5月3日でEF53のはなし
GWスペシャルの日付にちなんだ車両ネタ(それもかなりこじつけ)

今回は5月3日ということで「EF53」をば。
EF53と言っても、この時代のデッキ付き電機は全般に現在のファンに馴染みの薄い機種が多いだけに語るのが難しいジャンルという気もします。
1932年に登場したEF53は登場と同時に東海道の花形電機として蒸機のC53と共に大活躍した機関車だったそうです。
この時期は木製車が多かった客車が事故の時などに破損がひどい(当然乗客の犠牲も多かった)事から強度はあるものの車重が重い鋼製客車に切り替わり始めていました。
当然それを牽引する機関車にもパワーアップが求められたのですが、EF53はベースとなったEF52と定格出力は同じだったもののギア比の変更で高速性を高め、当時の要求に応える性能が与えられていました。
それゆえに当時の優等列車を牽引する機会も多く、今で言うなら(今か?)EF65辺りに相当するステイタスのあったロコだったと思います。
外見も戦前派のデッキ付き電気に特有の一種優雅な佇まいがあり、ただ眺めていても結構見飽きません。

さて、戦前派ファンのステイタスが高いであろうEF53ですが、わたしの手持ちは10年くらい前に中古で入手したワールド工芸製のお召機が在籍しています。
ここのお召機は完成品しかリリースされていないそうですが、手にとってみたところではキットメイク品の化粧直し仕様ではないかと思います(実際それに相応なお値段でしたし)
とはいえ、走行性は問題ありませんしこの時代のデッキ付き電機の魅力を感じるには十分だと思います。

さて、このEF53ですが末期には瀬野八に転属されEF59に改名の上で補機運用されています。本来ならここで取り上げるところですが、昨年の5月9日に取り上げてしまっているのでそちらをご確認ください。
光山鉄道管理局
HPです。

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今回は5月3日ということで「EF53」をば。
EF53と言っても、この時代のデッキ付き電機は全般に現在のファンに馴染みの薄い機種が多いだけに語るのが難しいジャンルという気もします。
1932年に登場したEF53は登場と同時に東海道の花形電機として蒸機のC53と共に大活躍した機関車だったそうです。
この時期は木製車が多かった客車が事故の時などに破損がひどい(当然乗客の犠牲も多かった)事から強度はあるものの車重が重い鋼製客車に切り替わり始めていました。
当然それを牽引する機関車にもパワーアップが求められたのですが、EF53はベースとなったEF52と定格出力は同じだったもののギア比の変更で高速性を高め、当時の要求に応える性能が与えられていました。
それゆえに当時の優等列車を牽引する機会も多く、今で言うなら(今か?)EF65辺りに相当するステイタスのあったロコだったと思います。
外見も戦前派のデッキ付き電気に特有の一種優雅な佇まいがあり、ただ眺めていても結構見飽きません。

さて、戦前派ファンのステイタスが高いであろうEF53ですが、わたしの手持ちは10年くらい前に中古で入手したワールド工芸製のお召機が在籍しています。
ここのお召機は完成品しかリリースされていないそうですが、手にとってみたところではキットメイク品の化粧直し仕様ではないかと思います(実際それに相応なお値段でしたし)
とはいえ、走行性は問題ありませんしこの時代のデッキ付き電機の魅力を感じるには十分だと思います。

さて、このEF53ですが末期には瀬野八に転属されEF59に改名の上で補機運用されています。本来ならここで取り上げるところですが、昨年の5月9日に取り上げてしまっているのでそちらをご確認ください。
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この記事へのコメント
私もマイクロエースのものを持ってました。
残念ながら実物を見たことは無いのですが、地元関西でも見られたED16やEF15よりもEF53の方が遥かに格好良いと思ってました。
ところで、旧型電気機関車にデッキ付のものが多いのはアメリカの影響らしいですね。
あちらでは昔から踏切事故が多かったので、事故時に機関士を守るという意味でもデッキが必要だったそうです。
日本の電気機関車は元々欧米の機関車を参考にして設計されましたが、特にアメリカの機関車を参考にすることが多かったのでデッキ付が主流になったのではないでしょうか。
なかなか興味ある考察を頂きありがとうございます。
旧型のデッキ付き電機は以前はワールド工芸、その後はマイクロ、KATOと徐々に製品化が増えていて面白いですね(何しろEF14まで出ているくらいですから)
仰る通り北米では現在も踏切事故がざらに起きていますが、DLでも運転席を最後部に持ってきているL型が多いのもそうした影響なのでしょうね。
1:鋼製客車製造計画(大正13年頃<朝倉希一曰く「自分が車両課長になった頃」>)
2:C52輸入決定(大正14年頃、少なくとも1925年に製造されている。)
3:特急脱線事故(大正15年9月23日)
の順番で、鋼製客車(動力付き含む)は当時世界的な流れで、日本国内に限っても電鉄会社で先行例があったそうです。
・・・だから木製車全廃が戦後にずれ込むわけなんですねぇ・・・
この例から言うなら客車の鋼製化の流れが固まりつつあった時期にたまたま大規模な事故が起きたというタイミングの問題もあったのでしょうね。
件の特急脱線事故以前にも木造車が大破するような大事故はいくつかありましたし、客車鋼製化の流れはそれらの事象も見据えての事ではないかと思います。