2月4日なので24系のはなし

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 今年最初の日付と車両の語呂合わせネタから
 今日が2月4日なので24系で行こうかと思います。
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 「ブルートレイン」と聞いて私と同世代か上の世代だとまず連想するのは20系ではないかと思います。

 従来の客車のどれよりも流麗なラインのボディと青地に3本の線を引いたカラーリングはそれまでの夜行列車のイメージを一変させるほどの衝撃を与えたもので、当時の鉄道ファンの憧れのひとつとして記憶される名車だったと思います。

 とはいえその20系も時間が経って来ると車体の老朽化、或いはその後の日本人の体格の変化にアメニティが追い付かなくなるなどの問題を生じ始めます。そんな訳で当初は分散電源式の14系寝台客車が後継として登場したのですが、北陸トンネルの車両火災事故で多くの犠牲が出た影響から、出火原因になりそうな電源を編成端の車両に集中させる20系方式が見直され、結果登場したのが今回取り上げる24系という事になります。
 (尤も実際の出火原因は食堂車の配線かららしいのですが)

 登場した24系は寝台が微妙にサイズアップされたり室内寸法に余裕が出たりと乗る側から見れば20系時代よりも中身が改善され、たちまちブルートレインの主役に踊り上がりました。
 しかも本格的に24系が普及し始めた時期に、かのブルトレブームが発生。
 小中学生の鉄道ファンが急増し、これが同時に鉄道模型界でのNゲージの普及の原動力になった・・・というのは間違いのないところでしょう。

 そのNゲージでは当時新興勢力だったTOMIXがはやばやとラインナップの目玉として24系をリリース。直後に金属車体をひっさげたエンドウの製品が追随し、老舗のKATOもそれと前後して当時の決定版ともいえるモデルをリリースして1980年代の初頭にはNゲージのブルトレ黄金時代を築く事になります。
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 ・・・とか当時の状況を俯瞰するとそういう事にはなるのですが、わたし個人の感覚としては20系の流麗なラインに比べて24系のそれはどうにも不愛想な感じがして好きになれない車両でした。編成端の車両も12系みたいな印象でしたし更に平面顔になったカニ24の100番台に至っては不愛想の極北みたいな感じがしたものです。

 なので趣味の中断前に20系はあっても24系が入線する事はついぞありませんでした。
 24系が本格的に増えたのは21世紀に入り趣味を再開させて数年後、それも「実際に24系の列車に乗ってから」です。
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 東日本大震災の復興支援ツアーの一環として24系の編成が中央線から岩手の平泉まで走った事があり、その列車を買い集めたのがわたしにとっての24系の本格的な入線といえます(車両は当時バラの新車が買い集めやすかったTOMIX)
 格好は相変わらず不愛想に見えたのですが、いざ乗って見ると以前の20系とは雲泥の差といっていい位の余裕を感じましたし少なからず24系を見直したものです。
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 その後、よもやこれが入線するとは自分でも思わなかったエンドウの24系もひと編成はいりましたし、北斗星仕様の室内灯標準装備(バブルの頃はこういうNゲージも売れた)のKATO24系も入線しています(まあ、こちらは全て格安の中古ですが)

 今では24系自体が幻みたいになってしまっているのを思うと時代の変転を感じない訳には行きません。

光山鉄道管理局
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