カメラの進化とテツドウモケイのはなし・その2
カメラの進化が鉄道模型の趣味に与えている影響について。
前回はわたし自身の体験に照らし合わせて主にそのメリットについて書き殴りました(笑)
今回はその続きです。
前回書いた様にカメラのデジタル化とそれに伴うノウハウ要らずのイージーさは鉄道模型の趣味にまで大きな影響を与えたと思います。
かつてのわたしの様にカメラの扱いに恐れを抱くことなくモデルや実車の写真を手元に置けるというのは、そのままカメラのみならず鉄道模型についてもすそ野の拡大に寄与していると思います。
残り枚数を気にせず撮りまくれるというメリットはそのままロケハンやモデル化に必要な実車の資料写真が大量に撮れる、保存できるという意味でもモデルの質の底上げにつながっていると思いますし、それは専門誌で見かける自作、改造モデルがここ20年くらいの間に急速に実車準拠の細密さを向上させている事からもうかがい知れます。
また、前回のコメントで頂いた様に模型そのものの撮影についても、レンタルレイアウトでの撮影会を手軽に楽しむ層の登場や、模型撮影にも適した撮影機材が続々登場した事で写真の質的な底上げが計られているのも大きな変化と思います。
また、インターネットの普及とそれに伴う作例写真のアップロードの容易さは「工作が上手くてもカメラ音痴で写真を送れなかった様な人でも作例を残す、送信できる」という新たな方向性も示しました。
それゆえに従来専門誌でしか見られなかった他人の作例がネットで容易に見られるメリットも得られていると思います。
何しろついこの間まで専門誌以外でモデラーの作例を見るなんて事は田舎のユーザーにはまずできませんでしたから。
だが、そのイージーさに問題は無いか?
例えば実車の写真の場合はビギナー層の急激な広がりとマニア層の先鋭化という形でいわゆる「撮り鉄のマナー問題」という形で表れ始め、かつてのSLブームの時以上に深刻化している面は見逃せません。
AV(オーディオビジュアル)やスマホ、或いはスポーツカーやバイクなどでもそうだったと思いますが、趣味の世界で底辺層が急速に拡大すると往々にしてこうした社会的な軋轢が生じやすくなるのはよくある事です。
中でも写真撮影のイージーさはそのどれよりも普及と拡大が急だったためにデメリットも余計目立ちやすいというのはあるかもしれません。
それを別にしても「容易に撮れる、大量に保存できる、容易に加工できる」というイージーさは同時に「1枚1枚の写真に対する思い入れを急速に低下させる」一面も併せ持っていると思います。
かつての銀塩カメラの頃は「フィルムの量が限定されるがゆえに失敗が許されない」だけにそれこそ一期一会、一発入魂的な気構えで撮られる事が多かったように思います(たとえそれが「写ルンです」での記念写真レベルだったとしても)
それだけにそうした苦労(と言うか気構え)で撮られた写真には撮り手の思い入れが反映されたものも多かった様な気もするのです。
まあ、今ではそんな考え自体がそろそろ古くなってきているのかもしれませんが。
誰もが簡単に写真を撮れるというメリットは大きなものがあるのは否定できませんが、一方で単純にその利便性を喜ぶだけでなく自分が思い入れを持てるような写真を残す事も心のどこかに持っていたい。
最近はそんな事も考えてみたりしています。
(今回の写真はわたしが初めてデジカメを買った直後から2年くらいのあいだに撮影したものの中から「下手だけど思い入れのある写真」をセレクトしたものです。まあ、今でも技術的にはたいして変わっていないのですが汗)
光山鉄道管理局
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前回はわたし自身の体験に照らし合わせて主にそのメリットについて書き殴りました(笑)
今回はその続きです。
前回書いた様にカメラのデジタル化とそれに伴うノウハウ要らずのイージーさは鉄道模型の趣味にまで大きな影響を与えたと思います。
かつてのわたしの様にカメラの扱いに恐れを抱くことなくモデルや実車の写真を手元に置けるというのは、そのままカメラのみならず鉄道模型についてもすそ野の拡大に寄与していると思います。
残り枚数を気にせず撮りまくれるというメリットはそのままロケハンやモデル化に必要な実車の資料写真が大量に撮れる、保存できるという意味でもモデルの質の底上げにつながっていると思いますし、それは専門誌で見かける自作、改造モデルがここ20年くらいの間に急速に実車準拠の細密さを向上させている事からもうかがい知れます。
また、前回のコメントで頂いた様に模型そのものの撮影についても、レンタルレイアウトでの撮影会を手軽に楽しむ層の登場や、模型撮影にも適した撮影機材が続々登場した事で写真の質的な底上げが計られているのも大きな変化と思います。
また、インターネットの普及とそれに伴う作例写真のアップロードの容易さは「工作が上手くてもカメラ音痴で写真を送れなかった様な人でも作例を残す、送信できる」という新たな方向性も示しました。
それゆえに従来専門誌でしか見られなかった他人の作例がネットで容易に見られるメリットも得られていると思います。
何しろついこの間まで専門誌以外でモデラーの作例を見るなんて事は田舎のユーザーにはまずできませんでしたから。
だが、そのイージーさに問題は無いか?
例えば実車の写真の場合はビギナー層の急激な広がりとマニア層の先鋭化という形でいわゆる「撮り鉄のマナー問題」という形で表れ始め、かつてのSLブームの時以上に深刻化している面は見逃せません。
AV(オーディオビジュアル)やスマホ、或いはスポーツカーやバイクなどでもそうだったと思いますが、趣味の世界で底辺層が急速に拡大すると往々にしてこうした社会的な軋轢が生じやすくなるのはよくある事です。
中でも写真撮影のイージーさはそのどれよりも普及と拡大が急だったためにデメリットも余計目立ちやすいというのはあるかもしれません。
それを別にしても「容易に撮れる、大量に保存できる、容易に加工できる」というイージーさは同時に「1枚1枚の写真に対する思い入れを急速に低下させる」一面も併せ持っていると思います。
かつての銀塩カメラの頃は「フィルムの量が限定されるがゆえに失敗が許されない」だけにそれこそ一期一会、一発入魂的な気構えで撮られる事が多かったように思います(たとえそれが「写ルンです」での記念写真レベルだったとしても)
それだけにそうした苦労(と言うか気構え)で撮られた写真には撮り手の思い入れが反映されたものも多かった様な気もするのです。
まあ、今ではそんな考え自体がそろそろ古くなってきているのかもしれませんが。
誰もが簡単に写真を撮れるというメリットは大きなものがあるのは否定できませんが、一方で単純にその利便性を喜ぶだけでなく自分が思い入れを持てるような写真を残す事も心のどこかに持っていたい。
最近はそんな事も考えてみたりしています。
(今回の写真はわたしが初めてデジカメを買った直後から2年くらいのあいだに撮影したものの中から「下手だけど思い入れのある写真」をセレクトしたものです。まあ、今でも技術的にはたいして変わっていないのですが汗)
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この記事へのコメント
フィルムを2倍使えるハーフサイズというものもありましたね。
うちにもハーフサイズのカメラが3台ありました。
36枚撮りフィルムで72枚の撮影が出来るので経済的でした。
確か平成天皇も大阪万博でハーフサイズのカメラを使ってたそうです。
ただ、画質的にはイマイチで大きく引き伸ばすと粗が出ることもありました。
父親が写真撮影が好きだったのでフルサイズのカメラも何台かありましたが、家族で出掛けた時などハーフサイズばかり使われてました。
時代は流れ、フィルムが安くなるとハーフサイズのカメラを見掛けなくなりました。
確か昭和58年まであったような。
簡単こそ正義みたいな風潮ですね。
クルマだけでなく、まさかバイクにまでAT限定免許が出来るとは誰が予想したでしょうか。
スマホにはもれなくデジカメが搭載されてますから、カメラを持ち歩く機会も減りましたね。
相当な昔は自動車を買えて運用できて、というのは金がある人限定でした。しかし昨今は珍しくもないことになり走る台数は恐ろしく増えてます。交通戦争などのそれに伴う問題や悲劇も。
昨今はスマホの一環で、しかもフツーに使う分には充分な機能付きで、同趣味の人とすら触れ合わずに撮れてしまう。そうなれば敷居はないも同然となりますが、それだけにマナーや配慮に触れることなく一気に撮影者が拡がってしまう。撮り鉄でやらかす案件の増加の一因かもしれません。
…まあ撮り鉄を批判するマズゴミ共はそれ以上にやらかしていますがね!あの連中は自前の行状には自省どころか、問題行動を認めもしませんが。
デジカメでハーフサイズの写真に相当するのが「撮影時のファイルサイズの設定機能」でしょうか。
以前某専門誌のコンテストに応募した時「カメラの最高画質の写真で提出してください」との規定から作品を撮影したのですが、その時「あれっ、このカメラこれしか撮れなかったっけ⁉」と驚くくらい容量を食って焦った事があります(普段は上から3番目程度のファイルサイズで撮影しています)
今ではスマホでもその程度の機能は実装されている様ですが、実際のユーザーでそこまでこだわる人はどれだけいる事か。
確かにデジカメは簡単に撮影できることが大きなメリットですが、それでものめり込むと相当にマニアックな世界になるらしい事はわたしの周囲の一眼レフユーザーを見ていて感じるところではあります。
問題はその奥深さに気づくビギナーがどれだけいるか、どれだけそれを掬い上げられるかではないかという気もしています。
どんな趣味でも、またどんなツールでも最初のうちは一部のマニアか富裕層が先に飛びつく側面がありますね。
相応のスキルの習熟というのも、初期の不便さゆえに必要なものだったと思いますし、それに時間と手間をかけるうちに暗黙のルールやマナーを身に付けて行ったと思います。
今は変化も急速かつドラスティックに進行しますからビギナーがそれについてゆくのも大変だしマナーやスキルを身に付けるのも短期間では難しいのではないかと思います。
まあ、ある程度時間が経てば全体のマナーやルールも一通り行き渡ってゆくものでしょうが
(車のマナーなんかも70年代の暴走族全盛期の頃は相当にひどいものでしたが、当時の暴走族が普通にやっていた「あおり運転」が今ではそれがニュースになるくらい珍しくなってしまいましたから)