7月5日でナナゴの日(笑)という事で

7月5日に因んで無理やりに「ナナゴの日」とこじつけ、今回はED75のはなしです。
とはいえ、当鉄道で「偉大なる凡庸第一号」の認定を受けているED75ですから、このブログだけでも年に一回か二回はED75の話をしている訳で、なかなかネタが発掘できないのが辛いところです。
この趣味を始めたときに最初に入線させた交流機がED75なら、趣味を再開した時真っ先に増備したのもED75.しかもその時には市場から新車のED75が払底していて唯一残っていた「コンテナ貨車のセットもの」を探し出したという思い出も(汗)
そんな訳で現在当鉄道に在籍するED75は二桁の数。変わり種も結構あったりするのですが、一方で現在ロストナンバーになっているED75も複数存在します。
ひとつは趣味の中断時に親類の子に譲渡してしまったナインスケール仕様。
そしてもうひとつが十数年前に親類の元機関士の仏前に上げたKATOの初代モデルです。

このブログで度々取り上げてきた機関士だった親類の小父さんは若い頃は蒸機にも乗務していたそうですが、現役の最後の時代にはED75も運転しており、16番のモデルも2両自作されていました。
その小父さんの訃報を聞き、故郷に駆け付けた時の事はまるで昨日の事のように思い出されます。
私の趣味の形成の上で大きな影響を与えてくれた方だっただけに、新盆の折になにか私なりにお礼になるようなお供え物はないかと考えていた時、思い出されたのがED75だったのです。
現住地で買い揃えたED75を持って故郷に向かい、仏壇にそれを供えた時、小父さんと私との関係に一区切りがついたことが実感されるとともに、趣味人としての私の中で小父さんの存在がますます大きく、強くなっていくのも感じました。

それから大分時間がたつのですが、今でも店頭や中古屋でED75を見るたびにそんな感慨が胸をよぎります。
実車も引退してしまい今では鉄博くらいでしか見られなくなっていますし。
今回並べたED75は歴代のKATO製品ですが、TOMIXも含めてED75はモデルチェンジ・マイナーチェンジが頻繁なモデルでして初期モデルと比べると現行品は走りと言い細密度と言いほぼ文句のないレベルと思います・・・とか書いていたらTOMIXがまたED75をリニューアルするとか。
ED75の当鉄道での「偉大なる凡庸」の地位は当分安泰ですね(笑)
光山鉄道管理局
HPです。

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この記事へのコメント
カトーが最初に出した電気機関車は確かEF70、トミックスはED75、マイクロはED78とEF71だったのでは?
そういえばエーダイも最初はED75だったような…
試作で終わったソニーマイクロトレーンもED75ですよね。
模型メーカーが交流機関車に拘るのは何故なんでしょうね。
素人考えなら、まずEF65やEF66といった直流機関車のほうがメジャーな気もしますが…
伯父様は蒸気機関車だけでなく、電気機関車にも乗務されてたんですか?
私の祖父も機関士でしたが、蒸気機関車がメインで退職前に少し気動車にも乗務したそうですが、電気機関車には乗らず仕舞いだったそうです。
祖父が所属していたのが津山機関区で、電気機関車や電車に縁が無かったからだと思います。
>素人考えなら、まずEF65やEF66といった直流機関車のほうがメジャーな気もしますが…
メーカーの人間でないので憶測ですが、模型は以下の理由で「デッキ無しBo-Bo電機」が一番製作が楽だからじゃないでしょうかね?
・B型:用途が限定されすぎ、HO以上なら入門用のフリーランスでありだが、N以下だと集電や走行性能的にもよくない。
・F級以上:構造が複雑化、おまけにNだと4軸駆動が基本なので走行性能もむしろ悪化している(曲線通過が顕著)。
・先輪あり:構造複雑化・脱線原因
・デッキあり:構造複雑化、台車マウントにするとカーブでカプラーがデッキ梯子に当たる。
で、デッキ無しBo-Bo国鉄電機を上げると。
直流:ED17系列(ED51以外)、ED15、60、61
交流(両用含む):ED70、71、73、74、75、79、30、92
…で、これらの中で「量産」と呼べる規模の奴を選ぶと交流機ほぼ一択ですね…
直流機では17・61が比較的多いですが、17は古すぎますし、61も汎用的かと言われると微妙ですし…
KATOのASSYで「ED75 1000番台」のプレートがあったのでこれの「E」と1位の数字を削除すると「D75 100」「D75 101」ができるので、これをRS-1と3(米国機にしては車高が低いので日本車両に混ぜれる)の塗装変更機に張り付け、75トン級ディーゼル機関車にしました。
(日本でこの重量なら6軸機のRSDの方が自然ですが入手できず、高規格の鉱山鉄道設定にしましたw)
これ以外にジャンクでまとめ買いしたナンバープレートで、
・「EF60」→Fを削り「E60」電気機関車60t級。
・「DE10」→Dを削り「E10」さすがに10tは軽すぎるので「ある工場専用線の10台目」(Eを「エンジン」とするなら電機でなくてもいい)
というような流用もできたりします。
なるほど、それは考えられますね。
トミックス、エーダイ、ソニーが揃って最初の電気機関車がED75でしたから。
それにしてもカトーのEF70、マイクロのED78&EF71は謎ですね。
EF70やEF71を作れるならば、EF65やEF66を作るなど造作もない気がしますが…
>
私の小父さんの場合は戦前から蒸機に乗務し戦時中は都の機関区の区長を務めたのち戦後は主にED75の乗務だった様です。
当時の盛岡機関区はC54、D51、DD51のそれぞれファーストナンバーが在籍していた時期もあり種類こそそう多くはないのですがかなりにぎやかだったそうです。
ED級の交流機がいち早く製品化される理由ですが私もレサレサさんと同じ意見です。
また、KATOの場合はいきなり人気機種のEF65を出すよりはパイロットとしてEF70を先行発売し、動力機構の安定を待って本命のEF65に繋げる意味合いがあったのではないでしょうか。
現に初代のEF65が出た時点ではEF70は動力とカプラーが変更されていますし。
交流電機の場合、60年代からの短期間で一気に形式が充実していた経緯もありますし「新型車」のイメージが出やすい面もあったでしょうね。
ED・DD級のロコが設計できればより大型の機種が余裕をもって設計できると踏んだ面もあったかもしれません。
そういえばしなのマイクロの第一号NゲージモデルはED17でしたが、いかにもあのメーカーらしい選択だと思った記憶があります。
ナインスケールの第二弾はED61でしたが確かにEF65ほどには華がなかったとは思います。
>
マイクロのED78・EF71ですが、あの時点ではEF65はKATO・TOMIX・エーダイナインの3社競作、EF66もKATOとTOMIXがバッティングしていたので最後発のマイクロにとってはうま味が薄く感じられたのではないかと思います。
EF71はともかくとして後発メーカーとしてはあの時期に空白となっていたED78に目を付けざるを得なかった事情もありそうですね。
後残る直流メジャー機はEF64ですが、これはED78とほぼ同時期に1000番台がリリースされているので謎と言うほどではない気もします。
ED75ですか?
カチッと纏まったスタイルで好感が持てる機関車でしたが、イメージ的には東北が主戦場、という感じでしたね。
九州にも300番台というのが存在したのですが、比較的早く廃車の憂き目に遭っています。
同じ系列のED76がいまだに現役であるのと比べると、何が運命を分けたのだろうか?と思ってしまいます。
そういえば九州にもED75は配置されていましたね。
個人的には九州の電機というとED72,73,76のイメージが異様に強くED75の影が逆に薄く感じられてしまっていました。
東北本線、それも仙台以北では「電気機関車=ED75の一択」で九州の76の様な競合機がなかった事と重連が必要な勾配区間(奥中山など)があった事がED75の延命に力を貸していたのではないかと思います(現行のEH500は実質「ED75重連の後継車」と思いますし)
貫通扉がなく軸重軽減のための中間台車を装備しているED76が現役で走っている点から見て九州ではそれほどの勾配区間がないので重連前提の75ではオーバースペックだったのかもしれませんね。
以上は個人の見解ですが。