5月5日でキハ55系のはなし
先日に引き続いてGWスペシャル。
5月5日という事で「キハ55の日」とこじつけますか。
私の幼少時の頃まではキハ55系の列車が故郷を走っていた様なのですが、子供心に印象に残っているのがキハ20系(それもキハ52)とキハ58系という事で思い出としてのキハ55の印象はごく希薄です。
むしろキハ20とキハ58の記憶が強い事もあって「キハ20の顔をしたキハ58」みたいな不思議なイメージの方が先行してしまっています。
ですがこれはまたこれで個性的と言うか不思議と心に残りやすい機種の気動車という事は言えるかもしれません。
Nゲージでのキハ55系を最初にリリースしたのはエーダイナインからラインナップを引き継いだGAKKENーNでした。
エーダイの倒産と学研のブランド引継ぎに伴い、当初はエーダイで出るはずだったキハ55系が学研からリリースされた形になりますが、当の学研も長続きせずに数年でブランドも事実上消滅するという経緯を持ったモデルでした。
その経緯の複雑さと、以後他社から競合モデルが出なかったこともあって長い事中古モデルがレアもの扱いされ、私自身長い事模型としての実物を見た事が無いモデルとなっていたものです。
その後、20世紀末にウィンというメーカーからもキハ55が出ていた様で21世紀に入ってから中古ショップなどで出物を見かける事がありましたがなかなか手が出せないお値段だった記憶があります。
21世紀に入りTOMIXがようやく最新水準の造形のキハ55系をリリースしてくれたことでようやく渇が癒されたという感じでしょうか。
ですが皮肉なことにTOMIXがリリースした直後は実車の知名度がキハ20系やキハ58系に比べるとかなり低くなっていたのでしょう。
模型屋さんでは結構な数のキハ55系の売れ残りを目撃した記憶があります。特に1エンジンのキハ26でその傾向は顕著でした。
私がキハ55系を初めて新車で購入したのもその頃の事で学研時代にはコレクターの間ではレアもの扱いだった(はず)の準急色がいくつも故郷の模型屋さんに残っていたのを見つけ、ようやく入線させることができたという次第です。
ところが一度入手してしまうと後は早いもので、学研製の中古の出物を見つけたりTOMIXの急行色の出物があったりとあっという間にキハ55系の増備が進む事になりました。
2,3年前にもブックケース入り、バス窓と通常窓の6連なんて出物を発掘し行きつけのショップの店長さんと時ならぬ山分け増備を果たしています。
(実はその折にウィンのキハ55の実物を初めて見せて頂く事も叶いました)
それほどに数を増やしたキハ55系ですが、数が増えたのに見飽きる事が不思議とないのです。
後のキハ20系やキハ58系に比べて微妙な仕様違いやカラーの差異が多かった事もあって、模型としてのキハ55は結構魅力的に見える気動車と思います。
光山鉄道管理局
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5月5日という事で「キハ55の日」とこじつけますか。
私の幼少時の頃まではキハ55系の列車が故郷を走っていた様なのですが、子供心に印象に残っているのがキハ20系(それもキハ52)とキハ58系という事で思い出としてのキハ55の印象はごく希薄です。
むしろキハ20とキハ58の記憶が強い事もあって「キハ20の顔をしたキハ58」みたいな不思議なイメージの方が先行してしまっています。
ですがこれはまたこれで個性的と言うか不思議と心に残りやすい機種の気動車という事は言えるかもしれません。
Nゲージでのキハ55系を最初にリリースしたのはエーダイナインからラインナップを引き継いだGAKKENーNでした。
エーダイの倒産と学研のブランド引継ぎに伴い、当初はエーダイで出るはずだったキハ55系が学研からリリースされた形になりますが、当の学研も長続きせずに数年でブランドも事実上消滅するという経緯を持ったモデルでした。
その経緯の複雑さと、以後他社から競合モデルが出なかったこともあって長い事中古モデルがレアもの扱いされ、私自身長い事模型としての実物を見た事が無いモデルとなっていたものです。
その後、20世紀末にウィンというメーカーからもキハ55が出ていた様で21世紀に入ってから中古ショップなどで出物を見かける事がありましたがなかなか手が出せないお値段だった記憶があります。
21世紀に入りTOMIXがようやく最新水準の造形のキハ55系をリリースしてくれたことでようやく渇が癒されたという感じでしょうか。
ですが皮肉なことにTOMIXがリリースした直後は実車の知名度がキハ20系やキハ58系に比べるとかなり低くなっていたのでしょう。
模型屋さんでは結構な数のキハ55系の売れ残りを目撃した記憶があります。特に1エンジンのキハ26でその傾向は顕著でした。
私がキハ55系を初めて新車で購入したのもその頃の事で学研時代にはコレクターの間ではレアもの扱いだった(はず)の準急色がいくつも故郷の模型屋さんに残っていたのを見つけ、ようやく入線させることができたという次第です。
ところが一度入手してしまうと後は早いもので、学研製の中古の出物を見つけたりTOMIXの急行色の出物があったりとあっという間にキハ55系の増備が進む事になりました。
2,3年前にもブックケース入り、バス窓と通常窓の6連なんて出物を発掘し行きつけのショップの店長さんと時ならぬ山分け増備を果たしています。
(実はその折にウィンのキハ55の実物を初めて見せて頂く事も叶いました)
それほどに数を増やしたキハ55系ですが、数が増えたのに見飽きる事が不思議とないのです。
後のキハ20系やキハ58系に比べて微妙な仕様違いやカラーの差異が多かった事もあって、模型としてのキハ55は結構魅力的に見える気動車と思います。
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この記事へのコメント
新潟では一時期キハ58系急行列車にキハ55が組み込まれていました。単に車両不足だったからでしょうか?
外から見てもキハ55の車体は真っ直ぐ立ち上がっているので区別がつきました。
キハ58に比べれば床にエンジン点検蓋があって騒音と匂いでは不利だったはずですが、普通の利用客に区別ついていましたでしょうかね?
国鉄晩年期には、地方ローカル線に乗りに行くとよくキハ55に乗車する機会がありました。
たまにグリーン車格下げ車両が連結されていたこともあります。
キハ20やキハ55は前面展望がしやすかったので(w)ある意味お気に入りの車両でした。
本業は教材を作る会社なのに、こんないい加減さで良いのでしょうか…
私も子供の頃に電子ブロックで学研を知ったので、鉄道模型を作っていたことを知ったのは、ずっと先でした。
キハ55系、父親の田舎でもよく見かけました。
普通列車によく使われてましたが、たまに急行列車にも使われていたようです。
冷房が無いので、急行運用の時はキハ58系列車の先頭か最後尾に連結されてました。
キハ55系といえば私鉄でも使われてましたね。
島原鉄道では一部が冷房付き、空気バネ台車という豪華版。
南海はトイレが無くて、併結相手の国鉄車両のトイレを使うことになっていたとか…
小田急キハ5000形も、車体はオリジナルですが足回りはキハ55系ベースでしたね。
模型の世界では学研のキハ55、一時期は結構なプレミアが付いてましたね。
15000円とか20000円などという値段でした。
やがて、ウィンがキハ55系を出したのと、トミックスからHGシリーズで発売されたことで、学研のキハ55は一気に暴落しましたね。
ウィンのキハ55系、塗装済みキットという販売形式でした。
動力が無く、ライトも点かない、座席パーツすら無いのに2両で定価7000円もしてました。
トミックスのキハ55系は、出来映えは文句なしですが少し高価なのが難点でしょうか。
私はキハ55系の模型は、ウィンのキハ55急行色とキハ26首都圏色を持っています。
座席が無いので、鉄コレの余剰パーツなどで座席を付けてあります。
実車に乗られたとは羨ましいですね。
私のところでは確か「やまびこ」の初代が準急色のキハ55系だったと思います。
準急色は実物に触れる機会がなかったので後から模型を見るとなんだか変な感じになりますw。
私のところでは普通列車として生き残ったのが殆どなかったのが惜しいですね。
「〇年の科学」「学習」で育った世代としては「学研がテツドウモケイ」というだけでそこはかとない違和感がありましたw。
0系新幹線の広告を初めて見たのも〇年の科学だったのですが、天体望遠鏡やメカモ(これを知っている人はもう少なくなりました)なんかに混じって「新幹線」が載っていたのでなおさらです。
学研キハ55は暴落後にようやく中古が買えましたwが、旧製品のKATOのキハ58辺りと並べるといい味が出ていましたね。