3月2日なのでスハ32系のはなし
3月早々に日付の語呂合わせネタです。
今日が3月2日という事でスハ32系を肴にしようかと(汗)
1975年版の工作ガイドブックの記載を引用すると
客車の屋根は二重屋根であったが、雨漏りや強度・工作などに欠点があるため、昭和7年〈1932年)丸屋根形のスハ32系が誕生した。国鉄最初の20M級2軸ボギーで側面のリベットは近代型の過渡期を物語っている(以下略)
のだそうですが、実はスハ32系という名称自体は国鉄の正式呼称ではないのだそうで、この前後の時期に製造されたスハ32600、32800及び同形式の車体を持った客車の総称を便宜的にそう呼んでいるのだそうです(Wikipediaより)
それよりもわたしの手持ちのスハ32系にはダブルルーフ仕様が結構混じっているのですが、上記との矛盾を何とする(笑)
わたしがこの趣味に入った前後の時期はNゲージでもオハ31系と20系しか完成品の客車はなく、当時出始めだったGMのキットも10系やオハ61系辺りが中心で、スハ32系なんかは当時の製品化予定にも入っていなかった存在でした。上述の工作ガイドブックではこの頃の16番スケールモデルでは20系はもとよりオハ61、35,43、44系なんかと共にスハ32系もラインナップ(宮沢模型製)されていて製品化の層の厚さの違いに圧倒されたものです。
その当時でもわたしになじみが薄かったのがスハ32系で他のスハ43系やオハ35系はそれなりに実車を見掛けたものの、わたしの故郷ではスハ32系は殆ど引退状態でしたから「この客車のNゲージモデルが出るなんて事はないだろうな」とか漠然と思っていた物でした。
ですがこの直後、1980年代初頭からNゲージのモデルは急速にラインナップを拡大し新規参入メーカーも続出。その中のひとつである中村精密からキット形式とはいえスハ32系のNゲージモデルがリリースされました。
が、如何せんブルトレブームの最中のあの時期、他よりも古典臭の漂うスハ32系への注目はそれほど強いものではなかった様で中村精密の縮小と共に一旦ラインナップからスハ32系は消滅します。
その後、Nゲージの普及に伴い旧型車へのニーズが再び盛り上がり始めるタイミングで、新規参入組の長谷川製作所が中村精密のモデルをキットメイク・完成品仕様として発売し始めます。
わたしがNゲージでスハ32系を手にしたのもMODEMOのモデルがそろそろ中古市場に出回り始めるタイミングだったと記憶しています。
20M級の車体に小窓の並ぶ独特の風情はオハ35系やスハ43系とは異なる落ち着きを感じさせた物で、それも購入の動機になっています。
その後KATOから急行音戸や中央線普通列車などのセット品の中にスハ32系がラインナップされる様になり、特に旧「北星」にも使われていた寝台車の仕様などは昔だったら製品化自体が想像できない物でした。わたしの手持ち客車の中でスハ32系が勢力を拡大し始めたのもこの辺りからです。
MODEMOの客車セットなどはそれこそ中村精密の蒸機(今ならワールド工芸なんかも)が似合う様なラインナップでしたから、これも中古を入線させています。あと外国型蒸機との相性もなかなか悪くありません。
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今日が3月2日という事でスハ32系を肴にしようかと(汗)
1975年版の工作ガイドブックの記載を引用すると
客車の屋根は二重屋根であったが、雨漏りや強度・工作などに欠点があるため、昭和7年〈1932年)丸屋根形のスハ32系が誕生した。国鉄最初の20M級2軸ボギーで側面のリベットは近代型の過渡期を物語っている(以下略)
のだそうですが、実はスハ32系という名称自体は国鉄の正式呼称ではないのだそうで、この前後の時期に製造されたスハ32600、32800及び同形式の車体を持った客車の総称を便宜的にそう呼んでいるのだそうです(Wikipediaより)
それよりもわたしの手持ちのスハ32系にはダブルルーフ仕様が結構混じっているのですが、上記との矛盾を何とする(笑)
わたしがこの趣味に入った前後の時期はNゲージでもオハ31系と20系しか完成品の客車はなく、当時出始めだったGMのキットも10系やオハ61系辺りが中心で、スハ32系なんかは当時の製品化予定にも入っていなかった存在でした。上述の工作ガイドブックではこの頃の16番スケールモデルでは20系はもとよりオハ61、35,43、44系なんかと共にスハ32系もラインナップ(宮沢模型製)されていて製品化の層の厚さの違いに圧倒されたものです。
その当時でもわたしになじみが薄かったのがスハ32系で他のスハ43系やオハ35系はそれなりに実車を見掛けたものの、わたしの故郷ではスハ32系は殆ど引退状態でしたから「この客車のNゲージモデルが出るなんて事はないだろうな」とか漠然と思っていた物でした。
ですがこの直後、1980年代初頭からNゲージのモデルは急速にラインナップを拡大し新規参入メーカーも続出。その中のひとつである中村精密からキット形式とはいえスハ32系のNゲージモデルがリリースされました。
が、如何せんブルトレブームの最中のあの時期、他よりも古典臭の漂うスハ32系への注目はそれほど強いものではなかった様で中村精密の縮小と共に一旦ラインナップからスハ32系は消滅します。
その後、Nゲージの普及に伴い旧型車へのニーズが再び盛り上がり始めるタイミングで、新規参入組の長谷川製作所が中村精密のモデルをキットメイク・完成品仕様として発売し始めます。
わたしがNゲージでスハ32系を手にしたのもMODEMOのモデルがそろそろ中古市場に出回り始めるタイミングだったと記憶しています。
20M級の車体に小窓の並ぶ独特の風情はオハ35系やスハ43系とは異なる落ち着きを感じさせた物で、それも購入の動機になっています。
その後KATOから急行音戸や中央線普通列車などのセット品の中にスハ32系がラインナップされる様になり、特に旧「北星」にも使われていた寝台車の仕様などは昔だったら製品化自体が想像できない物でした。わたしの手持ち客車の中でスハ32系が勢力を拡大し始めたのもこの辺りからです。
MODEMOの客車セットなどはそれこそ中村精密の蒸機(今ならワールド工芸なんかも)が似合う様なラインナップでしたから、これも中古を入線させています。あと外国型蒸機との相性もなかなか悪くありません。
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この記事へのコメント
私がNゲージに手を出した頃はもう市場在庫のみだったのですが、安易に手を出して結局ゴミにしてしまったのが悔やまれます。
現行品はTOMIX,KATOとも一長一短があって悩ましいところですね。まあどちらも入手難なんですが。
車輪配置はテンホイラー形ですね。
という事は、少しの改造で8800形や8700形に化けさせられそうですね。
ナンバープレートを何処から調達するかが難題ですが、数字のみなのでGMの汎用インレタで済ませても良いですね。
話は脱線しましたが、私もスハ32系客車を持っています。
やっぱり一番多いのはモデモですね。
単品販売のスハ32と33あわせて3両あります。
32のうち1両はダブルルーフです。
カトーのスハ32が2両、中古で買ったナカセイのスロハ32が1両、合計6両の陣容です。
勿論31系や35系、43系など他の系列とランダムに組成してます。
35系や43系など大窓の形式と組合せたら面白いですね。
10系との格差編成なんてのも良いです。
例えばキハ10系や20系、58系など。
地域差などあるのかもしれませんね。
模型になるとTOMIX製品のスハ32系をBトレインショーティーの上信電鉄デキ1牽引の列車にして走らせてます。HO/16番となると東北線の荷物車(マニ36)に組み込んで編成する程度となじみが薄いせいか両数も少いです。
確かに初期の2重屋根は戦前の列車の牽引には有用ですが、自分自身がやりたいような列車がないため「縁のない」車両になります。
仮に自身が入れるならマニ31をマニ32(90以降の車両)にして荷物列車に仕立ていると思います。
わたしもごくたまに中古ショップの店頭で中村精密のキットメイク品に当たる事があるのですが、割合マニアックなものが並んでいる傾向でした。
MODEMOに移ってからの客車セットも戦前派の編成もので機関車を選ぶモデルとは言えましたね。
写真のモデルはPECOのLMSジュビリーで、かのTMSが輸入代理店だった関係で日本でもかなり普及した外国型蒸機と思います。
(当時のTMSにこれを日本型風に改造する記事が載った事もある)走行性は中村精密などよりはるかにスムーズで50年以上前のモデルとは思えないほどです。
8800の方はフライッシュマンからほぼ同じ外見のドイツ型があってエンジン部は多少の改造で8800ぽくする事は可能です(あのでかいヘッドライトを付けるだけでも結構雰囲気は変わりそう)
ただ、この蒸機はテンダードライブなのですが実機の方は日本製のテンダーを使っているので形状が合わないという問題が(汗)あり、割り切りは求められると思います。