「とれいん」創刊号と菊地文雄氏のはなし
今回は古本にまつわる思い出話から
かねて欲しかった「とれいん」の創刊号。
TMSの創刊号ほどにはレアものではないのですが、それでもなかなか出物に当たる事が珍しくなり、ここ数年探していた一冊でした。
それが先日ようやく奥の出物に当たり晴れて入手できるようになった次第です。
なぜそんなにこの号が欲しかったかと言いますと、この号の中に「菊地文雄個展」と言う特集があるのを知ったからで。
(科学教材社「模型とラジオ」83年7月号56Pより引用)
菊地文雄氏の名前は1970年代以降はTMSとかRMMではあまり目にしないのですが、以前から折に触れている「模型とラジオ」で1980年代にNゲージ工作記事のメイン執筆者だった方です。
氏が取り上げる題材は古典車両や割合マニアックな物が多く、模型とラジオの読者(ガンプラ目当ての小中学生がメイン)の嗜好とは聊かずれがあったのと、当時のTMSですら推奨していなかった「動力をゼロから作る工作法」をはじめこれまた小中学生には歯が立たなそうな技法が平然と載っていた事から、かねてより氏の作風と人物像には少なからぬ興味があったのです。
(プレスアイゼンバーン「とれいん」75年1月号28Pより画像引用)
本誌に掲載されている氏の作品群、とりわけ1950年代頃の16番モデルは当時としてはかなり細密なモデルですが、そのディテーリングのノリには1980年代のNゲージ工作記事に共通するセンスが感じられます。
と、言いますか1980年代のNゲージモデルで1950年代の16番細密モデルの文法がそっくり持ち込まれている事に一驚を禁じ得ないのですが(驚)
今回、創刊号の特集で氏の人となりをおぼろげながらに拝見したのですが、氏は大正3年の生まれで、戦前は30分の1で数々の機関車モデルをものにし、昭和30年代の模型とラジオを中心に工作面での16番の育ての親と呼ばれる存在だったそうです。
ですから、私より一回り上の世代の16番工作派にとっては一種のカリスマ的存在だった様で氏の記事を見て車両工作に挑戦したファンも結構いたのではないでしょうか。
(科学教材社「模型とラジオ」1983年11月号より画像引用)
とれいんの特集においても16番以上の模型が中心ですが当時としてはかなり高度なフルディテールのモデルが多くこれにあこがれたファンも多かった事でしょう。
その一方でたばこの箱を使ったカラフルなボギー貨車という遊び心に溢れたモデルも物しており、当時すでに50年というキャリアと重ね合わせても趣味人としてリスペクト出来る方とお見受けしました。
とれいん誌が創刊号で菊地氏を取り上げたのはかつての模型とラジオの読者の年配ファンの琴線を刺激するという意味もあったのではないでしょうか。
(似たようなパターンでは後にRM MODELSが月刊化前後の号で「模型と工作」誌の西村正平氏を取り上げた事があります)
菊地氏の鉄道模型工作記事がNゲージにシフトしたのはこの数年後ですが、これだけのキャリアのある方ならNゲージでも古典車両への関心があったでしょうし、モータとギアの組み合わせ、ボール紙や真鍮による車両工作の記事にも必然性があったと思えます。
ただ、1980年当時の模型とラジオの読者層との世代感覚のずれも今更ながらに感じられもするわけでして、80年代の模・ラの読者でリアルタイムにこれだけの車両工作をものしていた人がどれ位居たかはわかりませんが。
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TMSの創刊号ほどにはレアものではないのですが、それでもなかなか出物に当たる事が珍しくなり、ここ数年探していた一冊でした。
それが先日ようやく奥の出物に当たり晴れて入手できるようになった次第です。
なぜそんなにこの号が欲しかったかと言いますと、この号の中に「菊地文雄個展」と言う特集があるのを知ったからで。
(科学教材社「模型とラジオ」83年7月号56Pより引用)
菊地文雄氏の名前は1970年代以降はTMSとかRMMではあまり目にしないのですが、以前から折に触れている「模型とラジオ」で1980年代にNゲージ工作記事のメイン執筆者だった方です。
氏が取り上げる題材は古典車両や割合マニアックな物が多く、模型とラジオの読者(ガンプラ目当ての小中学生がメイン)の嗜好とは聊かずれがあったのと、当時のTMSですら推奨していなかった「動力をゼロから作る工作法」をはじめこれまた小中学生には歯が立たなそうな技法が平然と載っていた事から、かねてより氏の作風と人物像には少なからぬ興味があったのです。
(プレスアイゼンバーン「とれいん」75年1月号28Pより画像引用)
本誌に掲載されている氏の作品群、とりわけ1950年代頃の16番モデルは当時としてはかなり細密なモデルですが、そのディテーリングのノリには1980年代のNゲージ工作記事に共通するセンスが感じられます。
と、言いますか1980年代のNゲージモデルで1950年代の16番細密モデルの文法がそっくり持ち込まれている事に一驚を禁じ得ないのですが(驚)
今回、創刊号の特集で氏の人となりをおぼろげながらに拝見したのですが、氏は大正3年の生まれで、戦前は30分の1で数々の機関車モデルをものにし、昭和30年代の模型とラジオを中心に工作面での16番の育ての親と呼ばれる存在だったそうです。
ですから、私より一回り上の世代の16番工作派にとっては一種のカリスマ的存在だった様で氏の記事を見て車両工作に挑戦したファンも結構いたのではないでしょうか。
(科学教材社「模型とラジオ」1983年11月号より画像引用)
とれいんの特集においても16番以上の模型が中心ですが当時としてはかなり高度なフルディテールのモデルが多くこれにあこがれたファンも多かった事でしょう。
その一方でたばこの箱を使ったカラフルなボギー貨車という遊び心に溢れたモデルも物しており、当時すでに50年というキャリアと重ね合わせても趣味人としてリスペクト出来る方とお見受けしました。
とれいん誌が創刊号で菊地氏を取り上げたのはかつての模型とラジオの読者の年配ファンの琴線を刺激するという意味もあったのではないでしょうか。
(似たようなパターンでは後にRM MODELSが月刊化前後の号で「模型と工作」誌の西村正平氏を取り上げた事があります)
菊地氏の鉄道模型工作記事がNゲージにシフトしたのはこの数年後ですが、これだけのキャリアのある方ならNゲージでも古典車両への関心があったでしょうし、モータとギアの組み合わせ、ボール紙や真鍮による車両工作の記事にも必然性があったと思えます。
ただ、1980年当時の模型とラジオの読者層との世代感覚のずれも今更ながらに感じられもするわけでして、80年代の模・ラの読者でリアルタイムにこれだけの車両工作をものしていた人がどれ位居たかはわかりませんが。
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