小林信夫氏の訃報に思うこと
先月号のTMSの編集後記で小林信夫氏の訃報が掲載された時には一読者として驚きました。
その号ですら、小林氏の連載がいつも通りに掲載され「次はどんな記事で楽しませてくれるのか」と楽しみにしていただけにあまりに急な事に一瞬思考が止まったほどです。
氏の連載記事は、作品紹介や実車のデータ記事が主体のTMS誌上にあってわたしにとっては肩が凝らない、それでいてイマジネーションと制作意欲をも掻き立ててくれる触媒としてとても有効に機能していましたから。
氏の名前を意識するようになったのはTMSでの連載からですが、1980年代のグリーンマックスのカタログでは氏の手になるイラストが掲載され、ある時期GMのカタログのカラーになっていたものです。
当時の鈴木雅夫氏がコラム風に書いておられたレイアウトのコンセプトやヒントはそれだけでレイアウトビルダーの視野を広げ、読むだけで一種の解放感を与えてくれたものです(『レイアウトに明治村はいらない』などはいまだに私の座右の銘のひとつです)
そのコラムの意図を直截的に伝えたのが小林氏の挿絵にあったのは間違いありません。カタログ上の限られた頁でありながらある時にはパノラミックに、ある時には精緻なパイクを思わせるイラストで記事の意図をストレートに伝えてくれるものでした。
その意味で鈴木氏の記事と小林氏のイラストはまさに車軸の両輪として理想的に機能していたと思います。
(但し、当時は小林氏の名前は出ていませんでしたから、筆者の鈴木氏が描いていたと思い込んでいましたが)
今月のTMS本誌に追悼記事が掲載されていますが、新卒時代の氏がナインスケールのKSKタイプCタンクを手掛けておられたというのは初めて知りました。わたしがこのロコを中古で入手したのはだいぶ後になってからですが、改めて見直してみるとプロポーションや造形に後の氏のイラストに通じるものが感じられます。
そういえば、このモデルがリリースされた(昭和51年)時「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ・・・」というキャプションで1頁大のKSKCタンクの発売予告が掲載されていましたが、当時としても非常に雰囲気のある鄙びた機関庫周辺のミニシーンの写真が載っていました。
これものちのノス鉄のパッケージイラストと共通する雰囲気が感じられるので、或いはこれも小林氏の作だったのかもしれません。
(日本型ストラクチャーがまだ出ていなかった当時ですから、使われているパーツもナインスケール=バックマンのものに手を加えたものだった筈ですが、それであそこまで日本風の景色になっていた事に当時のわたしは衝撃を受けました)
こうしてみると名前を意識したのこそ最近ですが、小林氏が(少なくともわたしの)鉄道模型史の中で果たした役割は非常に大きいものがあったことを実感させられます。いや、わたし自身今月号も含めて今でも氏の記事に触発され、楽しませて頂く形で今もなお影響され続けている気がします。
それゆえに、氏の逝去はまだ早すぎたという思いが抜けません。
来月号のTMSが出た時、いつもの様に小林氏の記事を探してしまう気がします。
今回も乱筆乱文になりましたが、改めて小林氏のご冥福をお祈りいたします。
光山鉄道管理局
HPです。
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この記事へのコメント
水野良太郎さんもそうだったけど、こういう刺身のつまみたいな記事は結構楽しみだったんだけどなぁ・・・
当方も汽車会社製Cタンクを持ってまして、ヤフオクで何度も落としてゴコサンしたり、ニコイチして8両ほど完品を再起させてます。欲しい方へ定価で売ってます。つい布教したくなるんですよねこの機関車。小林氏が関わっておられたとは知らなかったので、追悼として次回の貸しレイアウト訪問時に出走させようかと思います。同世代の香港貨車も添えまして…。
レイアウト持ちな方へは煙突など折損した車体と、ロッド穴破損とモーター無し下回りを組み合わせた放置機関車をでっち上げ、ウェザリングマスターベタ塗り&艶消しスプレー重ね噴きして押し付けてます。どこかの空き地で行き倒れたガジェットにでも使ってくれるかもしれません。
専門誌の専門誌たるゆえんのひとつがレサレサさんの仰るような「刺身のつま」的な記事と思います。
お堅い記事で凝った肩を揉み解すこうしたコーナーは読者が固定されやすい専門誌ならではの清涼剤ですね。
尤も、小林氏の記事は単なる清涼剤以上の意義があったとは思います。
表題のようにフリーランス模型製作なんですが、おまけにレイアウトとして直径30㎝ぐらいのエンドレスの中央に山があり、そこへダミーポイントからの分岐でとぐろを巻くように急勾配で山を登る線路がある・・・というものを紹介し。
「(列車がこっちに進んだ場合は)岩山の頂に四方懸崖造りの不思議なお堂をかすめ、やがて天空に消えます。
七色に輝く彩雲を突き抜け、小さな列車はどこまでも登り続けるのです。
このダミーポイントが実際に作動して切り替わり、列車が上昇線に入るのは、多分、私の人生ただ一度きり・・・」
(ちなみに同ページの絵のサイン見るとこれの執筆は2014年1月だそうです。)
KSKタイプCタンクはわたしも手ごろな出物があると飛びついてしまいます(汗)
放置機関車ですが上述したTMSの1976年1月号の予告写真がまさに「放置機関車のジオラマ」でした。
考えてみたら「これから発売される機関車の製品広告」としては相当に異色な部類だったと思います。
してみると、この広告も小林氏が関係していた可能性は濃厚ですね。
ご指摘の記事、なんとなく含蓄のある表現ですね。
今から10年近く前の記事ですが、この頃から闘病生活を予測しておられたのかもしれませんね。
フリーランス雑感、できれば一冊の書籍にまとめて出して欲しいものです。
それに載っていたナインスケール版セム8000を色々加工した記事を参考にしようとしたのです。ホッパー部を嵩上げしたり、石炭増量、忍び返しみたいに反った梯子を修正、車掌室を自作しセフに改造するなど濃いものでした。まあセフについては甲府モデルのペーパーキット版を仕入れる方が、今なら楽かもしれませんが。
とにかく帰宅次第に76年1月号を調べなくては…。
>秋津のOBさん
記事中の76年1月号の広告を先程見直したのですが、よく見たらリリース直後と思われるGMの詰所が写っていました。なので100%バックマンではなかったですね。
ただ、屋根の波板の表現は当時としても非凡だったと思います。
76年1月号は私にとって初めて買った新刊のTMSでもあり、思い出深いです。
>KSKタイプCタンクはわたしも手ごろな出物があると飛びついてしまいます(汗)
↑
ヤフオクでこれが出るとチェックしてます。複数の出品があるとあまり落札額が伸びないものがあったりします。煙突や握り棒に前灯の破損、ケース無しだとなお。誰も入札しないので最初の一人になったらそのまま落ちたことも。下回りの復調はできたので折損箇所を直すか、トレードに出すか…既に渡した人へ部品取りで提供するか…。
>「これから発売される機関車の製品広告」としては相当に異色な部類だったと思います。
↑
列車の先頭に立つ、あるいは機関区などで憩うといった現役機関車らしい姿を線路際から見た、という構図が新製品機関車広告のセオリーかと思います。しかしながら件の広告は新製品を扱ったというには確かに異色の構図です。
どう見ても使用停止された感じの施設、それは朽ちて千切れかけている表現のトタン屋根板が目立ちました。分かれて留置された機関車3両はいずれも薄っすらと錆が浮いてナンバープレートの字が読めない姿。そして詰所ダルマにされトタン屋根を被せられた木造ワフ。
まあ製品化当時でもこの手の機関車や木造貨車は追いやられ終わる頃ではあったのでしょうから、『老兵は死なず~』の一説を付し、それに合った演出と構図にしたと考えております。このジオラマが現存していたら実見したいし、入手して眺めてみたいなと妄想したくなるほど魅力を感じました。
長々と申し訳ありません。
わたしの場合、これが初めて買ったTMSだったので「Nゲージの新製品の広告」自体が珍しかった事で記憶に残りやすかったのかもしれないですね。
当時の小学館の学習雑誌にもナインスケールの1頁広告はあったのですが、そちらは大レイアウトでいくつもの列車が賑々しく走り回るレベルの物でした。TMSのは明らかに子供向けとは一線を画す広告でしたね。
(とはいえ、あの当時のTMSの読者は半分以上中高生だったのですが)
この広告自体、歴代の鉄道模型広告の中でも上位に来そうなセンスの良さを感じます。
(今思ったのですが、どこかで歴代の鉄道模型広告の人気投票でもあると結構面白そうな気がします。誰かやらないかな)