも思っていませんし、鉄道模型が玩具であったとしてもそれこそが美点のひとつと考えている変わり者であるという事です。
ですから、モデラーの考えもまたコレクターの考えのどちらにも共感する部分を持っていますし一方で「そこは違うんじゃないの?」と思える部分もまたあります。
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まず、コレクターについてですが、コレクションと言う頚木を離れても、趣味の中で「何かを集める」プロセスはそれが何であれ必ず存在すると思います。
その収集癖を当人が意識化したものが自称・他称を問わず「コレクター」と呼ばれるものではないかと思います。

ですが、コレクションというものは膨大になればなるほど何らかの形でアウトプットが必ず必要になるし、それが無いとどこかで精神的な破綻を招くと言った意味の記事をどこかで読んだ事があります。
その記事中ではコレクションをもとに本を書くとか、博物館を作るという形でその「昇華」の例を挙げていました。ですがコレクターの誰もがそこまで突き抜けられる訳ではない。
個人的な仮説ですがそのアウトプットが尤も手軽に外に向いたものが「自慢」又は「マウンティング」であり、また内に向いたものが「矜持」または「沈黙の中のプライド」と言ったものではないかと考えています。
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ですがその側面はコレクターだけではなくモデラーの方にも多く含まれている要素ではないでしょうか。

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モデラーだって苦労して作ったモデルを見せびらかしたり自慢したりしたいという素朴な感情はあると思います(それの上手下手は置いておいてもですが)
或いはコンテストに出したり、同好の士で作品を見せあいながら切磋琢磨するプロセスも大いにあると思いますが
この辺は同じ自慢でも求道系もしくは体育会系のノリでありこの点がコレクターとモデラーを見かけ上異質に見せている要因ではないかと思います。

(コレクターだってある一線を越えると一気に求道系に倒れ込みそうな要素が多いですが)

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趣味の本質のひとつには確実に「自慢」の要素が存在するし、それが集め続けたコレクションの羅列であっても、心血を注いで作り上げたモデルだとしてもそれを「自慢したい」という欲求は共通ではないかと思います。
あとはその自慢をどう「見る者に不快感を与えずに処理できるか」の差でしかありません。

モデラーがコレクターの跳梁する現状に対する危機感の根底には工作派が減る事で自分たちのしている事が自慢できる場が狭められる事への危惧と言う側面も多少はある気がしますし、コレクターの中で特にブランド対立が目立つのも同じような背景がある様に思います。つまり意識・無意識にかかわらず「自分を勝ち組・もしくは上級者の方に置きたいという心理」です。
実はこれ自体も誰にでもある当たり前の感情なので、その感情を減らす事は出来でも完全に打ち消す事はまず不可能でしょう。
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ですが今のコレクション化の現状を見ていると、売る側がそうした心理に付け込む形でやれ限定品だ、やれレアものだと射幸心に近い購買意欲を刺激する商法を展開しているのは個人的に感心しません。

最近のコメントで鉄コレなどの売り方、集め方が切手のコレクションと共通しているのではないかと言うものがあったのですが、事実切手の世界ですらコレクター相手の偽切手と言うものが流通(有名切手のコピーと言う意味ではなく、実在しない国の切手や存在しない図案の切手を指します)して、またそれを収集対象にしているケースすらあります。これなどは極端な例ですがコレクションの世界が一種闇の側面も持っている事もまた事実と言えます。
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一方でモデラーの方にこれを当てはめるとかつて「お神輿じゃあるまいし」と故山崎喜陽氏が表現した様な度を越した細密化や触るのが憚られるほどのウェザリングに象徴される「筆の措き方を知らない先鋭化」とそれを無闇に有難がるマニア心理などが一方にある。
かつてそうした風潮を「高い山があってこそあこがれの対象になる」と言う形で表現した専門誌のコラムがありましたが、私に言わせれば「高いだけで誰も登りたがらない山を見させられている」様な違和感を感じさせるところでもあります。
(まあ、これについては私自身の腕の無さからくるやっかみも多分にあるので偉そうなこともそう言えないですが汗)

ただ、どちらの場合もモデリングとコレクションのそうした闇の部分だけを見て「全てがそうである」と錯覚させてしまう側面もあります。

案外現実はそこまで先鋭的ではないですしどちらの場合も、大概の場合はごく平和だったりするものですが。
というか、全てがそこまで教条化、先鋭化するとあるタイミングで(世代交代の失敗とか極端な高価格化など)その趣味自体が一気に崩壊する事が多いです。

(写真は本題とは関係ありません)

光山鉄道管理局
HPです。


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この記事へのコメント

Manic
2019年07月14日 07:37
読んでいて「なるほど」と思う話でした。ひとつだけ工作派が減る事で発表の機会が減る事に危機感を感じているのでは無くコレクター相手になるような特定機を量産メーカーが発売する事による「誰もが手軽に所有出来ない」物を所有する優越感が失われる危機感を抱いているのでは?と思いました。

一方、オークションでも量産品の無い特定機で製作技量が見事だと思われる出品物は一品製作なだけに高値で取引されてますが、モデラー側としては付いた価格が高ければ高い程、自分の技量にも価値が付いている満足感を感じるのではないか?コレクター的にも他の人が所有しない物を持つ優越感を感じているのではと考えています。そんな方が少しずつではありますが出て来ている様に見受けられます。作った方には悪いのですが画像を見て明らかに下手な作品はやはり値段は大して付きませんし付いた価格が一種のバロメーターになっているんでしょうね。
光山市交通局
2019年07月15日 21:54
>Manicさん
>
 返事が遅くなってしまいすみません。

 ネットオークションの普及に伴い「自分の製作したモデルの落札価格がステイタス、或いは満足感の指標になる」というのが価値観のひとつとして出てきたのは注目すべきことではないかと思いますね。工作派にしてみれば自分の腕前とセンスがそのまま価格と言う形で数値化されるわけで(ついでに趣味と実益を兼ねる)それなりに励みになる事と思います。

 ただ、これとてそればかりになってくると「技術力カースト主義」みたいになってしまう危険も出てくる気もします。どこかに「下手であってもあるいは自慢で見るものがなくても、自分は愉しんでいる」と言った矜持を支える何かが必要なのではないかと思いますね。

 自分が技術面では下手ですから余計にそう感じたりもします(大汗)