レイアウトビルダーの「分化」と「流派」の登場を俯瞰して・3

  前回、前々回と私なりに日本におけるレイアウトの歴史とそれに伴う「流派」の成立過程をまとめさせていただきましたが、こちらも今回が最終回です。

 うまく纏まっていない点も多々ありますが、そこはご勘弁ください。
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 今回の美里山倶楽部さんの分類は主にレイアウトを作る側から見た、楽しみ方のベクトルを分類するという意味でこれまでになかった視点だと思います。
 これは言い換えるなら「流派がいくつも生まれるほどに鉄道模型ファンの中でレイアウトというものが普及し、膾炙される様になった」という事でもあると言えると思います。
 (実際、今でも「鉄道模型」=「車両模型」が全てであると考えるモデラーやコレクターは多いですから)

 さて、ここからが私なりに感じたことのまとめとなります。

 「鉄道模型には色々なジャンルがある。大きく分ければ車両を楽しむ行き方と、レイアウトと運転を楽しむ行き方がある。
この両方を適当にミックスするのが一般的なファンであろう」
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 これはカラーブックスの名著(と私が勝手に思っている)「鉄道模型」の冒頭の一節です。
この「適当にミックスする」と言う部分には、わたしなりに深い含蓄を感じています。

 レイアウトの方でも、主に作風やポリシーの置き方、運転の形態で分類されますが、わたし個人の感覚で言うなら「誰もが(比率の多少はあれ)今回の分類の全ての要素を混在させて楽しんでいる」のではないかと思います。

 むしろ、その方が趣味人としては健全なのではないかと。

 尤も、個人の拘りやその総体としての「流派」が存在することそのものは悪い事ではないと思います。
 ですが問題は自分の流派に必要以上にこだわりすぎるあまり「他が見えなくなってしまう」事かもしれません。
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 他人のレイアウトを指して「正統派か否かを決めてかかる態度」などはその典型でしょう。
 趣味の世界において「真のファン」とか「大人のマニア」などの冠を借りた特定の価値観だけが幅を利かせるなどと言うのはあまりいい傾向ではありませんし、もしそうなったらそのジャンルは確実に衰退する事になります。
(これについてはかつてのGTカー、スポーツバイク、オーディオなど過去の実例には事欠きません。但しここで付け加えておきますが、あまりにも反社会的な嗜好が跳梁する事へのアンチテーゼとしての「真のファン」云々を語るのはやむを得ない側面があるのも認めます)
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 「それぞれの花があるから野も楽し」とはかつて推理小説の世界で流派同士の諍いが多かった時期に横溝正史が語った言葉ですが、同じ事は鉄道模型やレイアウトのジャンルでも言える事でしょう。

 流派は流派として、個人のポリシーは持ちつつも他のジャンルに対する寛容性は持っていたいものですね。

光山鉄道管理局
 HPです。


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