昨日は「583系の日」だった!!(出し遅れネタ)
今日は8月4日で昨日は8月3日。
昨日は「8月3日たって、キハ83系も持っていないしほかに83絡みのネタもないし、どうでもいいか」なんて思っていたのですが、くさたんさんの「鉄道に萌え」を覗かせて頂いたところ、その日が「令和5年8月3日なので583系」だったのを知りました。
「しまった!その手があったか!!」
と気づいた時には後の祭り・・・なのですがわたし個人でも実車・模型ともども583系は思い出深いものがありました。
ですので1日遅れながら便乗させていただきます。
くさたんさんすみません(大汗!!)
東北本線沿線住まいという事もあって、わたしと583系の縁は見るにも乗るにも結構深かったと思います。
まあ、あの頃「電車」といえば583系、485系、455系のどれかしかなかったのですが(笑)
わたし個人で言うと当時めちゃくちゃ遠い東京に行く時には専ら483系か485系だったのですが、中途半端に遠い仙台とか八戸辺りへの往復では583系に乗る事が多かったと思います。
ですからわたし的な印象だと「583系=はつかり」のイメージが強く、ネーミングのスマートさとアイボリーとブルーのツートンのカラーリングの印象は他に似た塗装の車両がなかっただけに非常に強かったです。
「日本初の寝台電車」を名乗る583系でしたが、実際にこれで寝た事はありません。まあ、当時は583系のゆうづるでもベッドにしない座席寝台が設定されていたくらいでしたからますます寝台のイメージが遠かった気もします。
(とはいえ、これに乗った親類からの話では「車掌が居なくなったら勝手に寝台部を引き出して寝ていた剛の者がいたそうですが」w)
なので乗った印象のすべてが「昼間乗った時(か、デッキにつっ立っていた時)」という事になります。
子供心にも「やたらに天井の高い特急電車」という印象はあったのですが「特急なのにシートが回らない」とか「窓の二重ガラスの間にブラインドがおりてくる」「外から見たら意味が分からない謎の小窓の列」とかこの電車特有の特徴は今でも思い出に刻み込まれています。
乗っていたのがせいぜい学生時代くらいまででしたから、狭苦しさはそれほど感じませんでしたしシートがリクライニングしないのもオハ50と大して変わらないのであまり気にしません。むしろ隔壁が高すぎて車内が見通しにくい方が気になったくらいでしょうか。
なにより子供の身では「あの青い電車に乗れている」感動の方がはるかに大きかった気がします。
デッキに乗れば乗ったで「まるで観光バスみたいな開き方のドア」にすら特別な感じを得ていましたからw
尤も、こうした好印象は片道2時間の中距離移動だったというのも関係していそうです。もし盛岡~上野まで通しでこれに乗っていたらどうなっていた事か(485系ですら乗車が4時間を超えるといい加減うんざりしていましたから)
その一方でせっかくあこがれの特急電車に乗ったのに食堂車を利用しなかったのは今でも心残りです。
ずっと後になって583系が普通電車に改造されたときには時代の無常さも感じました。その頃になると東北もメインは新幹線になっていましたから高架から見下ろす電車区に居並ぶ「元583系の群れ」を見た時には「ああ、もっと乗っておけばよかった」という後悔も感じたものです。
そんな恨みもあってか、当鉄道ではNゲージの583系は学研・香港TOMIX・HGのTOMIXと時代ごとに3編成が在籍する仕儀となっています。
また、当ブログでたびたび取り上げている元機関士だった親類の伯父さんも、退職の前後の時期に木とペーパーでクハネ583を自作されていた事がありましたから、当時の鉄道員の眼から見てもこの電車は特別な存在だったのではないかと思います。
光山鉄道管理局
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昨日は「8月3日たって、キハ83系も持っていないしほかに83絡みのネタもないし、どうでもいいか」なんて思っていたのですが、くさたんさんの「鉄道に萌え」を覗かせて頂いたところ、その日が「令和5年8月3日なので583系」だったのを知りました。
「しまった!その手があったか!!」
と気づいた時には後の祭り・・・なのですがわたし個人でも実車・模型ともども583系は思い出深いものがありました。
ですので1日遅れながら便乗させていただきます。
くさたんさんすみません(大汗!!)
東北本線沿線住まいという事もあって、わたしと583系の縁は見るにも乗るにも結構深かったと思います。
まあ、あの頃「電車」といえば583系、485系、455系のどれかしかなかったのですが(笑)
わたし個人で言うと当時めちゃくちゃ遠い東京に行く時には専ら483系か485系だったのですが、中途半端に遠い仙台とか八戸辺りへの往復では583系に乗る事が多かったと思います。
ですからわたし的な印象だと「583系=はつかり」のイメージが強く、ネーミングのスマートさとアイボリーとブルーのツートンのカラーリングの印象は他に似た塗装の車両がなかっただけに非常に強かったです。
「日本初の寝台電車」を名乗る583系でしたが、実際にこれで寝た事はありません。まあ、当時は583系のゆうづるでもベッドにしない座席寝台が設定されていたくらいでしたからますます寝台のイメージが遠かった気もします。
(とはいえ、これに乗った親類からの話では「車掌が居なくなったら勝手に寝台部を引き出して寝ていた剛の者がいたそうですが」w)
なので乗った印象のすべてが「昼間乗った時(か、デッキにつっ立っていた時)」という事になります。
子供心にも「やたらに天井の高い特急電車」という印象はあったのですが「特急なのにシートが回らない」とか「窓の二重ガラスの間にブラインドがおりてくる」「外から見たら意味が分からない謎の小窓の列」とかこの電車特有の特徴は今でも思い出に刻み込まれています。
乗っていたのがせいぜい学生時代くらいまででしたから、狭苦しさはそれほど感じませんでしたしシートがリクライニングしないのもオハ50と大して変わらないのであまり気にしません。むしろ隔壁が高すぎて車内が見通しにくい方が気になったくらいでしょうか。
なにより子供の身では「あの青い電車に乗れている」感動の方がはるかに大きかった気がします。
デッキに乗れば乗ったで「まるで観光バスみたいな開き方のドア」にすら特別な感じを得ていましたからw
尤も、こうした好印象は片道2時間の中距離移動だったというのも関係していそうです。もし盛岡~上野まで通しでこれに乗っていたらどうなっていた事か(485系ですら乗車が4時間を超えるといい加減うんざりしていましたから)
その一方でせっかくあこがれの特急電車に乗ったのに食堂車を利用しなかったのは今でも心残りです。
ずっと後になって583系が普通電車に改造されたときには時代の無常さも感じました。その頃になると東北もメインは新幹線になっていましたから高架から見下ろす電車区に居並ぶ「元583系の群れ」を見た時には「ああ、もっと乗っておけばよかった」という後悔も感じたものです。
そんな恨みもあってか、当鉄道ではNゲージの583系は学研・香港TOMIX・HGのTOMIXと時代ごとに3編成が在籍する仕儀となっています。
また、当ブログでたびたび取り上げている元機関士だった親類の伯父さんも、退職の前後の時期に木とペーパーでクハネ583を自作されていた事がありましたから、当時の鉄道員の眼から見てもこの電車は特別な存在だったのではないかと思います。
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